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2001年05月29日

リアルの追求(1)

僕はゲームのルールにおいて、荒唐無稽なものを好むと前々回に書いた。では現実らしさ、リアリティというものを嫌うのかと言えば、これは全く違う。むしろリアリティはゲームの必要条件だと思っている。

以前友人が書いた映画のシナリオについて話していた時に、「日本が舞台の現代劇を作る時に、安易に「武器商人」という言葉を使っちゃダメだよね。主人公が武器商人では話が一気に嘘っぽくなっちゃう。紛争地帯なら話はわかるけど、日本にはいわゆる武器商人なんて存在しないからね」というような話題が出たことがある。

この場合の「主人公・武器商人」は、日本の事をよく知っている受け手にとってはお話しのリアリティを著しく損なうものだ。では武器の密造をやっている男が主人公の話だったらどうだろう? その男は普段は金属加工の工場で働いており、趣味のモデルガンのために毎日ミリタリーショップに出入りしている。男は実はモデルガンを装った本物の拳銃を自作しており、ミリタリーショップを隠れ蓑にして自分の作った拳銃を闇ルートにさばいている。どうだろう? 少しはもっともらしさ、リアリティがアップしたのではないだろうか?

フィクションのもっともらしさ、リアリティというのは現実そのままである必要はない。要はそのフィクションの中での整合性が保たれ、「嘘っぽさ」「そらぞらしさ」を受け手に感じさせなければいいだけの話なのだ。しかしそのさじ加減は案外難しい。SF映画などで、「そんなの絶対ありえないよ」と白けてしまうことは多々ある。

スペランカーという有名なゲームがある。ゲーマーの間では「ゲーム史上最弱」として名高いクソゲーである。スーパーマリオはどんなに高いところから落ちてもへっちゃらだが、このスペランカーは自分のかかとより低い位置から落ちただけで死んでしまう。、ゆるい下り坂をジャンプしてかけおりただけで死んでしまう。「立ち位置より少しでも低い所への落下は全て死」という無茶苦茶なルールが適用されているのである。これは、あまりにも現実離れしたルールということで、逆に面白いとさえ言えるのだが、普通に考えれば不条理極まりない。「そんなことはありえない」とか「これで死ぬのは納得がいかない」などの不満をプレイヤーに感じさせてしまう。これではリアルの追求という観点からクソゲーと言わざるを得ない。

しかし仮にスペランカーの主人公の外見が、全く人間とはかけ離れた生物であったならどうだろう? プレイヤーは垂直移動に異常に弱い生物のお話しとして納得するのではないだろうか? ゲームの中のリアルとはそういうことを積み重ねていくことによって生み出されるものだ。

レーシングゲームで車が直角に曲がれたらプレイヤーは一気に白ける。「そんなことは現実ではありえない」からではない。「そんなことが出来てしまうとレーシングゲームではなくなる」からだ。この違いをはき違えて作られると、ゲームはどんどんつまらなくなる。

つづく



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