
僕が高校で毎日を楽しく過ごしていたときも、変わりなく荒れていたものたちがいる。僕の卒業した中学は前にも増して荒れていた。連日窓ガラスが割られるために、校内は風が素通しで砂埃がたまっていたという。以前は厳しかった教師も、あまりに荒れる生徒に怯えて手が出せなくなり、校内は無法地帯となった。僕は卒業後も何人かの後輩と接点を持っていたため、いろいろな話を聞かされた。
2コしたのリンタとオマタ、マコトの3人は僕によくなついていた。麻雀のメンツが足りないと深夜でも押しかけてきて僕を拉致した。僕はこいつらに負けた記憶がない。手積みの麻雀では常にイカサマをやっていたので負けるわけがないのだ。それでもこの3人は足しげく僕の家に通い、ときにはパシリとなり、ときには年の差を感じさせない遊び相手になった。
気のいいヤツラだったが、ときにはゾっとするような事件を起こすこともあった。警察にも犯人は特定できなかったが、中学の校長室に放火して大騒ぎを起こしたのもこいつらだった。ニコニコしながら放火のあらましを僕に自慢して聞かせるのだ。僕の目の前では荒れた様子を見せなかったが、暴力沙汰も相当なものだったらしい。身内には優しいが、よそ者には狂犬のように攻撃的なヤツラだった。そんな3人組が最も怖れていたのが僕の1コ下のMという男だった。この男の名は口に出すのもおぞましい。小学校中学校とずっと一緒だったが、まともに目を合わせることさえできないイカレた男だった。
1989年に、僕の家から数百メートル離れたある家で、1人の女子高生が殺された。1988年の11月から40日間監禁され、陵辱されたあげく殺され、コンクリートに詰められて東京湾の埋立地に捨てられた。世に言う「女子高生コンクリート詰め殺人」だ。この事件を起こしたのがMだった。10年以上前の事件だが、僕の住む街では未だに風化していない。興味のある人はネットで検索すればいくらでも事件の詳細をつづったページに行き当たるだろう。だが僕が語るにはあまりにおぞましく、あまりに身近すぎる事件だ。大学で知り合ったカンノという男は、この事件の被害者Jさんの友達だった。
それと前後して、やはり僕の家から数百メートル離れたマンションでは母子が中学生3人組に殺された。僕の4コ下の顔も知らぬ後輩たちの仕業だ。証拠不十分のため中学生3人はそれほど時をおかずに釈放されたが、こいつらは仲の良いものに向かって「アレをやったのは俺たちだよ。警察ってバカだな」と悪びれるでもなく自慢していたという。僕の4歳下の、こいつらと同級生である妹が言っていた話だ。
自分を棚に上げるわけではないが、僕やゲーセンの仲間が引き起こした暴力沙汰や、取るに足らない犯罪とは明らかに異質なものがはびこりはじめていた。風営法によって「不良の溜まり場」のレッテルをはずそうとしたゲーセンは、意図に反して以前よりも危険な場所になっていたのだ。だがしかし、僕はそれになかなか気付かなかった。いや、気付こうとしていなかったのかもしれない。僕の愛したゲーセンは変わりなく僕の居場所であり、故郷のようなものであってほしいと願っていたのだ。以前のように毎日居座りつづけることはなくなっていたが、僕のゲームに対する熱が消えたわけではない。それと同じくらいに楽しいことを見つけることができて、時間の配分が変化しただけなのだ。僕の心を奪うようなゲームが現れればまたゲーセンに帰ろう。そのときには指先がチリチリするような焦燥感は僕を苦しめないだろう。心穏やかにゲームと向き合うことができるだろう。そんなふうに思っていた。だがまだ僕には少しばかりの昔の名残が、ちっぽけなプライドみたいなものがはりついていた。それに気付いていなかった。
1991年、僕をゲーセンに呼び戻す素晴らしいゲームが現れた。そのゲームは、かつての『インベーダー』のように、ゲーセンそのものの形態を変えてしまう歴史的なゲームだった。顔ぶれはすっかり様変わりしていたが、浦島太郎のような心持ちで僕はゲーセンに本格復帰した。触れれば切れるような鋭い顔つきの中学生、高校生にまじってプレイする大学生の僕は、なんだかのんびりした顔をしていたかもしれない。でもそんな自分を好ましく思っていた。
つづく……
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