インベーダーの熱が冷め切った頃、黎明期のゲームメーカーは2匹目のドジョウを狙って次々と新たなゲームを市場に送り込んでいった。僕はせっせと新製品を攻略していった。ゲーセンにたむろする子供たちの考えていることは2つ。いかにうまくなって皆をうならせるか。いかにして金を使わずにゲームをするか。アラの目立つ駄菓子屋の筐体は僕らの格好の的だった。ありとあらゆる手段を使ってタダでゲームをする。金を使わずにゲームをすることが、もうひとつのゲームだったのだ。
コイン投入口に100円玉もしくは50円玉を入れる。吸い込まれたコインは中にある針金のような部品を押し、下の鍵のかかった箱に落ちる。この針金の動作でクレジットがあがる仕組みだった。この針金をいかに動かすか。タダゲームの焦点はこれだった。コイン返却口から逆に勢いよくコインを送り込んだり、極細の釣り糸を50円玉に結び付けてコインが落ちないようにしたり……。圧巻だったのは、下の鍵のかかった箱を内側に蹴り落とし、開いた隙間から鉄製の定規を差し込んで針金を操作する方法だった。さすがにこの箱を取り出して中に入っている金を盗むことは不可能だったが、ゲーセンにたむろする子供の多くは金なぞ欲しがっていなかった。100円ライターの電気ショックで誤作動を起こさせ、クレジットをあげる方法もあった。しかしこれはすぐにメーカーに対策をとられて廃れていった。新たな方法が編み出されるとまた新たな対策がとられる。いつまでも終わらないイタチゴッコだ。これっぽっちの罪の意識もなく、僕らは日々、タダゲームの方法を考えつづけていた。
パックマンの永久パターンを習得した頃だったろうか、僕は小学校を卒業した。自主的に学習塾に入り、中学校の前準備をした。地元の中学は区内でも最も校則が厳しいことで有名なのに、それに比例するように校内暴力も激しいといういびつなところだった。他校との喧嘩や卒業生による窓ガラスの破壊などは日常茶飯事だ。荒れ果てた学校に興味はまるでなかったが、教師や親との無用のトラブルを避けるために成績はできるだけ落とさないようにして、残るエネルギーのありったけを使ってゲームにのめりこんでいった。荒れ果てているという点ではゲーセンも同じだったのだが……。
この当時、風俗営業法(俗に言う風営法)はまだ施行前で、ゲーセンは24時間営業が当たり前だった。ヤクザが片手間に営業しているところも多く、従業員の労働条件は劣悪を極めた。そのためか、この頃のゲーセンの店員はどこか薬物中毒を思わせるような濁った目をしたものが多くいたように記憶している。駅前で最もアングラな雰囲気を漂わせていた「サン」の店員はゲーム好きが高じて店員になったクチではなく、働き口がなくて仕方なくやっているという風なイカレたにいちゃんだった。仕事自体は筐体の簡単なメンテと両替くらいの楽なものなのだが、とにかく就業時間が長すぎて始終イライラしている。睡眠不足で荒れた肌は老人のそれを思わせた。深夜は常連のガキどもに仕事を任せて仮眠をとり、日中は充血した目で何かの本を読んでいる。大音響と薄暗い照明の店内は、読書には最悪の環境に思えたが彼には関係ないらしい。
僕はそこそこ彼といい関係を結んでいたように思うが、一度血の気の引く思いをしたことがある。高校生くらいの少し虚勢をはったタイプの客が両替に来たときの話だ。ゲームに熱中していた僕は彼らのやりとりをちゃんと見ていたわけではなかったが、段々険悪な雰囲気を漂わせていくのが肌で感じとれた。ゲームに向かっていた意識が自然と彼らの方に向く。少し不自然な間があいたあと、おもむろに彼は高校生をバットで横殴りにした。右手で腹を押さえ、左手でいやいやをするように防御しながら、高校生はその場にうずくまり、吐いた。その鼻面あたりに今度はつま先で蹴りを入れる。高校生は「がふっ」とか声にならない声をあげてあとずさった。
「出て行け。ニ度と来るな」
よろよろしながら出て行く高校生を見ながら僕は息を飲んだ。興奮した彼が僕に、成り行きをまくしたてる。どうやら高校生が、両替で5千円札を差し出したまま無言でいることに腹が立ったらしい。「両替してくださいの一言も言えないのか!」などと怒鳴り散らしている。いきなりバットで殴ったことにも驚いたが、そんな凶器をカウンターの陰に隠していた事実の方が衝撃だった。「こいつを怒らせちゃいけない……」と、僕は心に刻み込んだ。こんなイカレた店員とそれを上回るイカレた客が集う場所、そこが僕の居場所だった。