ネットのコミュニケーション 1

ネットに出没するようになって、2年近くが経ちました。たくさんの友人が出来、少数の敵が出来(思っていたより少ないのにビックリです)、今尚仲良くしてもらってる人たちがいて、消滅してしまった関係があります。2年前までに経験してきたコミュニケーションとは全く異質のコミュニケーションがそこにはたくさんありました。会って話をすると、その人の何気ない表情、声のトーン、身振り手振りからたくさんの情報がわかります。電話であっても声のトーンや話の間の取り方からたくさんのことがわかります。それに比べてチャットの情報量の少ないことといったら!。かろうじてリアルタイムのIRCなら、間の取り方が多少わかりますが、あとは全て文字だけを介して相手とコミュニケーションを取らねばなりません。そのためにたくさんの顔文字や、文末に添えられる「(笑)」や「♪」があるわけですが、それも相手に少しでも多くの情報を与えるための苦肉の策です。チャットでは相手の考えていることのほんの一部がわかるにすぎません。

「ばっかじゃないの?」

こんな一言が多くの誤解を生むことは、誰しもが経験していることでしょう。実際面と向かって話していれば、相手の表情や声のトーンで、親しみを込めて言っているのか、それとも憎悪を込めて言っているのかは一目瞭然です。しかしネットではこれはほとんどわかりません。少しネットに慣れている人ならば、文末には必ず「(笑)」をつけることでしょう。それによって親しみを込めていることを表現するわけですが、それも本当に親しみを込めているのかは怪しいところです。心の中の表情は全然笑っていないかもしれません。「ばっかじゃないの?」と言われた人が、たまたま機嫌が悪いときもあります。そういうときはいくら「(笑)」をつけても効果がない場合もあるでしょう。実際会っていれば、相手の機嫌くらいはすぐにわかりますが、チャットで短時間でそれを見抜くのはとても難しいことです。

これほど相手と正常なコミュニケーションをとりづらい、非効率的なツールがかつてあったでしょうか?会って話せば1分で済む内容も、チャットでは数倍の時間がかかったりします。また、もっと多くの時間を要する手紙とは全く異質です。手紙は相手に一方的に情報を伝達するということを大前提にしています。しかしチャットや掲示板は中途半端にリアルタイムな「双方向の情報伝達」を前提にしています。相手に真意を伝えることに対して普段より多くの努力が求められます。その努力を怠ったり、努力の必要性をよく理解していない者は、必ず軋轢を起こしてこの非効率的なコミュニケーションをますます意味のないものにしていくでしょう。

ではなぜ、ネットのコミュニケーションはこれら数多くの障害をもっていながら多くの人にとって魅力的であるのでしょうか?。これは逆に障害こそが魅力のひとつになっていると僕は考えています。リアルタイムの双方向な情報伝達という体裁を取っていながら、その実、一方的なコミュニケーションが可能であるネット上のコミュニケーションは、仲間との連帯感を渇望する者にとって、とても都合のいい居場所であるからです。例えば、実生活であれば誰も聞いてくれるはずもない、低俗な自慢話や聞くに堪えない不平不満の愚痴の類も、チャットや掲示板であれば、軋轢を避ける多くの賢明な人たちによって、ある程度受け入れてもらえます。また極端に言えば、そういった一方的で無意味な発言が半ば無視されたり流されていたとしても、本人がそう認識しなければ無視されていることにはならないからです。こういう「幸福な勘違い」を簡単に可能にするのがネットのコミュニケーションのひとつの特徴だといえるでしょう。

もうひとつの魅力は、時間や場を自分の思い通りにコントロールできる点だと思います。会いたいときにいつでも会える、会いたくなければネットにつながなければいい。これほど身勝手なコミュニケーションが許されるものは他にありません。実生活であれば、会いたい人に会うためには、双方の貴重な時間が大なり小なり犠牲になります。移動の時間や、会うための準備の時間も含まれることを考えれば、よほど双方の気持ちが一致していなければ、まず会おうという気にすらなりません。また逆に、会社や学校なら、会いたくない人にはイヤでも顔を突き合せなければなりませんが、ネットであればそれを遮断するのは容易です。こういった特性は、実生活での不満を解消するのに非常に都合がいいと言えるでしょう。

実生活でのコミュニケーションの少なさの代償に、ネットでのコミュニケーションを求める人は数多くいます。こういった人の中には実生活での自分を、「本当の自分ではない」と思いがちな人がいます。しかし「ネットで出会う人たちは自分のことを本当によくわかってくれている。実生活では自分を理解してくれる人はほとんどいない」という考え方は大きな間違いだといわざるをえません。ネットであろうと実生活であろうと、人が人を完全に理解するのは不可能です。人間同士の関係性の多くは幸福な勘違いの上になりっています。このような幸福な勘違いの必要性を否定する気は全くありませんが、盲目的に勘違いをおしすすめてしまうのは危険です。勘違いであるという認識があるのとないのとでは随分違うと思うのです。

引っ込み思案で人見知りで、実生活でコミュニケーションがうまくとれないという人が、ネット上では驚くほど明るくて社交的だという例はたくさんありますね。こういう場合には「実生活の自分は本当の自分ではない」という思いが、より強くなるでしょう。そして居心地の良いネットに安住の地を求めて、ますます実生活での心が貧しくなっていくでしょう。しかし人間はネットの上だけで生きていけるほど都合よくはできていません。生きるための日々の糧は、実生活のリアルな体によってしか得られないのです。心と体はひとつなのです。自分勝手な行動が際限なく許されるネットで(もし許されなければネット上の別の場所、それが許される場所に移動すれば済む話です)、その特性をフルに活用して人間関係のストレスを解消すれば、それは必ず実生活に跳ね返ります。今まで出来ていた我慢は出来なくなり、ネット上でも常に全てを許容してくれる場所を求めてさすらい続けることになるのです。これが「楽しいネット」の現実であることは直視しなければならないと思います。不幸にも、人間関係を築くのが不得手な1部の人にとって、ネットは幻を与え続けてくれる一種のクスリのようなものであることは否定できません。クスリはうまく付き合えば自分の悪い部分を治してくれるでしょう。しかし濫用すれば逆に害となるのです。

「私は実生活でも友人は多いし、平気だ」という人も決して安心はできません。ネットの居心地のよさに、いつのまにか生活のペースを握られているということはよくあることです。

ネットでの付き合いがとても濃密に感じることはありませんか?実生活であれば初対面の人と打ち解けるにはそれなりの時間が必要であるのに、ネットではアッという間に仲良くなれたということはありませんか?驚くほど短期間のうちに、そのネットの友人が誰よりも身近な存在になっていると感じたことはありませんか?つい1ヶ月前に知り合ったネットの友人を、まるでずっと昔からの友人のように感じたことはありませんか?実際に会ってもいないネット上の人と恋に落ちたことはありませんか?・・・そしてそんな人たちとの濃密な関係がまた驚くほどすぐに終わったことはありませんか?

2000/07/16

つづく…(N)
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