今でも思い出すと顔から火が出る思いがするが、僕はゲーマーの仕事をしていたとき、テレビにも出演したことがあった。朝のワイドショーで「天才ゲーム少年あらわる」みたいな扱いで2〜3分とりあげられたのだった。ロケではなく、わざわざフジテレビまで足を運んでスタジオでゲームの腕を披露した。いやがる僕をヨネダが無理やり車で局まで連れて行った。
恥ずかしかったので両親以外誰にも言っていなかったのだが、僕の知らぬ間に両親は親戚中にふれ回っていた。生出演が終わって家に帰り、VTRを見てみると、見事なくらい目が泳いでいる自分が映っている。僕は死にたくなった。朝の番組だったため、たくさんの人が見ていたわけではなかったのがせめてもの救いだった。
4月、僕は高校に入学した。入学式の日、少し緊張気味の僕を興味深そうに眺める連中がいた。僕はナメられないように睨み返してやった。この学校は中学部と高等部があり、1クラス50人のうち半分は中学部からのエスカレーター進学の者が占めている。3年間を共にすごした仲間がいるため、エスカレーター組の者たちには緊張のかけらもなかった。逆に高等部からの入学組は輪に入れずオロオロしていた。入学式の最中から僕のことをじっと眺めていた「ギョシ」という変なあだ名で呼ばれているエスカレーター組の中心人物が僕に話し掛けてきた。
「おまえさ、春休みにテレビに出てなかった? ゲームのなんかで」
「……。み、みてたのか……。」
僕はまた死にたくなった。顔がみるみる赤くなるのがわかる。しかしギョシの態度に僕をバカにしたようなそぶりは見られなかった。 自然とゲームの話で盛り上がり、僕はすんなりとギョシと仲良くなることができた。エスカレーター組に1人友達ができると、あとは簡単だった。僕は高等部から入学してきた者とも、エスカレーター組の者ともすぐに打ち解け、初日から笑顔がこぼれっぱなしだった。のちにお互い面と向かって悪口を言える、親友と呼べるくらいの関係になった頃には、「あのゲームのテレビ出演さ、俺だったら恥ずかしくて生きていけねーよ」などと、事あるごとにバカにされるようになったのだが……。昔の僕だったら手が出ていたかもしれない。でも一緒になって笑い転げることができるようになっていた。僕は変わった。
この学校は本当に気持ちのいい自由な校風だった。話が前後するが、入学式の日に、僕はかなりのショックを受けていた。中学の朝礼などは、直立不動でなければいけなかった。少しでも列を乱したり、私語を交わせば女生徒であっても容赦ない体罰を加えられる。そのために教師はいつも竹刀を持っていた。生徒はいつも怯えていた。それに比べてこの学校の入学式はどうだ。生徒は皆リラックスした姿勢で私語を交わし、校長の話など全く聞いていない風だ。そのくせ校長がつまらない冗談などを言うと、間髪入れずに全校生徒がブーイングを浴びせる。他の教師はそれを見て苦笑いをしたり、いっしょになってブーイングしたりしているのだ。校長も怒るでもなくニコニコしながら話を続ける。僕はアメリカにでも来てしまったのかと思った。朝のホームルームでウォークマンに耳を傾けている者がいる。職員室でジュースを飲みながら教師と談笑する者がいる。クラブの勧誘のために仮装して校内を駆け回るおどけた上級生がいる。学校を抜け出して公園で昼食をとる者がいる。見るもの全てが新鮮で楽しかった。
高等部に入ったら絶対バンドをやるんだと決めていたギョシは、なりてのいないベースに僕を指名した。僕は楽器などさわったこともなかったが、躊躇せずその日のうちにベースを買いに楽器屋に走った。ゲームを攻略するようにベースを練習する。いつまでたってもゲームのようにはうまくならなかったが、それでも楽しかった。いつのまにか他のバンドに助っ人として呼ばれるくらいには上達して、文化祭ではライブで暴れまわった。週末には女子高と合コンをして、月曜日はその話で盛り上がる。あまりに毎週やるものだから、どこの子とどんな話をしたのか記憶がごちゃごちゃになっていて、電話をかけても「それ私じゃない」などとヒヤリとさせられる。誰と誰が兄弟になったなどと、延々とシモネタを話してはイスを後ろに倒して笑い転げた。50代後半の担任教師は僕をダイスケと呼び、僕は担任をコンちゃんと呼んだ。楽しかった。
長い間凍っていた僕の心はすっかり溶けていた。自然とゲーセンに足が向かうこともすくなくなっていった。僕は高校の3年間で一度も人を殴ることはなかった。