冷麺 2000年11月

2000年11月04日

K君伝説 2

はっと気付けばまた1ヶ月。月日の経つのはなんとはやいことか(詠嘆)。今日は第1土曜日で、また元バイト仲間の月例会の日だ。ということで、K君伝説2をお送りしよう。K君は酒に酔うと、とにかくとんでもないことをすることで有名だった。今でこそ落ち着いたようだが、当時の無茶ぶりははたで見ていてもヒヤヒヤするくらいの凄さであった。当時彼は24歳。無茶ぶりに拍車がかかる年齢である。

○ K君 井の頭公園襲撃事件

バイトの後輩M君は吉祥寺のそばで一人暮らしをしている。一人暮らしの大学生の部屋は、大抵同級生かロクでもない先輩の溜まり場になるのが相場で、M君もご多分に漏れず僕らの格好の餌食となっていた。飲み会が終わり、酔っ払った集団がM君の家になだれ込む。そこでさらに朝まで飲むというのがお決まりのコースなのである。そんなわけでM君の部屋は僕らに荒らされ放題になっていた。特にひどいのが例のK君で、酔いが回ってくると部屋中にカラースプレーを吹きかけて壁を青くするわ、ベランダで立小便はするわ、スタンドライトを倒して破壊するわ、M君の彼女が置いている着替えを着るわ、「うるさい!」と苦情を言ってきた隣の住人に喧嘩をふっかけるわ、暴虐の限りを尽くしていた。

突然「公園に行こう!」だの「そこら歩いてるやつ殺っちゃおうぜ!」などと意味不明の奇声を発しては部屋を破壊しているK君に、畏れをなしたM君は、これ以上部屋を荒らされてはたまらないと思い、全員で一旦部屋の外に出ることを提案した。

行く先は井の頭公園。深夜でも若者がたむろしていたりするので、酔ったK君を連れて行くには少し危険な場所ではあるのだが、破壊するようなものがないので少しはマシだと思われた。酔いを覚ますにもちょうどいい。

しかしその考えは甘かった。早速公園にたむろしている同年代の少しコワモテの男たちに襲いかかろうとするK君がそこにいた。みんなは若者集団からK君を引き離し、公園の周辺の道路を歩くことにした。

そこでいきなりK君が、どこから拾ったのかわからないがウィスキーの瓶を民家の窓に投げ込み、ガラスの割れる大音響が、夜の街に鳴り響いた。これはさすがにやばいと思ったみんなはK君と共に脱兎の如く逃げ出した。そして走り回りながらもK君の破壊活動は続く。

民家の雨どいや、壁面を這っているさまざまなパイプ類を力任せに引っこ抜く。明らかにその筋の人が乗っていると思われる、スモーク貼りのベンツのドアを蹴りまくってベコベコにする。あげくの果てに、落ちていた棒きれで、民家の玄関先につながれている飼い犬を叩いたり(これは後日誰に聞かせても眉をひそめる最悪の行為であった)している。

一夜にして井の頭公園周辺の住宅街はたった一人の男によって壊滅状態まで追い込まれたのだった。

書いていてあまりにもひどいので、イヤな気分になってきた 笑。しかし僕らは、そんなK君が大好きなのであった。

2000年11月05日

銀座の999.9(フォーナインズ)推奨

そろそろ新しい眼鏡が欲しい気がしてきた。17歳で眼鏡生活に突入してから早14年(!)。2〜3年に一度くらい変えるので、5〜6本くらいの眼鏡を買ってきたことになる。これがなかなか難しい。

「眼鏡は顔の一部です」というCMソングがあるが(今もやっているのだろうか?)、これは正にその通りであって、眼鏡によって相手に与える印象はガラリと変わる。とんがった眼鏡をかければとんがった人に見えるし、フチなしの細いメタルフレームをかければ真面目そうで知的な人に見える。不思議なのは、相手に与える印象だけでなく、自分自身の心持ちも変化することだ。

眼鏡はファッションにもモロに影響を与える。フチなしの繊細な眼鏡をかけると、やはり革ジャンにジーンズという格好では似合わない。少しおぼっちゃん系のファッションじゃないとどうもおさまりが悪いのだ。ファッションが変われば意識も変わる。自然とおぼっちゃん的精神構造になり、行動もそれなりになってしまうのだった。

現在の僕の眼鏡はどちらかと言うと「とんがった系(ぷ)」で、ワイルドな格好をしていてもそれほど違和感がないという、なかなか応用範囲が広い便利な眼鏡である。これを超える便利な眼鏡となるとなかなか見つからないのだ。しかし同じ眼鏡をずっとかけつづけていると飽きるのも確かで、困っているというわけである。

「んなもん コンタクトにすりゃいいじゃん」という考えもあるが、これが結構めんどくさい。失くす可能性も高いし、毎日の煮沸消毒もうんざりだし、使い捨てはコストが高い。眼鏡はそういった点でとても楽なのだ。

小学生、中学生の頃、僕は眼鏡をかけることにちょっとした憧れを抱いていた。なんとなく知的そうなのが良かったのだ。「あ〜 早く視力落ちないかなぁ〜」などと安易に考えていたのだが、いざ高校に入って視力が落ち始めると愕然とした。なんだか逆に自分がバカになっていくような気がするのである。これは視力がいい人にはわからないかもしれないが、視力が落ちると全体がボヤけるだけでなく、なんとなく視界が狭くなったような気がするのだ。

視界が狭まるということは、自分をとりまく世界との接点が減るということである。鋭くアンテナを張って外界の情報を貪欲に取り入れていたのが、なんとなく酒に酔ったようにボンヤリと自分の内に閉じこもるような感覚に陥る。これがなんともイヤな感覚なのだった。

眼鏡は外界と自分をつなぐ重要なパイプである。安易な選択は死を招く(大げさ)。なので毎回とても悩むのである。

2000年11月08日

「必要だから買う」それはオヤヂへの道

今じわじわと「ノートパソコン欲しい病」が僕の心を蝕み始めている。

「CE機ってのがひっかかるけど、シグマリオンかっこいいよなぁ。ゼロハリバートンデザインってのが、僕の持ってるアタッシェケースとお揃いだし、どうせやることといったら、RubberMenの文章を出先で書くことくらいだし、これで決まりかなあ。なんと言っても安いしなぁ」

「いやいややっぱりVAIOのC1でしょ。CrusoeのCPU搭載でバッテリー駆動時間が飛躍的に伸びたし、やっぱアプリのこと考えたらCE機じゃダメダメだよ。EmEditor使わないと文章書く気すら起きないじゃん? あとさー使わないけどCCDカメラ付いてるのがなんかいいよねぇ。外観もシグマリオンには負けるけどかっこいいしねぇ」

「こらこら、あんな狭い液晶でまともに文章の編集なんて出来るわけないっしょ。ネットにだって接続するんだから、あんな狭い画面じゃWEBページが表示しきれないよ。やっぱここはNECから出たLavieMXでしょう。なんとOSはWin2000プリインストールだし、同じCrusoeでもバッテリー駆動時間は驚異の11時間よ? VAIO-C1なんて5時間とは言ってるけど実際のところはたったの3時間程度じゃん。コストパフォーマンス的に言ってもこれに勝るもんないっしょ」

「そうきたか おい。でもさあ LavieMXって、解像度SVGA(800x600)じゃんかよー。C1は狭いっつったって、横は1024あるんだぜ? 縦スクロールは許せても横スクロールは許せないだろ〜」

「何ごちゃごちゃ言ってんだよ。金ないっつの! シグマリオンで決まりちゃうん?」

「あんな小さい筐体でタイピングできるかー。モバイルの意味をもう一度良く考えろよ。金なんてリボ払いでなんとでもなるじゃんかよ!」

「うっさいハゲ! C1が一番かっこいいんじゃ!」

「C1なんて結局外付けCD-ROMドライブ買わなかったら、スタンドアローンのおもちゃじゃねーかよ。つーかメモリースティックなんてむかつく記憶メディア使いたないんじゃ!」

「えーい 黙れ! おまえら みんな出て行け! ノートなんかいらねー。デスクトップの最上機種買え!!」

「(゜ロ゜; (゜ロ゜; (゜ロ゜; 「「「おまえ誰……」」」」

以上、独り言でした 笑。

2000年11月09日

流浪の無断リンカー

誰に強制するわけでもないんだが、「無断リンク」を強く推奨したい。そもそものインターネットの成立の歴史からひも解く必要があるかもしれないが、とにかくネット上において「無断リンク禁止!」とか「うちは相互リンクしか受け付けません!」と言うのは「あんたちょっとおかしいんじゃない?」って思うのだ。

まあ いやがってるものを無理にリンクしようという気にはならないから別にいいといえばいいんだが、「リンクされたくないならアップしなきゃいいのに……。それとも許可を与えることに喜びを感じてらっしゃるの?」とも思う。許可を貰ってまでリンクを貼りたいとは思わない。

ただし、無断リンクにも礼儀は必要だ。画像や実行ファイルに直リンをかますのは、さすがに製作者に失礼だろう。

この最低限の仁義さえわきまえていれば、どこのサイトにリンクを貼ろうと、それは貼る側の自由だと僕は思っている(実際は僕もこの仁義すら守っていないこともあるんだが……)。法律の問題を言っても詮無いが、仮に「無断リンク禁止」と言っているサイトに無断リンクしたら、それは罪になるのだろうか?

相互リンクというのも、お互いがお互いを認め合っていて自然と相互になる分には全然かまわないが、どちらかが実は「あんまりこのサイト好きじゃないなぁ」と思っているのに、「相互リンクしましょう」という呼びかけに負けて、しぶしぶ相互リンクするというのでは、かえって相手に失礼だ。

「そのサイトを好きになった人が、勝手にそこにリンクを貼る」

これはとても理にかなっていて美しい姿だと思うのだがどうだろう? まあ表に出るとまずい、UGサイトなどはこの限りではないのかもしれないが……。

ってことで、今日とても嬉しいことがあった。アクセスログを見ていたら、見慣れないサイトのリンク集から訪問者が来ていたのだ。すぐさまそのリンク集に行ってみると、恐がりが紹介されている。たとえ紹介文が「このサイトつまんね〜 逝ってよーし」だとしても僕としては嬉しいのだが、そこでは恐がりがかなり好意的に紹介されていたのだった。

素晴らしいサイトに無断リンクしてもらってご満悦。全員焼肉おごってあげよう。

PLANET LISA
lisaさんありがとう。

2000年11月10日

BoD

BoDというコンテンツは「Buy or Die」の略である。これは元々、買い物指南のコンテンツにしようと思っていたもので、「買え! さもなくば死ね!」という、消費行動にとり憑かれた物欲の亡者ども(つまり自分)へのサバイマルマニュアルになる予定だったのである。

僕が買い物において最も気をつけている点は、「価値に見合った専門メーカーを狙え!」というシンプルなものである。

ジーンズを買うならリーバイスやリーを選ぶべきであって、DCブランドで買うべきじゃない。時計を買うならロレックスを選ぶべきであって、宝飾品メーカーで買うべきじゃない。靴を買うならオールデンを選ぶべきであって、プラダやグッチなどの服飾ブランドで買うべきじゃない。

とかく、エルメス、グッチ、プラダといった、高級ブランドで買えばOKみたいな考え方はなんともナンセンスだ。特にハンカチや靴下、傘といった、どうでもいいものを高級ブランドで買うことほどバカげたことはない。当然知っているだろうが、こういうものはライセンス生産といって、プラダやグッチが直接作っているわけではない。ライセンスを受けるからにはそれなりの品質を、ブランドによって保証されてはいるのだが、そこにはブランドのタグが付くというだけで、とんでもない価格の上乗せがある。

ブランドネームを買うということは、それはそれでひとつの理に適った購買動機ではあるのだが、「このブランドから出ているから品質も1流で、価格も価値に見合ったものだ」と考えるのは大きな間違いだ。靴専門の1流ブランドであるオールデンに、既製服が専門のプラダが靴の品質で対抗しても全く勝ち目はない。そこらへんをよく理解した上で、敢えてデザインやブランドネームを高い金を出して買うのなら特に問題はない。

世の中には余り名の知れていない専門メーカーがごまんとあり、そういうところを狙うのが賢い買い物であると思うのである。特にライセンスを受けるのではなく、高級ブランドに品質を認められ、頼み込まれて生産を請け負っているようなメーカーは、狙い目だ。

というわけで、グッチを買うなら服、ヴィトンを買うなら革カバンが正解。エルメスはちょっと変わっていて、ここは元々馬具が専門だったので革製品がいいのだが、昔から専門メーカーの製品をセレクトショップのように置いていた伝統があり、各種の小物にも非常にいいものがある。

セーターが欲しいと思ったら、まずはセーター専門で何10年もやっている職人がいるようなメーカーを探すべきだ。デザインが多少古めかしくても、それはそれで長い伝統によって培われた意味のあるデザインと思えば愛着も湧く。

2000年11月11日

The FLASH Master

セクシーHPのトップページを作っているぬらりんのFLASH習得が目を見張るレベルに来ている。ご存知の方も多いかもしれないが、ぬらりんはつい最近まで「エクスプローラー」すら満足に使いこなせなかった、チャットオンリーの超スキルなし主婦であったのだ。

それが今や、多くの人から尊敬の眼差しを向けられるフラッシュマスターへと一気に変貌しつつある。彼女はHTMLを全く知らない人にまで、「FLASH使うとHPなんて簡単に作れるよ〜」と誤った情報を仕込むほど手足のようにフラッシュを使いこなしはじめた。

これは自称「先生」を名乗る僕としては非常にまずい事態だ。最初の内こそ「あーだこーだ」と教えていたのだが、今では「う〜ん ここはどうかな……。もうちょっとかっこよくしたら?」などという、漠然とした難癖をつけるのが精一杯になってきている。「じゃあ あんたかっこいいFLASH作ってみてよ」と、いつ言われるかビクビクしながら文句だけつけるのは、とても心臓に悪いのだ。

というわけで、永らくほったらかしにしていたBoDのフラッシュコンテンツを近いうちに更新しようかと思う。あるいはサイト内の要所要所で、フラッシュを効果的に使ってみようと思う。

フラッシュ単体では非常に作成が難しい3Dアニメーションや、思わず目を引く凝ったギミックを取り入れてみようと野心を燃やしているのだが、いかんせんブランクが長すぎて、かなり不安である。下に書いた架空の会話みたいにならないように頑張って精進しよう。

「ねえねえ ぬらりん、ちょっといい? あのさ、ここ、こうしたいんだけど、どうしたらいいかな……?」

「ぷっ あんた、まだそんなレベルで悩んでんの? そうやってすぐに人に頼る人は教えて君って言って、ネットじゃ嫌われるのよ? それにさーもっと具体的に質問してくれないと答えようがないよ。あーもうイライラする! 初心者ってこれだから嫌い!」

「(゜ロ゜; ……初心者って……」

ひぃぃいいいい 笑。

2000年11月12日

ホラー論

小心者の恐がりのくせにホラー映画をかなり観たクチだ。僕が映画に興味を持ったのは小学校高学年からだが、その当時からSFとホラーが大好きで、かなりの本数を観たと思う。集英社の下請けでゲームの攻略記事を書いていた頃、編集部で僕の世話をしてくれていたヨネダという人がこれまたホラーマニアで、自宅に膨大な量のホラービデオコレクションを抱えていたので、借りまくって観まくった。日本未公開の知る人ぞ知る名作なんかを、英語のまんまで観たりもした。

先日映画にはうるさいことで有名なabaちゃんとホラーの話で少し盛り上がったのだが、ホラー映画というのは絶対的に観た時の年齢が評価に直結するジャンルだという結論が出た。ホラーは観つづけると、どんどん耐性が出来てしまって恐くなくなってくる。必然的に幼い頃に観たものは「恐い!」という点で評価があがるのだ。

ちなみにabaちゃんが夜眠れなくなるほど恐かった映画は『バタリアン』だそうだ 笑。2人して「あれは今見ると爆笑もののお笑い映画だよねぇ」と感慨にふけった。

僕の記憶に残る、最も恐かった映画は『遊星からの物体X』である。まだホラーに対する耐性が出来始めの頃の中学1年生当時(実に18年前!!)、公開初日に映画館で1人で見たのだが、これが本当に恐かった。どれくらい恐かったかと言うと、思わず上映途中に映画館から逃げ去ろうとしたくらいだ。ほとんど泣きそうになりながら最後まで観たのだが、半分くらい目をつぶっていたような気がする。

それからはとり憑かれたようにその映画の虜になり、毎日毎日教科書の片隅に物体Xのイラストなんかを描いていた。恐いんだけど惹きつけられるのだ。ビデオになってからも数10回は観たと思う。しかしさすがに今観ると恐くはない。もう完全にホラー映画に対する耐性が出来上がっているからだ。

最近だと『ブレアウィッチプロジェクト』がかなりイイ出来だった。これを超えるものを観てみたい。

2000年11月13日

1人の怒れる男

以前映画館で怒りの爆発を起こしたときの話を書いたが、今日はルイ・ヴィトンの話。

銀座の並木通りは超1流ブランドが軒を連ねるところで、ジーンズにTシャツで歩くにはちょっと辛い場所である。あからさまに「あんたの来るところじゃないわよ」という顔をする店もあれば、「う〜んさすが1流、接客も1流だね!」と思わせる店もある。

その日僕は映画を観たついでに、エピの小銭入れが欲しくてルイ・ヴィトンの路面店に寄った。もちろんいつものようにジーンズに黒いTシャツ、ピアスにリングといういかにも小僧といった感じのいでたちだった。店内はほどよく混雑しており、一見ヤクザ風の派手な中年オヤジがトランクを何個も店員に出させて品定めをしていた。どうやら2〜3個買うつもりらしく、店員の目の色も違っている。

エピの小銭入れ(黒)は売り切れになっていることがよくあるので、僕はとりあえず在庫があるかだけを聞こうとして、ヤクザに接客中の店員に呼びかけた。

「えーとあの……」という僕の声をさえぎるように
「ただいまこちらのお客様とお話し中でございますから、少々おかけになってお待ちくださいませ」

うむ。おっしゃる通りだ。仕方なく店内のソファに腰掛けて順番を待つ。10分ほど待っている間にヤクザは2つのトランクを購入して、店を去った。しかし次から次へとショーケースの周りには人が押し寄せ、店員の手が空く様子はない。ソファから立ち上がり、再び店員に声をかけるが

「申し訳ございません。こちらのお客様が先でございますから。少々お待ちくださいませ」

こいつは順番の概念を理解しているのか? その後店内がすいてきても、ソファに腰掛けている僕に「お待たせいたしました」の声はかからない。1瞬だけ手が空いた店員にすかさず近寄り、やっとのことで話を聞いてもらえた。30分近く待っただろうか?

「ええとあの、エピの黒い小銭入れはありますか?」
「ただいま在庫切れになっております」

30分待たせた挙句の答えがこれか! ヤクザに接客していた店員も呼びつけて、散々説教を食らわせてやったが、向こうにしてみれば「ジーンズにTシャツの小僧が、何偉そうなこと言ってんのよ」と言ったところだろう。表情にもあからさまにそれが表れていた。

以前女の友人がニューヨークに旅行したとき、タンクトップにショートパンツという素晴らしくラフな格好でティファニーに入ったのだが、店員は「日本からわざわざありがとうございます。せっかくですからこちらの方もご覧ください」と言って(もちろん英語)、買えるわけもない高額商品で埋め尽くされたサロンの方まで案内してくれたそうだ。もちろん店もヒマだったのだろうが、見るからに購買力のない貧乏旅行のバックパッカーにまでしっかりした接客をしたティファニーの店員は、サービスというものを理解している。

それに比べて日本のヴィトンの店員の勘違いはどうだ。偉いのはルイ・ヴィトンであって、それを売っている販売員が偉いのではない! こういことがあった日は1日不機嫌な気分になる。

でもソフトクリームを食べたら幸せな気分になった 笑。甘味とは恐ろしい。

2000年11月14日

4歳から始める帝王学

4歳で幼稚園を恐怖のどん底に叩き落し、帝王として君臨してた時代の話。当時はまだ空き地なんてものがたくさんあって、草ぼーぼーの空き地にはカナヘビとかカマキリとかがたくさん生息していた。帰り道にそういう空き地に寄り道して、ちょっとした冒険をするのが子供の定番。僕はその日、帝王としての自分に課す過酷な訓練に「人は目をつぶってどれだけ歩けるか」というものを選んだ。

目をつぶって空き地を歩くのはすごい恐怖との闘いである。しかしこれに打ち勝ったとき、僕はまた1段上のレベルの帝王たりえるわけだ。で、案の定転んだ。転んだ先にちょうどでかい石があった。石は膝を直撃して、膝がパックリ切れた。「うわっ」と思った1瞬あとに、膝から大量の血が流れ出てきた。

すぐさま近くの病院に担ぎ込まれ、膝を縫合することになった。初老の医師は厳しい口調で親に怪我をした状況やら僕の歳やらを聞いてくる。その間僕は帝王たるべくジっと痛みをこらえていた。幸い傷はさほど大きくなかったので3針くらい縫えば済むとのこと。医師は僕の意思とは無関係に、麻酔なしでの縫合手術を行った。たった3針なので、いちいち麻酔するのもまどろっこしかったようだ。

手術の間、僕は一言も声を発さずに痛みに耐えた。天井の1点をみつめ、歯を食いしばって耐えていると、あっと言う間に手術は終わった。

手術後、医師は僕の母親にこう聞いたそうだ。「ええと この子はクチがきけないのかな?」

そういえば空き地で膝を切ってから手術が終わるまで、僕は一言も喋っていなかったのだった。ショックで一時的な失語症状態になっていたのだ。しかし僕は「これで園の伝説になったな」と密かにほくそえんだ。

実際には「目つぶって歩くなんてバカじゃねーの?」という評価が与えられたのだった。チャンチャン

2000年11月15日

世にも奇妙な……?

先日車で都内を走っていたら不思議な出来事に遭遇した。

谷中霊園に近い、車2台がやっとすれ違える程度の細めの道だ。ここは前方にある信号のせいでかなり渋滞する。普段は怒りっぽい僕だが、道路の渋滞ではさほどイライラしない。大抵 車の中に読みかけの新聞や雑誌が放りこんであり、渋滞中はそれらが読めるのでむしろ落ち着くのだ。

ただその時はたまたま活字が何もなかった。仕方なくぼんやりと外を眺めていると、初老の女性が前方から歩いてきた。民家とも会社の事務所ともつかない不思議なたたずまいの建物の前でふと立ち止まり、引き戸の前に置かれているゴム製のマットに手を伸ばした。と、そのとき……。

バババババッ!!!

と閃光が走り、女性と車の中の僕は同時に飛び上がった。引き戸のガラスの向こうからカメラのフラッシュが連射で焚かれたのだ。意表を突かれて女性も僕も茫然としてしまった。一瞬呆けた顔をしてから女性がいきなり逃げるように走り出した。

一体全体何が起こったんだ? 事態がよく飲み込めない。目を凝らしてマットをよく見た。そして謎が解けた。

ゴム製のマットの上には100円玉が1枚置いてある。どうやらこれは接着剤か何かでしっかりと貼り付けられているようで、女性はこれを取ろうとしてひっかかったのだ。恐らくゴム製のマットの下にはコードが隠されていて、100円玉に触れると扉の中のカメラが作動するという仕組みなんだろう。まったくもっていやらしい悪戯だ。

前の車が走り出したのでそれ以上見ていることは出来なかったが、ドアミラー越しに扉の中から出てきた建物の主人らしき人物がちらりと見えた。髭面の浮浪者じみた男だった。

わざわざ金をかけて手の込んだ悪戯をするのは僕も大好きだが、なんだか今回見たものはあまり気分の良くない悪戯だと思った。彼は撮った写真をいったいどうするのだろう? コレクションにして悦に入るのであれば、あまり誉められた趣味とは言えない気がした。

2000年11月16日

叙々苑 鉄の掟

焼肉のことをよく知らない若い女性(10代〜20代)がとても多いことによく驚く。「焼肉嫌い!!」って子はほとんどいないのに、注文の仕方や、焼き方、肉の名前をまるで知らないのだ。大抵お任せになって、僕が注文したり焼いたり、食い方を教えたりすることになる。(といっても 年中いろんな女性と焼肉食いに行ってるわけではない)

まずびっくりするのが「タン塩」だ。焼肉ではド定番なのだが、これをよくわかっていない。放っておくと焼きあがったタン塩にいきなりタレをつけて食い始めたりする。これはレモン汁をつけるか、或いは何もつけないでいただくのが正解だ。タレをつけるなら普通の「タン」を注文するべきである。肉質も違い、「タン塩」の方はタレ用のものより高級な肉が使われている。

さらにびっくりするのは「カルビ」しか食わない子だ。肉の名前を知らないからなのか、それとも死ぬほどカルビが好きなのかわからないが、とにかくカルビしか食わない 。こういう子に注文を任せるとカルビとロースでテーブルが埋め尽くされたりする。

カルビはとても脂が多いので、ダイエットを気にしている女性にとってはあまりよろしくない肉だ。ロースは食感がよくないし、どうせだったらカルビに味も似ていて低カロリーでさらに安価な「ハラミ」を注文するのがオススメだ。あまり本格的でない焼肉屋などにはおいていないこともあるが、もしあったら是非これにしてもらいたい。

究極にやばいのは「ユッケ」を焼いてしまう子だ 笑。ユッケは生のまま刺身で食べるものであって、焼いてしまったら何の意味もない。これは良くかき混ぜていただくのが正解。

その他にもセンマイだのナムルだのコブクロだの、どんなものだかよくわかっていない子があまりにも多い。恐らく小さい頃から焼肉は家でしか食べたことがなく、たまに焼肉屋に行っても食い放題の店などに連れていかれていたのだろう。10代〜20代の女の子同士で焼肉屋に行くというのは、考えてみればなかなかレアな体験なのかもしれない。

ということで、ひとつの結論が導き出される。それは「焼肉に詳しい女の子には男の影がある」ということである。10代で「あたしはハラミと上ミノね。あとニンニクのホイル焼きとサンチュ〜♪」とか言い出す子は相当な経験を積んでいると見て間違いない。

2000年11月17日

道は歩くためにあり

高校生当時の話

校門をくぐるとどうもいつもと様子が違う。人があまりにも少ないのだ。不安感で汗がぶわっと吹き出てくる。教室に入ると、見慣れないがらーんとした空間が広がっていた。出来るだけ平静を装い体育館に向かう。部活は多分やっていると思ったからだ。やっと馴染みのある顔に出会えて安堵感を覚えた。

「おまえバカか? 今日創立記念日じゃん」
「(゜ ロ゜;グハッ」

眠気との格闘、満員電車でのオヤジの整髪料の臭い、遅刻ギリギリの校門までのラストスパート、走馬灯のように苦労が脳裏をよぎる。怒り。やり場のない怒り。怒りはパワーとなって僕の体を突き抜けた。友人の嘲笑を背中いっぱいに受けて歩き出した。歩くことでパワーを放出するのだ!

今でこそ都内の道路は頭に入っているが、当時はそんな知識はない。原始的に太陽の方向を頼りにして家を目指す。どんなに疲れても絶対歩みは止めないと決意している。普段は絶対に見ることもない通学路を、思いのほか楽しい心持で眺めて歩く。そして5時間を過ぎたあたりから足の痛みと全身の疲労で、そんな気持ちも吹き飛んでいく。

最短距離なら10数キロなのだが、後になって計算してみるとどうやら20Km以上は歩いたようだった。9時間かけて家にたどり着いた。得た教訓は「昼間に学生服でうろうろしていると職質をかけられる」「革靴で9時間歩くと底に穴があく」だった。

2000年11月18日

猫の舌はザラザラで痛い

以前鍋の話を書いたときにちょっと触れたが、僕は極度の猫舌だ。僕のバイト時代からの盟友、純さんは熱いものは平気なタチで、「自分は犬舌っス!」とよく言うのだが、犬だって熱いものは苦手に決まってる 笑。

ところで初めて親以外の人と外食をしたのはいつだか覚えているだろうか? 僕は記憶を辿ると、どうやら中学生のときにダブルデート(うはっ この言い方はかなり恥ずかしい)をしたのが初めてだったような気がする。遊園地か何かに行った帰りにファミレスに寄ったのだ。

中学生というものは自意識の塊のようなもので、どうでもいいことにものすごくこだわったり、かっこつけたり、見栄をはったりする。僕はそのファミレスでエビドリアを注文したのだが、これが失敗だった。

他の3人の注文した品が先にテーブルに供されたのだが、僕に遠慮して誰も手をつけない。当然気を使って「いや 俺はいいから 先に食っててよ」と言うことになる。遅れて出てきたエビドリアは出来たてのアツアツ。他の3人はほぼ半分くらい食い終わっている。必然的に僕は猛スピードでエビドリアを食わなければ、他の3人に追いつかない。追いつかなければ、「昼休みにみんな校庭で遊び始めているのに、最後まで牛乳が飲めずに給食を終わらせられないダメっ子」の烙印を押されてしまうのだ。いや押されないが、自分の中では押されたも同然なのだ。

そしてもうひとつ悲劇的だったのは、「ドリアをよく混ぜてふーふーしながら食う」のが、僕の中では下品でかっこ悪い事だという、どうでもいい、誤った固定観念があったことだ。混ぜずに食べるドリアは恐ろしく熱い。そして案の定口の中を火傷した。普段なら慌てて吐き出したりするところなのだが、デートの最中にそんなことは出来ない。口の内側の皮膚がべろべろに爛れているのだが、おくびにも出さずに一気にドリアをたいらげた。そう 涼しい顔をして。

それから10日ほどは、まともに食事が出来なかったのは言うまでもない。簡単に書いているが、そのときの火傷はちょっと言い表せないくらいの重傷だった。全くもってバカの塊である。

教訓 ふーふーして食べよう。

2000年11月20日

本当にあった怖い話 part2

今回は小細工なしで本当にあった怖い話を書こうと思う。大学生当時の話。

日本全国に「心霊スポット」と呼ばれる場所があるが、僕も友人数人で「なんかヒマだな〜。ドライブでも行くか」なんて時には(やはり夏が多い)そういった場所によく行ったものである。神奈川県逗子市の『小坪トンネル』はかなり有名な心霊スポットだ。ご存知の方もいるかもしれないが、あそこはトンネルの真上が火葬場というとってつけたような場所で、「トンネル内でクラクションを3回鳴らすと出る」という噂がある。

23時を回ったくらいに出発した僕らは、ちょうど良さげな25時過ぎに小坪トンネルに到着した。もちろん往きの車中では、それぞれが知っているとっておきの怪談で心霊ムード(?)を盛り上げてある。しかしここはあまりにも有名な心霊スポットなので、夏の深夜はまるでコンビニの駐車場のように若い男女が溢れかえっているのだった。当然気分は盛り下がる。

半ば義務感のようなもの感じつつクラクションを3回鳴らしてみるが、やはり幽霊などは出てこなかった。しかしせっかく来たのだからという理由で、写真撮影をすることにした。車をトンネル入り口(出口? どっち?)付近に停め、カメラを用意する。全員怖いという気持ちは微塵もなく、にこやかに写真撮影を行った。

そして数日後。現像があがった写真を見て愕然とした。ピースサインでおどけているはずの僕の右腕から先が、すっぽり消えていたのである。Tシャツの袖は確かに少し持ち上がり、中に腕が通っているような膨らみを帯びている。しかしそこに腕はないのだった。まるで透明の腕がTシャツから生えているかのように……。

しかも明らかにあがってきた写真の枚数が、撮った枚数より少ない。失敗した写真というのは現像の段階で、現像屋が気をきかせて廃棄して料金が上乗せされないようにすることがよくあるが、どうやらそんな感じで「実は撮れているのに、手渡されなかった謎の写真」がたくさんあるようなのだ。

現像屋に問い合わせて、「失敗した写真も全部ください」と言うこともできるが、その手渡されなかった写真に何が写っていたんだろうと考えると、とてもそんなことは言い出せなかった。「お客さん、本当にいいんですか? 見ない方がいいと思いますよ……?」なんて言われたら卒倒してしまう……。

さすがに怖くなってお祓いをしてもらおうと思ったのだが、めんどくさかったのでやめた! 以上!

2000年11月21日

受験シーズン特別企画

本を読まないと漢字が全然覚えられない。本を読んでいても、読めない漢字をすっ飛ばしていると全然覚えられない。本を読み、読めなかった漢字を調べた人だけが漢字を覚えられる。今日は趣向を変えて難読漢字の抜き打ち読み方テスト。「はい 教科書しまって〜」

1 畢竟 11 傾城
2 鑑みる 12 詳らか
3 慮る 13 賢しら
4 屠る 14 所謂
5 肯ず 15 所以
6 額づく 16 雲呑
7 須らく 17 打擲
8 就中 18 猩々
9 尤最 19 舎人
10 病葉 20 跪く

1問5点で合格点は40点とする。最初の10問は結構難しいかもしれない。では はじめっ!

模範解答は明日かそれ以降に。

2000年11月22日

結構小説には出てきたりする

えーおほん。それではこれより答案用紙を返すので、出席番号順に並ぶように。尚、他のクラスの者に見えないように、フォントカラーを白くしている。以下の妙な空白の部分をマウスでドラッグするか、ブラウザのメニューから「編集」→「すべて選択」をやるように。そうすると模範解答が見えるようになっている。

1 ひっきょう 11 けいせい
2 かんがみる 12 つまびらか
3 おもんぱかる 13 さかしら
4 ほふる 14 いわゆる
5 がえんず 15 ゆえん
6 ぬかづく 16 わんたん
7 すべからく 17 ちょうちゃく
8 なかんずく 18 しょうじょう
9 ゆうさい 19 とねり
10 わくらば 20 ひざまずく

意味は各自、辞書で調べるように! 以上!

2000年11月24日

らいおんはーと

今日は珍しく芸能ネタでもとりあげてみよう。キムタクと工藤静香が結婚だそうだ。真っ先に頭に浮かぶのは、芸能人の業界での位置付けの変化は激しいなぁということである。

スマップがデビューしたとき、僕が最も強く感じたのは「ついにジャニーズにもロンゲが登場したかぁ」ということだった。それまでジャニーズといえば、変なパーマの短髪が主流で、ロンゲというのはアイドルにあるまじき髪型であったと思う。キムタクのデビュー当時はつるっとした肌の端正な顔立ちにロンゲが非常に目立っていた。

そして忘れてならないのは『夢がモリモリ』という番組である。森口博子と森脇健児をメインに据えたこの番組で、スマップはデビュー直後の冴えないアイドルグループとして、毎週くだらない企画モノをやらされていたのだ。言うなれば森脇の添え物としてキムタクがいたということである。この当時、芸能界では音楽が下火で歌番組などはほとんどなかった。必然的にアイドルグループはイロモノ企画をこなすしかなかったのだ。今でこそTOKIOやV6はイロモノもなんなくこなすが、ジャニーズがそういった分野を担ったのはスマップが初めてだと思う。

しかし今ではキムタクと言えば誰もが認める若手俳優のトップスターだ。僕自身もとてもかっこいいと思うし、キムタクの出るドラマなら見てみたいという気持ちも大いにある。全くすごい大化けをしたものだ。

もう一方の工藤静香はと言えば、これは誰もが知っているだろうがおニャン子クラブの出身である。おニャン子というのは素人がオーディションを受けて番組の柱になるというスタイル(まさにモー娘のスタイルだ)を作り上げた、素人あがりのアイドルグループという印象が強い。しかし工藤静香は、実はおニャン子に入る以前に既にデビューを果たしていた売れないアイドルだったのだ。事務所の意向だかなんだか知らないが、一旦アイドルグループで売れなかったので、おニャン子に入れて再デビューさせたという、敗者復活のセミプロだったということである。

これも今ではすごい地位を確立するに至っている。おニャン子時代からグループの中ではズバ抜けた歌唱力を認められていたが、今現在の芸能界での位置付けは、「うまい歌手」以上のモノがあるだろう。それは彼女の話言葉に表れている。あれだけナチュラルにタメ語でエラそうなクチを聞ける女性はなかなかいない。ダウンタウンですら、彼女にきついツッコミを入れるのにはためらうほどだ。

こんな「元 冴えない2人」が今では芸能界No.1のビッグカップルと呼ばれるまでになったのだからすごいことだ。元々持っている才能だけではとてもここまで登りつめることはできないに違いない。つくづくこの世界は厳しいのだろうなと想像するばかりである。

ちなみに僕は今回の結婚に関して、他に何の印象も持っていない。酒井法子と森高千里が結婚したときには「なんでだよ!!!」と怒ったクチではあるのだが 笑。

2000年11月26日

僕にプレゼントしてくれた人たち ごめんなさい……

30過ぎたオヤヂが持っていてもそれなりに格好がつき、尚且つ貧乏臭さをあまり感じさせないアイテム。それがジッポーだ。値段にはとても幅があり、2000円くらいで買えるような安いものもあれば、ウン10万円もする高級品もある。しかしどんな値段のものであろうと、ジッポーが持つ魅力に違いはない。

修理を繰り返して1個のジッポーを長い間持ちつづけるのが理想なのだが、これがなかなか難しい。ライターというものは忘れ物ランキング不動のNo.1に君臨しつづけているアイテムだからだ。とにかくよく失くす。飲み屋に行ったときは常に気にかけていないと、ほぼ100%の確率で失くしてしまうのだ。僕自身、もう数え切れないほどのジッポーを失くしてきた。でも好きなので、失くすと必ず新しいものを買うようにしている。

大学3年生くらいの頃だったか、当時つきあっていた彼女から非常に高価なジッポーをプレゼントされたことがある。スターリングシルバーで恐竜の絵が彫りこまれており、シリアルナンバー入りの限定品だった(ジッポーの限定品というものは実は大して価値があるわけではない)。5万円近くもする逸品だったのだが、なんと もらったその日に電車の中で落としてしまった。真っ青になって探したのだが当然見つからない。しょげかえっている僕を見かねて、彼女は次の日に同じモノを再び僕にプレゼントしてくれた。

「シリアルナンバーは違っちゃったけど これも誕生日プレゼントだから♪ 今度は失くさないように大事にしてね♪」

涙が出るほど嬉しかったのだが、話はこれで済まない。なんと2個目のジッポーも1週間ともたずに失くしてしまったのだ 笑。さすがに彼女も呆れかえって、それ以降どんな安いジッポーでもプレゼントしてくれなくなってしまった。

海外旅行に出かける友人には「お土産何がいい?」と言われたらジッポーをねだるようにしている(ただし「安いモノ」「僕が失くしても怒らないこと」を条件に)。その土地土地のデザインをあしらった、ちょっとダサイくらいのものが逆にいい。そんなこんなで一時期は10個近くの海外ジッポーが手元にあったのだが、それも全部失くしてしまった。今では2000円で買える、一番安いジッポーを失くしては買い、失くしては買いである。

ところでオイルを入れたばかりのジッポーには要注意である。ジーンズのポケットに無造作につっこんだりすると、間違いなく沁み出たオイルのせいで、肌が真っ赤にかぶれる。炎症を起こすと、1日ヒリヒリして大変なことになる。気をつけていただきたい。

2000年11月27日

汝の隣人

少し抽象的な話。

まったくもって世の中に絶対的な価値などありはしない。という命題は発せられた時点で既に矛盾しているのだが、僕の中ではこの考え方はかなり自信をもって言える部類に入る。これはアメリカという国の成り立ちにも似ている。自由を謳う者は、それに反する者の自由をも認めなくてはならないという矛盾を孕んでいるからだ。しかしアメリカは非民主的であることを許さない。これはアメリカという国の存続に関わる問題だからだ。同じように僕の中でも、僕自身の存続に関わる問題として、「世の中には絶対的な価値がある」という命題については認めるわけにはいかない。たとえ僕の考えが「間違い」であったとしてもだ。

物の価値を決めるのは個人の主観であり、これを押し付けてくる人には辟易する。僕が「価値がある」と認めるものは他人にとってはまるで価値がないかもしれない。それを承知の上でレコメンドすることは特に問題ないと思うのだが、相手がそれを認めないからといって、怒ったり、攻撃したり、相手を蔑んだりすることは愚の骨頂だ。同じように僕に対してレコメンドする立場にある人には、僕がそれを拒んだとしても、それ以上の強要をしてほしくない。

これは多くの血が流れた宗教戦争や、巷にはびこる詐欺商法や、もっと身近な友人同士の喧嘩にいたるまで、広く適用できる「モノの捉え方」として、僕はとても気に入っている。

中学生の頃、モルモン教徒の人に熱心な勧誘を受けたことがある。彼は僕に「聖書を読め。全ての真理はそこにある」と言った。全ての真理とは、既に自分の中にあるものの別名に過ぎないのではないかと思った。そして僕は彼にこう質問した。

「キリスト教は一神教だと考えていいんですか? だとしたら、世界でどれだけの人数がいるかわかりませんが、イスラム教を信仰している人たちは皆間違いをおかしているのですか?」

彼がなんと答えたのか忘れてしまったが、とにかく僕は拒絶したわけだ。これはひとつの選択であって、間違いであるとか、正解であるとかの問題ではない。彼は悲しい顔をして僕の前から去った。世の中には不毛な議論が山のように溢れている。

なんでこんなことを思ったかというと、お昼の2時からやっている日テレの『ザ・ワイド』にデヴィ夫人が出演していて、コメンテーターや「パラサイト発言」で有名になった某プロデューサーとすごい論争を繰り広げていたからだ。個人の主観を揺るがすものは敵ではない。それは単に話し相手にすぎない。

2000年11月28日

なぜ読むのか そこに文字があるから

何をもって活字中毒というのか。空き時間に常に本を読んでないと気が済まない人のことだろうか。僕は自分はかなりの活字中毒だと自負している。とにかく文字が書かれていると読まずにはいられないのだ。

ここ最近めっきり読書量が減ったのであまり大きな声では言えない気もするが、以前バイトにかよっていたときなどは、電車に乗ったときに本がないとまるでタバコが切れたニコチン中毒の人みたいにイライラしたものだ。そういうときは車内の吊り広告を端から端まで舐めるように読む。視界に入る吊り広告を全部読み終わってしまったら、路線図の文字を読み始める。

マクドナルドなどのファーストフードに入ると、トレーに乗っている紙に書かれた文字が気になってしょうがない。黙々とハンバーガーを口にしながら、これも端から端まできっちり読む。おかげで無駄な知識が増えまくる。手が届く範囲に文字が書かれたものがあったら、とにかく手にとって読まずにはいられないのだ。レストランなどでずっとメニューを見ているのは、実は注文が決まっていないからではなく、単にメニューの書かれている文字をじっくり読んでいるだけだったりする。おかげで、店員がいつまでたってもオーダーをとりにこない。

ぴあという雑誌がある。チケット情報が満載の情報誌である。こういった雑誌はタチが悪い。揮発性が高く、覚えても意味のない情報が大量につまっているからだ。しかしこれも読まずにいられない。『はみだしぴあ』まで全部読みおわると、もうグッタリだ。

所在無くぼけっとしている時間がもったいなくてしょうがないのだ。その最たるものがトイレに入っている時間で、結構こういう人は多いのかもしれないが、大の方をするときはとにかく何か読むものがないと落ち着かない。下痢で今にも もれそうなときですら、まずトイレに入る前に必死になって本を探していたりする。間に合わなくて本無しでトイレに駆け込んでしまったときなどは、死んだ方がマシだったという心持ちになることもしばしばだ。

しかしここ最近さすがに心境に変化が起きてきた。インターネットのせいだ。無限にひろがる情報の宝庫を目の前にすると、たくさん読むという行為よりも、たくさんある情報を取捨選択することの方がずっと大切だということが、頭で理解しているだけでなく体に叩き込まれてくる。と言いつつ、毎日こうやって無駄な情報を垂れ流している自分はいったい何者なんだろうという気もするから、世の中は不思議だ。

2000年11月29日

ペダンチストは去れ

僕の原リョウに対する愛情は並々ならぬものがある。以前にもちらりと書いたことがあるが、多分原リョウが書く文章だったら料理の作り方であっても面白いに違いないと思うのである。ストーリーももちろん面白いのだが、文章そのもの、言葉の選び方、言い回しそのものがなんともいえずいいのである。僕も原リョウのような文章が書けたらなぁと常に憧れている。

そんな原さんにまつわる逸話をひとつ紹介しよう。これは以前、何かの雑誌で紹介されたのだが、僕もそのとき全く同じ事を思ったので別にここで書いてもいいだろう。

原さんが直木賞を受賞して数年後、高村薫が第109回直木賞を受賞したときの話だ。高村は受賞の挨拶の席上、

「私はミステリーを書いていた覚えはない。私はずっと人間を描いてきた。それがやっと認められて嬉しい」

という主旨の発言をし、ミステリーファンからものすごい顰蹙を買った。ミステリーを一段低く見ていることを露呈したわけなのだが、そのとき誰もが思ったのが1990年度のファルコン賞と、同じ年の第102回直木賞を受賞した原さんの話なのである。

ファルコン賞というのは『マルタの鷹協会』という、その道では有名だが知らない人は全く知らない非営利団体が、その年最も優秀だったハードボイルド作品に送る、かなりマイナーな賞である。原さんは日本人として初めてこの賞を受賞したのだが、その挨拶の席上、こう語った。

「直木賞を受賞したときより嬉しい」

ミステリーを愛し、ハードボイルドを愛する原さんは直木賞受賞で一般に認められたことより、その道で目が肥えたマルタの鷹協会の会員たち、言い換えれば「こういう人たちに読んで欲しい」と思っていた読者像の代表たちに認められたことが何より嬉しかったのだそうだ。ちなみに高村薫はサントリーミステリー大賞を受賞して華々しくデビューした作家である。ミステリーを書いている覚えがないのなら、初めからミステリー大賞に応募するなと言いたい。

「純文学は高尚で大衆文学は低俗」といったような考え方はナンセンスそのものだ。同様に「娯楽映画はレベルが低い」というような考え方も勘違いと言わざるを得ない。芸術(文学)とエンターテイメントというものの境界線は非常に曖昧なものである。ことに小説と映画に限定すれば「エンターテイメントとしては1級だが、芸術(文学)としては劣る」だの「芸術(文学)としては素晴らしいが面白くない」などという物言いはおかしいと思う。それらは小説として、もしくは映画としてその人にとって「いいか悪いか」を評価すればいいだけの話だ。僕は高村薫の小説も原リョウの小説も同じように「面白い」と思った。昔、夏目漱石の小説を「面白い」と感じたのと同じ感覚でだ。それでいいのだと思う。自信ないけど。というか あまりにも当たり前の意見すぎてわざわざここで書くこともないかなという気がしてきた。

2000年11月30日

詐欺師たる者

正味の話、マルチ商法や霊感商法は他人事ではない。「私は絶対平気」と思ってる人ほど危ないとよく言うが、僕は絶対ひっかからない自信を持っているので多分危ないのだろう。

アルバイト時代に後輩の女の子が見事にひっかかった。今でもその子とは仲良くしているので、少し口はばったくなってしまうが、その当時を思い出すと身の毛のよだつ思いがする。

当時僕はバイトの長のようなもの(店長より偉そうにしていた 笑)をやっていたので、いろいろと後輩から相談を受けることが多かった。Nという女の子がこんな電話をかけてきた。

「にいさん(僕はバイトの後輩ににいさんと呼ばれている)、補正下着を今日買っちゃったんだけど、これってやばいのかな?」
「ん? いくらだったの? 自分がいいと思って買ったんならやばいことはないだろう」
「いや 150万円なんだけど……」
「ぐはっ」

話をよく聞いてみると、なんとかセーフのようだ。これは金を支払わずに逃げ切れる。しかし問題はこれだけでは済まなかった。元々Nはバイト仲間のTという女の子からの紹介で、そのマルチにひっかかっていたのだった。これは根が深い。それとなくバイト内の女の子達を調査してみると、既に相当な人数がTから勧誘を受けていた。友達を紹介するとTには10万円がバックされる。15人紹介すれば、自分の分はチャラになるわけだ。本人はとてもその商品を気に入っている(と思い込まされている)ので、全く罪の意識など感じずに勧誘しまくっている。彼女も元々は姉の友人からの勧誘だったらしい。

何とかしてやめさせないと、このままでは大変なことになると思った。バイト内ではTの悪い噂が立ち始め、彼女と距離を置く者が続出し始めている。彼女の名誉のために言っておくが、Tはとても気の優しい、いわゆる「いい子」である。そんな彼女がマルチなんかで友達をどんどんなくしていくのを見過ごすわけにはいかなかった。なるべく傷つけたくはないが、はっきり言うしかない。

数日後、Tを呼び出して2人でじっくり話し合った。それはもうここでは書ききれないほどの長い時間、話し合った。完全に洗脳されている子は逆洗脳するしかない。彼女が涙ながらに自分の過ちに気付いた頃には、僕も体力の限界だったのを覚えている。結局Tはその後も自力で150万円のローンを支払いつづけるかわりに友人の信頼を取り戻し、Nは一切金を払わずに済んだ。被害はバイト中に蔓延することなく水際で食い止められたのだった。バイト長の勝利だ。

そのとき僕は思った。「僕が洗脳する側に回って、マルチ商法をやれば結構儲かるかもな……」と 笑。



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