米倉は昨日の酒がまだ残っているようだった。ウーロン茶の缶を常に口につけている。つけているというか噛んでいる。両手を離して歯で缶を支えているのだ。そうしていると、酒臭い息を少しでも誤魔化せるという事らしい。翌朝まで残るほど飲まなきゃいいのにと思った。目が完全に死んでいる。
まだ午前中だと言うのに、約束の4人が早くも到着した。男だらけの校内に一際輝く華が咲く。僕がもしも彼女たちのリーダー的存在だったら、物欲しそうな気配を消すために午後まで時間を潰すだろう。こんなに早く来たら、いかにも「気合入ってます」っていう雰囲気が漂っちゃうじゃないか。でもそんな事はハナから頭にないらしい。一直線に米倉の方へ駆け寄って、黄色い歓声をあげている。視界の隅に僕をとらえて、「一応」って感じでこちらにも挨拶を寄越してきた。その内の一人は「一応」じゃないと勝手に思い込む事にする。
「三島くん ごきげんよ〜♪ 元気だった〜?」
もちろんという意味を込めてニッコリと微笑んでみる。持ち上げた口の端がひきつっていないかちょっと心配だ。多分大丈夫だろう。どっちにしても彼女達の目に僕は映っていないだろうし……。そんな予想に見事に応えて、彼女達は米倉の回りにしっかりと腰を据えてどうでもいい話題を話し始めた。聞いているような聞いていないような微妙な距離を取っておく。
僕は昨日の乱痴気騒ぎを思い出していた。男ばっかり10数人が集まった飲み会で、いつものように米倉と2人で話し込んでいた。喧嘩腰のぶっきらぼうな口調だが、いつも米倉と話すときは笑顔になる。
「三島、おまえ飲みが足んねーぞぉ」
「何言ってんだ。このボトルの半分は俺が飲んでんだ。おまえこそ足らねーぞ米倉」
「あれ? そーだっけか? なんだかよくわかんなくなってきたぞ。ここどこだ?」
「おまえんちだよ。撮影アンド編集の打ち上げでおまえんちで飲んでんだよ」
「そーそー そうだよ。打ち上げだよ。ぶははははは」
「おまえ、そんなんで明日学校行けるのか? 本当に酒弱いな」
「酒が強くて何の自慢になる!男はな、女にモテてなんぼなんだよ」
「あーあー わかってるよ。おまえはすごいよ。かなわないよ」
確かに僕が米倉に勝てる事と言ったら酒が強いことくらいだった。容姿も、学校の成績も、スポーツも、友達の多さも、センスも、何一つ米倉にはかなわないと思う。何故僕なんかとつるんでいるのかと、いつも不思議に思う。このビデオ撮影も米倉の発案で、米倉の演出によるものだった。僕もほんの少しアイデアを出したが、それが面白いのかどうかは自分ではよくわからなかった。でも米倉は僕のアイデアを全部取り入れてくれた。編集が終わったマスターテープの出来は素晴らしかった。笑えた。これで明日の学祭は僕らのものだ。確信があった。
「三島よお。おまえはなんでいつもそんな風に自分を低く見るんだ?」
「見てないよ。でも米倉にはかなわない。事実なんだからしょうがないだろ?」
「たそがれてんじゃねー。喧嘩なら勝てるだろう」
「喧嘩してどうすんだよ」
米倉は一瞬ムっとした顔を見せ、ふらふらした足取りでサイドボードの方へ向かった。米倉の親父の自慢のコレクションが飾られてるやつだ。中から変な形の水筒みたいなものを取り出して戻ってきた。
「三島。おまえにこれをくれてやる。俺が親父から無理矢理ひったくったもんだ」
「これ……。高いだろう。なんだかすげえ彫刻が入ってるよ。意匠を施すってやつか?」
「なんだか知らねえよ。いいからとっとけ。その代わりひとつだけ約束しろ」
「なんだよ」
「俺の葬式には必ず出ろ」
「なんだそれ」
「ついでにこの酒を入れといてやる。明日飲め」
「学校で飲めるわけないだろう。無茶言うな」
米倉の親父譲りのウィスキーフラスコは、それは見事な代物だった。僕はうっとりとフラスコを眺め、揺すって音を楽しんだ。制服のブレザーの内ポケットに突っ込むと、ぴたりと体にフィットする。肋骨を挟んで、心臓と隣り合わせのフラスコ。「撃たれても助かるかもな」と、有り得ない状況を思い浮かべて笑いが滲んだ。
「何ニヤニヤしてんだおまえ。気持ち悪いな!」
「うるせえ。もう返せっつっても返さないからな。気に入った。最高だこれ」
「三島くん、何、微笑んでるの〜?」
白昼夢から一気に現実に引き戻された。顔が真っ赤になるのをさりげなく横を向いて隠し、「いや なんでも」とその場をうやむやにして僕はトイレに向かった。内ポケットのフラスコを取り出し、琥珀色の液体を一気に呷る。さすがにストレートはきつい。その場で吐きそうになったが、もったいないので無理矢理胃に戻す。頭がカーっときた。フラスコの彫刻がぐにゃぐにゃ曲がって見える。5分くらいトイレでぐるぐる回って、また吐きそうになった頃合に教室に戻った。米倉が僕を見てニヤニヤしている。「行けよ」という顔だ。ああ行くさ。言われなくてもな。その薄ら笑いを引っ込めろ! さあ行くぞ! 当たって砕けてやるから、盛大に笑え!
「真由美! 今から……」
と、そこまで叫んだ正にその時、米倉がいきなりウーロン茶の缶を口から落とし、教室の床にゲロをぶちまけた。それはもう盛大に。終わった。台無しだ。僕の一世一代の大舞台は、お持ち帰り用特大ピザの酸っぱい臭いとともに中途半端に幕を引いた。
その晩、米倉から「ごめんな。ぶはははは」という電話があった2時間後、随分遅い時間に真由美からも電話があった。「続きは何?」という言葉には女特有の小狡さが漂っていたが、僕は敢えて素直に続きを聞かせた。家でもヤケ酒を食らっていたからだ。わざわざ缶チューハイをウィスキーフラスコに入れ替えて。