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2001年05月21日

ゲームの本質(3) -レーシングゲームについて-

前回でおおよその見当がついているかと思われるが、なぜ僕がPSのレーシングゲーム、「グランツーリスモ」にさほど熱中しなかったのかをクドクドと説明していこう。

これは一言で簡単に言ってしまえば僕の「ジャンルの好み」ということになる。なーんだそのまんまじゃん……という気もするが、もっと突っ込んで「なぜ僕はレーシングゲームというジャンルがそれほど好きではないのか」を掘り下げていこう。

まずルールについてだ。レーシングゲームのルールとは即ち現実世界のルールをゲーム機に持ち込んだものに他ならない。地球上の物理的法則がそのままゲーム内のルールとなって適用される。もちろんゲームとして面白くするために、「他車との少々の接触くらいですぐクラッシュしない」とか「タイヤの摩擦係数をデフォルメしてドリフトの楽しさを強調している」とか、そういった現実とは違ったベクトルの細かいルールは適用されている。しかし根幹は現実のルールと変わらない。

よって次の結論が導き出される。「レーシングゲームの優劣は、いかに現実に近いかによって決まる」

GT3は間違いなく歴代のレーシングゲームの中で最も現実に近づいた素晴らしいシミュレーターである。これに異論は全くない。しかしどれだけ進化したとしてもレーシングゲームのルールを超えることはない。最終的な到達点は既に見えているからだ。それは実車と寸分違わぬバーチャルリアリティを構築することである。ということは、レーシングゲームの面白さの本質というのは、現実に車を運転することの面白さとほとんど変わらないということである。(厳密に言うとゲームとしての面白さを維持するために、現実とは逆ベクトルのルールは必要ではあるが)

「ストーリーの面白さはゲームとしての面白さとは微妙にずれている。それは小説や映画の面白さとほぼ同質である」と言うのは前回DQを引き合いに出して書いた。それと同じことがレーシングゲームにも言える。運転の面白さはゲームの面白さと微妙に違うと思うのだ。恐らくレーシングゲームに熱中する人の多くは現実の車で同じような走りをしてみたいと思うはずだ。僕も死ぬ危険性がなかったらF1やカートのレースに出て思いっきりコースを逆走してドリフトをかましてみたい。晴天の鈴鹿サーキットをたった一人で走り抜ける爽快感を味わってみたい。

しかし、もしも現実を完全に再現できる究極のシミュレーターがあったとしたら(恐らくそれは脳に直接 視覚聴覚触覚等の情報、即ち記憶そのものを伝送するシステムでしかありえない)、それだけで満足できるだろうか? バーチャルリアリティの世界でも現実のルールを厳密に守りたいと思うだろうか? 現実には車では絶対不可能な音速の世界を体験してみたくはないか? 車が空を飛ぶところを見たくはないか? 自分の体を巨大化して思う存分街を破壊してみたくはないか? タイムマシンに乗って古代に行き、恐竜を捕獲してコレクションしてみたくはないか? どうだろう。僕はしてみたい。しかしそのときにはレーシングゲーム、シミュレーターとしてのルールを飛び越えることになる。全く別のジャンルのものになるのだ。もちろん何でも出来るということが面白さにつながるわけではない。ゲームとしてのルールは必要になる。

ルールによるサプライズとはつまりそういうことだ。ゲームとシミュレーターとは違う。GT3は言わば「ゲームとしての面白さを兼ね備えた、歴代最強のシミュレータ」なのだ。

僕は現実のルールを再現したものよりも、荒唐無稽なルールを欲している。「グラツーにはさほど萌えなかった」と言う言葉はこういうことを意味していて、他のレーシングゲームより面白くないということでは全くない。

現実という目標がある限り、将来GTを超えるレーシングゲームが現われる時は必ず来る。しかし僕は相変わらず「○○はさほど面白くない」と言っているはずである。

つづく



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