第1回の「Justice」読みました? 長かったですね。書いてる私もうんざりでした アハハ。さて第2回はもうちょっとくだけた話題にしようと思います。そいでもって本も誰が読んでも面白いと思われるヤツを紹介します。でも1回目より長くなるかもしれません。しかも書いてるうちにまた小難しくなる可能性大です。今回のテーマは「超能力」と「呪い」です。このタイトルだけで何の本を紹介しようとしてるのかわかったあなたは相当な読書通ですね。わからないあなたもちょっと興味惹かれますよね。ん? 惹かれない? 困りましたね。ではまずは興味を惹かれないというあなたのためにお話しますね。
「超能力なんてモノはないんだよ。あんなモノは手品の延長だろ? あーいう低俗なモノを真剣に語るヤツはバカ以外の何者でもないよ」というあなた。いまどき珍しいコテコテの科学信奉者ですね? どっかの大学教授に似たようなタイプの人がいますねぇ。あの人みたいに1つの事象にとらわれていると、世の中のオモロなことが見えなくなりますよ? あなたは狭義の「超能力」という言葉から少し離れててください。「ESP」ではなく「Super-ability」、文字通りの「超-能力」の方に目を向けて欲しいのです。
動物の超能力というものは今更ぐだぐだ説明するまでもなく、びっくりするようなものがたくさんありますね。たとえば犬。犬の嗅覚は人間の1万倍だとか言われてますけど(根拠の薄い数字ですね)、これなんか正に超能力だと思いませんか? 訓練を積んだ警察犬はたとえ何km離れていようとも、犯人の臭いをたどることができます。アレって靴の底から染み出した犯人の臭いを追っているんですよ? 靴の底の臭いなんてみんな一緒だと思うんですけど、犬にはわかるんですよね。
これ、仮に人間の警察官がやったとしましょう。その人は異常体質で常人の1万倍の嗅覚を持っていて、誰にもその事実を打ち明けることなく生きているのです。そしていざ事件が起こると、能力を使って犯人の居場所を突き止めるのです。そして誰にも、彼がどうやって犯人を見つけているのかわからないのです。このとき彼が使った能力は果たして超能力と呼べるでしょうか? 科学信奉者のあなたは「それは科学的に説明のつくことだから超能力とは呼べない」と言うかもしれませんが、これはやはり立派に超能力と言えると思うんですよね。「Super-ability」という意味で。まあ有り得ない事柄を持ち出すのはちょっとルール違反でしたね。「そんなこと有り得ないから議論にならない」と言われればそれまででした。
その他にも動物の例で言うと、超音波を使って肉眼で見えない物体の形と、その距離を知ることができるイルカやこうもり。信じられないくらい離れた場所にいる仲間と交信できるクジラ。体から電気を発生させるウナギやナマズ。自分の生まれた川を正確に記憶している鮭。体表の色を変化させるカメレオン。あげていったらキリがないくらい動物の世界では超能力が溢れています。
これらの多くは、現在でこそ科学の力で説明がなされ、超能力ではなく「すごい能力」くらいに思われていますけれども、たかだか150年くらい前まではそれこそバリバリの「超能力」であったわけです。150年っていったらあなた、おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんくらいの時代ですよ? つい最近じゃないですか。つまり時代の変化、パラダイムの変化によって超能力と呼ばれなくなってしまった、「元超能力」さんが結構あるってことです。「超能力なんか信じない!」って人は「超能力」という言葉の定義を広げて欲しいのです。現象の仕組みがバレていても尚、超能力と呼ばれるべきモノはたくさんありますよね。
では現役バリバリとされる超能力さんに目を向けましょうか。こちらは未だ科学の力で解明されていない、現象の仕組みがバレていないモノです。よく言われるのが「サイコキネシス」とか「テレパシー」とか「テレポート」、「クレヤボヤンス」とかの超能力ですね。でも私はこれらのごく狭義の超能力についてはあまり語る言葉がありません。あんまり興味がないからです。あ、「逃げたな」と思いました? しかし私が思うに、単なる手品師が、ネタをバラさずに生涯やりつづけた「サイコキネシスらしきもの」とかは、ある意味立派な超能力だと思うんですよね。ネタがバレなきゃ、永遠にそれは超能力以外のなにものでもないわけです。バレずにやりつづけたその手品師を誉めてあげましょうよ。こういう誰もができるわけじゃない特殊な「技」みたいなものは非常に判断がしづらいですね。たとえば中国の「気」とかそうです。あれってなんなんでしょうね? いろいろと科学で証明できていないものってのは案外多いもんです。しかし科学で解明できないものは全てインチキだというのはちょっと早計です。一例をあげてみましょうか。百匹目の猿という結構有名な話です。
宮崎県串間市から約2キロメートルの岩波海岸の側に、幸島という島があります。1950年当時、周囲4キロメートルほどの幸島には20匹のニホンザルが住んでいました。京都大学霊長類研究所がこの猿の餌づけを試み、1952年、これに成功します。1953年、サツマイモについた泥をこすって落していた猿のうち一匹が、川の水で泥をあらって食べることを発見しました。発見ってほどのことでもないですけどね(笑) 1957年にはこの行動は20匹中15匹にひろがっていきました。その後、川が枯れたため、猿は海でサツマイモを洗うようになります。塩味がついておいしくなることに気付いてみんなやるようになったんですね。
やがて、大分県の高尾山の猿にも水で芋を洗うものが発見されました。高尾山にもその後、芋洗いの文化は広まり、定着していきました。つまり芋を洗う猿の数がある臨界点を越したら、その行動が遠く離れたほかの場所の猿に伝わったということです。この話を詳しく知りたい方はライアル・ワトソンの「生命潮流 来たるべきものの予感」という本を読んでみてください。(学術書なのでオモロくはありません)
これは科学ではまだ解明できていない現象で、なおかつなんのインチキもないものですね。というより単なる偶然といって片付ける人が多いんですけど。まあなんにしろ不思議な話じゃありませんか。超能力と呼ぶにふさわしいですよ。
さて「それでも地球は回ってる」と言った人は誰でしたっけ? 天動説が支配的だった時代、地動説は単なる異端であって多くの人にとって真実ではありませんでしたね。それと同じように、現代は科学を信じる人が大多数であって科学こそが真実であるとされています。しかし「それでもテレパシーはある」と誰かが叫んだとき、その言葉は真実ではないと言い切ることはできるんでしょうか? テレパシーの存在を信じる人が大多数の時代がやってきたら、そのときはそれが真実となりうるわけです。本当の意味での絶対的な真実などは存在しないということです。将来、科学で説明できないことがワンサカ出てきて、それにかわる別の説明の言葉が生まれたとき、「科学」はただのおバカさんの言葉になりさがるのです。ちょうど現代から見た地動説時代の人のように……。
面白いことに時代のパラダイム変換を経ても、しぶとく生き残っている過去の言葉ってものはあるんですね。それが「呪い」です。「呪い」は科学万能の今もなお生き続ける、現代の地動説に他ならないのです。呪いについてお話しましょう。
ちょっと面白い実験です。
あなたは今まさに拷問されようとしています。あなたの横には燃えさかる暖炉があり、中には真っ赤に焼けた鉄の棒が何本もささっています。時折 バシッバシッと薪が爆ぜる音がして、あなたはこれから起こるであろう惨劇に気も狂わんばかりです。拷問の担い手である組織の幹部らしき男があなたの顔に目隠しの麻袋をかぶせました。そして視界を閉ざされたあなたは、男が鉄の棒を暖炉から引き抜く気配を感じます。男は黙ってあなたに近づき、その恐ろしい鉄の棒をあなたの二の腕に押し付けました。
「ギャアアアアアアアァァァッ」
あなたは気絶します。そして数十分後…………。
意識を回復したあなたの目に見覚えのある顔が映りました。誰だと思います? 田代まさし「マーシー」ですよ。アハハハ。テレビのどっきりだったんですね。ホッとしたあなたのそばにマーシーがかけよります。そして言うのです「大丈夫ですか!? 大丈夫ですか!? 」
もちろん焼けた鉄の棒を押し付けたなんてことはなく、テレビ側はただの熱くもなんともない鉄の棒にすりかえて、あなたの腕に押し付けたのです。しかしあなたの腕には本物のヤケドのあとがくっきり残っているのです。極限状態で、熱した棒を押し当てられるという強い暗示にかかったあなたの皮膚は、ただの鉄の棒の温度を勘違いして本当にヤケドをおこしてしまったのですね。これは現実にあるお話で、逆プラシーボ効果の最も劇的な現れ方のひとつです。
プラシーボ効果についても少し説明しておきましょうか。聞いたことあると思いますが……。「プラシーボ(Placebo)の語源はラテン語の「I shall please」(私は喜ばせるでしょう。)に由来しているそうです。そこから患者さんを喜ばせることを目的とした、薬理作用のない薬のことを指すようになったのです。通常、医学の世界では乳糖や澱粉、生理食塩水が使われます。従って、プラシーボ効果(反応)は、このような薬理作用のないものによりもたらされる症状や効果のことをいいます」←これはどっかのサイトからコピってきたものですが(著作権無視ですいません)、わかりやすいですね。つまり「これは痛みに効くんですよ」と言われて食塩水を飲まされると痛みが治まるってことです。プラシーボ効果の主体は暗示効果であることから、痛みなどの主観的な症状には効いても、血液検査などの検査値には関係ないと考えがちです。ところが、プラシーボの投与によっても検査値異常がでることが報告されています。最近では、北里大学のグループが、健康な人108人にプラシーボを投与したところ、そのうち18人(14.3%)の人に肝機能異常がでたそうです。結構侮れないんですよ。
ハイ、何が言いたいかわかりましたね? つまり「呪い」とは逆プラシーボ効果を利用した実に科学的(?)な行いなんですね。
そう、心と体はひとつなんですよ(謎)
アフリカあたりじゃ今でも呪術師ってのは立派な職業として存在しています。それどころか村の医者であり政治家であり、教祖でもあるわけです。オールマイティになんでもこなす「超能力者」なんですね。……ハッ! 前フリが前フリじゃなくなってきちゃった! ここからあとは本を読んでください。
今回ご紹介する本のタイトルは中島らもの「ガダラの豚」です。ズバリ「超能力」と「呪い」を描いた傑作エンターテイメントです。私はこの本が賞をとれなかったとき、「なんて日本の文学界は閉鎖的なんだ」って思いました。こういうすごい小説を「低俗」とか「中身がない」と言って切り捨ててる人は50年後に大恥かくことになると思いますね。中島らものホントにすごいところは、私が今までくっちゃべってきたような小難しいことを、読んでてワクワクするようなオモロな物語に変換する能力をもっているところです。この人の小説は文句なしに面白いです。エッセーだけ読んで らもが好きになっている人がいたら是非小説も読んでみてください。「この人、こんなものも書けるんだ!?」とびっくりしますよ。
ふふ。今回は前フリだけで押し通せましたね。しかもそんなに長くならなかった。フウ。らもはもっと紹介したい本があるので、またいずれ再登場するかもしれません。ではでは 長い文章読んでくれてありがとう。
1939年4月、東アフリカのモザンビーク生まれ。ケニア、ナイジェリア、南アフリカ、オランダ、ドイツ、イギリスなどでの学究を経て、医学、植物学、化学、数学、心理学、物理学、動物学、海洋生物学、人類学で学位、ロンドン大学ではデズモンドモリスのもとで動物行動学において博士号を取得。現代科学のルネッサンスを思わせる広い視野と広汎なフィールドワークを重視する実践的ライフサイエンティストとして、「生物学のシュリーマン」などと称される。ヨハネスブルグ動物園長、英国国営放送()のプロデューサ、ライフサイエンス財団理事等を歴任。クジラやイルカの行動学研究も駆使し、徹底した自然学派、生物学者の観点から生涯のテーマである生命と「意識」を結ぶ神秘の解明にとりくんでいる。著書「未知の贈り物」「悪食のサル」「スーパーネイチュア」「The Romeo Error」など。現オックスフォード大学フェロー。日本にも数回、神道をはじめとする民間信仰、海洋産業の実態調査と研究のために訪れている。
1952年兵庫県尼崎市生まれ。劇団リリパットアーミー(お笑いか!?)の座長。 HPはhttp://www.age.ne.jp/x/ramo/index3.htm
集英社文庫1〜3巻(各\500\580\520)おすすめ度☆☆☆☆☆ 悪いこと言わんから読んでみ。