
僕の考える「ゲームの本質」について。
「画面上にある粒々を全部食べたらその面終り」これがパックマンの根幹のルールだ。枝葉に「モンスターに当たったら死亡」とか「パワーアップえさを食べたら一定時間モンスターに反撃できる」とか「画面のはじとはじはワープでつながっている」なんてものもある。こういうルールを作っていくのがゲームを作っていくということである。……と田尻氏の言いたいことは大体こういうことだ。
ゲームが原始的であればあるほど、ルールは単純且つ侵しがたいものになる。テトリスのルールを無視して適当にブロックを積めばすぐにゲームオーバーとなり、全然面白くもなんともない。ルールに則って、ブロックを消し去った時の充実感満足感はやったものなら誰もがわかるだろう。
複雑で巨大なゲームになるとルールは非常に多岐に渡るため、それを無視したり、或いは逆らってもゲームとして成立したりする。例えば最近の気のきいたレーシングゲームであればコースの逆走をしても別に構わなかったりする。ただしこれは厳密に言えばルールに逆らっているわけではない。「コースを逆走しても構わない」というルールが設定されているに過ぎないからだ。
ゲームの根幹をなす部分で、あっと言わせる斬新なルールが生まれたとき、それは新たなジャンルの誕生を意味する。先のテトリスで言えば、パズルゲームというジャンル内でさらに細分化された、いわゆる「落ちゲー」というジャンルを確立したわけだ。ゲームデザイナーの究極の目標はこの「新たなジャンルの創出」にあると言っても過言ではないだろう。しかしファミコン時代のように、画像も単純、操作系も単純な時にはテトリスのようにアイデア一発で勝負することが許されていたが、現在のようにとても1人でゲームを開発するのは不可能という高度化された時代ではそれは難しい。そういった意味で、田尻氏のいう「ゲームの本質はルール」という部分での勝負は年々薄れていっているのが現状である。しかしそれでも尚、ゲームを語るうえで決して忘れてはならない重要な部分であることは確かだ。
僕自身、新しいゲームには「斬新な何か」をいつも期待している。それはルールであったり、グラフィックであったり、サウンドであったり、操作系であったりするのだが、どれかひとつが突出していて他がからっきしではダメなわけだ。やはりどれも一定の水準を超えていなければならない。
というわけで、僕の中ではゲームの本質とはルール(これは今でも最重要)、グラフィック、サウンド、操作系などによって与えられる「サプライズ」である。これらが高次元なものほど「(僕にとって)ゲームとして面白い」となるわけである。もちろんあくまでも僕の中での「ゲームの面白さの基準」である。また、現在のハイスペックなゲーム機によって実現された基準であり、ファミコン時代には実質的にルール以外でサプライズを得る事はなかった言える。
RPGやAVGなどでよく「ストーリーが面白い」という語られ方がするが、それはゲームの本質ではなく、むしろ小説や映画に近い部分での楽しみだろう。だから「今度のドラクエはつまらなかった」というのはドラクエというゲームがつまらないのではなく、今度のドラクエのストーリーがつまらなかったということになる。ドラクエは1から7まで多少の変化はあるにせよ根幹はさほど変わらないゲームシステム(ルール)を貫いている。だから2以降は全てルール以外での勝負になるわけだ。とりわけストーリーに評価の基準が置かれることは想像に難くない。
ん? GT3の話に辿りつけなかった。それは次回に。
つづく
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