冷麺 2001年07月

2001年07月04日

感傷の昼寝

手がすっかり治った。こんな子供っぽい怪我はいつ以来だろう。治るのもこんなに早かったのだと驚いている。こんな風に子供の頃の記憶というのはだんだんと消えていくのだな。

最近子供の間で何が流行っているのか全然わからなくなってしまった。大学生くらいまでは、「おまえ小学生かっ!?」ってくらい子供の流行に詳しかった(つもりだった)のだが、遊戯王カードだのアギトだの言われても何が何やら……。今でもコロコロコミックは存在してるのだろうか? 駄菓子屋にはよっちゃんイカがあるのだろうか? そもそも駄菓子屋がないか……。ザリガニは釣れるのだろうか?

てなわけで、子供をみつけるとかなり興味を惹かれる。先日江戸川区の辺りを車で営業中に子供を発見した。

両側がしっかり舗装された小さい用水路のような、と言うより市民の憩いの場として無理矢理作られたコミュニティゾーンのような幅1mくらいの小川で何かを釣っている。

彼らから見ると、僕はネクタイを締めたちょっと若いおっさんなわけで、昨今の大事件で親からかなりきつく戒められているらしく、いわゆる「知らないおじさんと話しちゃダメ」状態なのだった。確かに昼間っからぷらぷらして、子供に話し掛けるおっさんにロクなやつはいない。僕が話し掛けた途端、親がすっとんできて通報されるかもしれない。

しかし元気に外で遊んでる子供に出会えた嬉しさから、思わず「よお♪何が釣れんの?」と話し掛けたのである。

「ザリガニぃ〜(語尾下げ)」

おまえガムでも食ってんの? というような はすっぱな態度で応えてくれた。この小川には金魚やら鯉やら亀やらザリガニやらが住人によって勝手に放流されており、そこそこの自然を感じさせてくれるらしい。熱心に糸を垂らして水面をじっと見ている。しかし堪え性がないのが子供というもので、すぐに飽きて網を直接水中に突っ込んでゴリゴリ漁り始めた。

あ〜あ、なっちゃいないな。イカに食いついたザリガニを釣り上げるから楽しいんだろうが〜。網で直接すくったらつまんないよ。と思いつつも何も言わずに車に戻り見ていた。1匹が網に入った。結構でかい。わっと子供達が集まってきて、みんなででかいザリガニを小突きはじめた。とても楽しそうだ。

自分も子供になって、その輪に入っている錯覚に陥った。しかし首に手をやると、そこにはネクタイがあるのだった。いっぺんに白けてしまい、はじける歓声を後ろに聞きながら車を発進させた。

「今日は仕事する気なくなったな……。寝るか……」

土手沿いの道にまた車を停めて、昼寝することにする。車で寝ると余計だるくなるのだがかまうものか。嗚呼……。

2001年07月05日

博覧強記への憧憬

中学生くらいから常に思っていたことなのだが、全知全能の師が欲しい。全能である必要はないが、全知の存在が欲しい。

例えば名前だけはよく知っている相対性理論や不確定性原理。なんとなくわかったようなつもりでいるが、実は全然わかっていない。幾度となく専門書にあたり、挫折して入門書(?)にあたり、その全貌を知ろうとするのだがわからない。何をもって「解る」とするかの問題なのかもしれないが、自分で納得がいくまで理解したとは到底言えないのだった。

恥ずかしながら僕は歴史にもめっぽう弱く、特に現代史になると完全にお手上げである。第二次世界大戦は何故起こったのか、どういう事が起こったのか、そして何が生まれ、何が死んだのか、全くと言っていいほどわかっていない。「戦後」なんていう言葉がよく使われるが、僕はそれの真に意味するところもわかっていない。もっと近い時代、例えば全共闘、浅間山荘事件。いずれも「そういう事があった」ということを知ってるだけで、それらの意味するところはわかっていない。

これはかなり恥ずかしい事態だ。誰か教えてくれ! と思うのだが、なかなかこれらについて簡潔にわかりやすく説明してくれる人というのはいないのである。仕方なく文献にあたることになるのだが、こういった事について書かれた本というのは異常に大部で理解するのに時間がかかりすぎたり、詳細すぎて全体像が見えてこなかったり、著者の主観が入りすぎていたりする。

僕が得たいのは簡潔で、全体的で、客観的な知識だ。これら基本的な知識を手に入れた上で、興味が湧いたならさらに突っ込んで、大部で、部分的で、主観的な知識に進めばよい。

常に僕の側にいて、僕の質問に的確に答えてくれる人が切実に欲しい。そして心ゆくまで知識の大海をさすらいたい。

2001年07月12日

幻魔を斬って斬って斬りまくる

プラナリアという生物を見てみたいと思った。

先日手を怪我して、その治癒の早さに驚いたわけなんだが、生物には元々こういう治癒能力が備わっているわけで、別に驚くには値しないような気もする。「あ、僕も結構若かったんだな」という方に驚いた方がいいのかもしれない。歳を取るとこの能力が衰えて、ちょっとした転倒から骨折→寝たきりとかになりがちだそうだ。そういえば今は亡き僕の祖母もそのパターンで寝たきりになった。寝たきりになると頭を使うこともなくなり、あっという間にボケてしまった。家族の名前すら思い出せないという状態になってしまったのである。

まあそんな話は置いといて、プラナリアというのは再生能力が桁外れの生物で、体を半分にちょん切ってもそれぞれが再生して2体の生物になってしまうという、なんともまあ奇妙なヤツなのである。体長は1〜2cm。頭部が特徴的で、まるで漫画のような目がある。というのは僕が小学生くらいの頃に図鑑で見たうろ覚えの知識で、本当の所はよく覚えていない。とにかく切っても切っても生き返るドすげえ生物として記憶に残っている。その時も「すげえなぁ 見てみたいなぁ」と思った。

切ったところの傷が自然治癒するくらいなら人間にも出来るが、手を切り落としたらまた手が生えてくるわけではない。切り落とされた手に目や鼻が浮び上がってきて「手人間(?)」が誕生するわけではない。

「プラナリア!! ブラボー! こいつは不死身のスーパークリーチャーだ! こんなヤツが映画じゃなく現実にいたなんて!」と感慨に耽った思い出がある。

で、例によってWEBで検索してみたらあっけなく正体が判明してしまった。と言うか僕はこいつを既に何度も見たことがあるのだった。「あー あいつか」てなもんである。

プラナリアはどこの渓流にも生息しており、さほど珍しい生物ではないらしい。河の大きな石をひっくり返すと、裏にへばりついているのがよく見られるそうだ。こうした野生(?)のプラナリアは見たことがないのだが、実は自宅にわんさかいたのだった。熱帯魚飼育の水槽だ。

一体どこから湧いて出たのかわからないが(恐らく熱帯魚屋で水草なんかを買って来たときにへばりついていたのだろう)、いつも水槽の底に何匹かへばりついていた。暗褐色でぬるぬるした外見は「気色悪い」の一言で、熱帯魚水槽の美観を損なう忌むべき存在だった。

というわけで僕のスーパークリーチャーへの憧れは、うすら寒い現実にまたも蹂躙されてしまったのだった。大人の階段のーぼるー♪

2001年07月13日

ゼルダ礼賛 3

「伝説の剣の話か……。あの剣のありかを描いた地図は、迷いの森の奥深くに封印されておる。迷いの森の道を知っているのはわしだけじゃ。しかしわしは今 病に冒されておる。一緒に森に入るのは無理じゃ」

「おじいさんの病を治すには、北の崖のてっぺんにあるマンドラゴラをとってこなくちゃいけないんです。でも僕たち子供ではあの崖は登れません」

てなわけで、プレイヤーはまず崖に登りマンドラゴラを手に入れる。マンドラゴラはおじいさんの病気を治す以外に使い道がない。こういうアイテムはフラグを立てるためだけに存在しているわけだ。おじいさんの病気を治した後は、無用の長物となり、「もちものリスト」の容量を圧迫するだけの邪魔なものになる。

おじいさんの病気が治ったら次は迷いの森だ。おじいさんがいないときはいくら進んでも元の道に戻されていたのが、フラグが立ったために奥まで進めるようになっている。やっとの思いで迷いの森を抜けると、ついに伝説の剣のありかを記した地図が手に入る。これでおじいさんは用なしだ。

地図とは名ばかりのフラグ立てアイテムで、これが手に入ったことによって初めて足を踏み入れることが出来る大陸がいきなり出現する。はっきり言って地図の中身など関係ない。2度と見ることもない。大陸さえ出現してしまえば地図は不要なのである。

そしてついに、ついに! 最後の最後に伝説の剣が手に入る。ここまでの道のりで主人公たちは多くの戦闘を経験し、レベルもかなり上がっている。「銅の剣」でもほとんどの敵に勝てるくらいだ。「鉄の剣」なら最終ボスですら倒せるくらいに成長している。じゃあ一体「伝説の剣」はなんなんだよ?

これはいわゆるクソゲーを絵に描いたようなゲームである。実在はしてなくて、今僕が即興で作ったものだ。何より我慢ならないのはアイテムに全く必然性がないということだ。マンドラゴラは別に水晶でもかまわないし、怪鳥の卵でもいいし、世界樹の葉だっていいわけである。こんなどうでもいいアイテムに一体何の意味があるのだろう? プレイヤーを足止めさせるだけのくだらないハードルにしかなっていない。

というわけでゼルダに戻ろう。ゼルダの世界にはこういった、どうでもいいアイテムは存在しない。

ブーメランを手に入れないと先に進めない所がある。この足止めは同じだが、ブーメランを手に入れるとその先の展開が劇的に変化するのだ。まず戦闘が変わる。倒すのが大変だった敵が、一旦ブーメランを当てればしばらく痺れて動けなくなることに気付く。ブーメランでしか倒せない敵がいることに気付く。そして謎解きの幅が広がる。ブーメランを使って手が届かない所にあるスイッチを押したり、落ちているアイテムを拾い上げることが出来るようになる。

様々なアイテムが手に入ると、その都度プレイの幅が広がり、謎解きの幅が広がる。これがゼルダ最大の面白さだ。これらを支えているのはもちろん、以前に書いた操作性とカメラワークである。

未プレイの方は死ぬまでにプレイする事をおすすめする。

Nintendo64 ゼルダの伝説〜時のオカリナ〜 〜ムジュラの仮面〜

2001年07月14日

水没マンハッタンは凄かったけど 『A.I.』

映画「A.I」を観てきた。

前々からの持論なのだが、スティーブン・スピルバーグは深いテーマなどを追及せずに、能天気なエンターテイメントを撮るべきだ。押しも押されぬNo.1監督になってしまうと、急にオスカー像を欲しがってしまうあたり、まあかわいいと言えなくもないと思うが、人にはそれぞれ得手不得手がある。スピルバーグは正にエンターテイメントの申し子なのだから、その道を極めて欲しいと思うのだ。それでアカデミー賞と無縁であっても、無冠の帝王として賞より大きな尊敬を集めらたはずだと思うのだがどうだろう? もう既にプライベートライアンで監督賞は獲ったのだから、小難しい映画は終りにしていただきたい。

自分が撮ってきた、例えばインディジョーンズのような映画を、自分自身で「これは 面白いだけの映画で、深いテーマもないし、映画としてのレベルは低い」などと思っているのだとしたら大バカだ。自分のエンターテイメントにもっと誇りを持ってくれと言いたい。

で、「A.I」なんだが、いろんな意味で面白くない。エンターテイメントとしても中途半端で面白くないし、テーマ性・作家性を持ったいわゆる「深い映画」としても面白くない。ないないづくしだ。

たけし映画はみな非常に静かな映画だが、全編に渡ってある種の緊張感が漂っている。長回しで動きもセリフもないシーンであっても、そこに濃密な時間の流れと心の中のセリフと、感情の動きを感じる。これが作家性だ。北野武にしか作れない世界だ。今回「A.I」はこれに似た静かな映画になっているが、長さが単に長いと感じることしか出来なかった。スピルバーグの体内時計は多分細かいカット割に合わせた作りになっている。こういう長さは彼の体内時計と合っていないのだと思う。それが違和感となって現われている気がする。

キューブリックが作る「A.I」を観たかった。多分莫大な予算に製作会社が恐れをなしてお蔵入りするか、完成しても大コケしてものすごい借金が生まれたと思うが。

A.I.

A.I.

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日: 2003/12/06
  • メディア: DVD

2001年07月15日

風土病とフォークロア

病原体を運ぶツツガムシさんツツガムシの話。

知ってる人も多いかもしれないが「つつがなく暮らす」という言葉は「ツツガムシに刺されずに無事暮らす」という意味である。

ほとんど全ての病気がそうであったように、ツツガムシ病も原因と治療法がわかるまではとても恐れられていた風土病だった(実際には風土病ではない)。ツツガムシという恐ろしい虫の正体は誰も知らなかったのである。この病気は東北地方の特定の河原で感染する事が多く(現在は畑などでの感染が多いそうだ)、そういった場所は大昔から「呪われた場所」として忌避されていた。どうだろう? ゾクゾクしてこないだろうか? 僕なんかはこういう話が大好きなのですぐ飛びつきたくなる。科学的にわかってしまうと単に「ダニを媒介とする感染症」で済んでしまうのだが、せいぜい100年くらい前まではこの病気を語る際には必ず「呪われた河原」というキーワードがつきまとっていたはずなのだ。

その禁断の地に足を踏み入れた者は高熱を発して死に至る。死者の胸には必ず赤い発疹が出来ている。その赤い発疹こそが、呪われた証拠なのだ。とまあ、こんな感じでおどろおどろしく語られていたはずで、きっとその地方独特の民話が残っていると思ったのだった。もしそういう文献があるなら是非読んでみたい。無知が為せる、世界を読み解く方法論が満載に違いない。いや 何も無知が悪いというわけではない。世界に意味を持たせる、その方法論に興味があるだけである。

河童というのは、渡来人の技術に対する畏怖が生み出したものだという説がある。大昔、建築の技術がほとんどなかった頃、朝鮮半島から渡ってきた外国人はまるで魔法のようにいろいろな建造物を作り上げた。彼らは所詮異邦人であるので、まともな場所に住まう事を許されず、河原などに粗末な小屋を建てて、そこにコロニーを形成していたというのである。親たちは子供にこう言う。「河原には近づくな。あそこには恐ろしい奴らが住んでいる」これがいろいろな変化を起こして河童になったと、まあこういう話だ。実際この説が正しいのかどうかは全然わからないが、実に面白い。ツツガムシ病にもこういう話がきっとあるに違いない。

この病気の病原体と治療法を発見した研究者たちの話がまた面白い。彼らは「呪われた河原」に敢然と分け入り、死を覚悟してこの病気と闘ったのである。大正4年7月、彼らは上野発の夜行列車に乗って現地に向かった。全員丸坊主。辞世の句さえ残っている。「黒髪とともに浮世の欲を断ち」

出発の際には「我々の中でもしツツガムシ病で死ぬ者が出たら、発見した病原体にそいつの名前をつけて後世に残そう」と決めていたそうである。いや〜 かっこいい。医者の鑑だ。シニカルに世の中を見ることしか出来なくなっているペシミスト達に是非読ませたい逸話だ。例え功名心であったとしても、賞賛に値する勇気ある行動ではないか。とてもじゃないが真似できない。死んだら功名もクソもないのだから。純粋にこの病気で亡くなる人を救いたいという強い願いがなければこんな事はできやしない。

なんてことを鼻くそをほじりながら考える。ふ〜。ねむ……。

2001年07月18日

数字とのにらめっこ

懐古ゲーム着メロサイト「恐がりiモード」が1日1万人の大台を2日続けて叩き出した。サイトの本格運営を開始したときに心の中で掲げた大目標の達成である。

ちょっと話は変わるが、HIT数とPV(ページビュー)数の違いをご存知だろうか? 実は僕もよくわかっていないのだが、どうやら正式には そのサイトへの訪問者数(のべ)を表わす数字としてはPVの方が正しいらしい。トップページのカウンタの数とほぼ等しい数字がPVだ。ではHIT数というのはどういう事を表わしているのだろうか? これはサーバーが返したリクエストへの応答回数だそうだ。と言われても余計意味がわからない 笑。例えば誰かが「恐がり」に訪れるとする。トップページをまず見るだろう。これで1HIT。次にCHOCOA講座のトップページを見る。これで合計2HIT。次にCHOCOA講座の中の設定集のページを見る。これで合計3HITというわけだ。サーバーにはHTMLのリクエストの他にも画像のリクエストなども来るので、1ページで数回のHITということにもなるらしい(全然わかっていないので 誰か教えて)。ちなみにこのHIT数で言うと、僕の作っているサイト(つまり http://kowagari.net/ 以下のすべてのページ)は、1日になんと11万HITもしている。ログ。このサーバーは100数十人がレンタルでシェアしている。「kyou」というのが僕のアカウント名だ。

まあ難しい話は置いといて、要するにトップページのカウンターが1日1万回まわったのが嬉しいという話だ。iモードユーザーにはパケ代という悪夢のような課金があるので、トップページをすっ飛ばしてメニューページなどをブックマークする人がかなり多い。その辺を考慮に入れると、のべ人数ではなく1万人が実際に訪れていると考えてもおおむね間違いないはずだ。この数字はかなり自信も持っていい数字なんじゃないかと思う。話によれば アダルトサイトでも1日1万を超えるところはかなりの人気サイトだそうだ。

依然として著作権問題で先行き不透明ではあるが、まだまだ頑張ろうと思っている。次の目標は月間100万PVだ。いわゆる「メガヒットサイト」を名乗ることが出来る憧れの数字である。まあほとんど無理だと思っているが……。ジャンルがゲームオンリーなのでそこまでの人数を集めるのは相当きついだろう。メガヒット着メロサイトは映画音楽、J-POP、ゲーム、アニメ、CMとオールジャンルを網羅しており、複数の着メロ作家を擁して毎日数曲の更新がある。とてもそんなところには太刀打ちできるものではない。

恐がりiモードに本家恐がりへのリンクを貼ったら、こちらも訪問者数が3倍に伸びた(PCで恐iを見ている人も結構多いということだ)。と言っても1日200人に満たないが。ちなみにここRubberMenの訪問者は1日平均40人(これは複数訪問を除いた純粋な数字。のべ人数だと60を超える)、CHOCOA講座が50人、TOPICが20人くらいだ。TOPICはGoogleなど検索サイトから直接飛んでくる人が多い。

こういう 数字とのにらめっこは結構楽しいものだ。スポーツ新聞で、応援しているプロ野球選手の成績をチェックするのと似ている。

2001年07月19日

デフレスパイラル極まれり

8月1日(関西は7月26日)、吉野家の牛丼がついに280円になる。今年の4月、松屋の290円に対抗すべく、吉野家が250円の期間限定セールを行ったのを覚えている人も多いだろう。そのとき思ったのは「ついに王者吉野家もデフレの波に飲まれたか……。こんな期間限定で客が満足するわけがない。ゆくゆくは恒久的な値下げに移行せざるを得ないだろうな。お互いの首を絞めあう泥沼の消耗戦だ……」

しかし事態はそんな生易しいものではなかった。4月4日から1週間を予定していた250円セールは、なんと3日間で終わってしまうという大失態に終わっていたのだ。客がいつもの3倍も来た為に、肉が足らなくなったのである。「はやい」が売りの吉野家なのに、洗い物も追いつかず提供時間は遅れまくる。当然客からの苦情が殺到する。全店休業という最悪の事態を避けるため、持ち帰り弁当の販売を中止したのが4月7日からであった。

しかしただでは起きないのがNo.1の凄いところだ。そのときの経験を生かし、満を持しての280円値下げを断行する。

まず価格設定。これは客数が通常の倍になるように設定したそうだ。期間限定250円では3倍だったことから、280円への恒久的値下げでは2倍と予想しているのだという。次に食材のレベルを下げることなくコストを削減し、なおかつ充分な量を確保した。そして什器の大量補充によって、ピーク時でも洗い場に従業員が入らなくても乗り切れるようにした。最後に光熱費などの削減である。

吉野家は価格をこれだけ下げても、客数が予想通り2倍のまま推移すれば通常の1%増し(たったの!!)の利益が出るシステムを作り上げたのだ。いやなんともすごい企業努力だ。恐れ入る。

「本当にそれで従業員はやっていけるのか? 過労で死んじゃわないの? てゆーか、ず〜っと客数2倍なんてことが続くのか?」と他人事ながら心配になってくるが、なに、こちらは安くなる分には文句はないのだ。むしろ、そんなに安くできるのだったら今まで努力もせずにボってたって事じゃないかと怒るべきなのかもしれない。

しかしよくよく考えると牛丼並盛280円は恐ろしく安い。あれだけ腹にたまって、そこそこの美味さがあって、280円なんてものが他にあるだろうか? マックの平日半額も相当な衝撃を受けたが、今度の吉野家もかなりのものだ。クソまずい蕎麦屋(接客も最悪!)なんかで1000円近くもする天ぷらそばを食うのがバカバカしくなってくる。

そんなわけで、これから吉野家の店長候補として就職を考えている人は、死なない程度に頑張れよ。

2001年07月20日

多すぎて携帯することすらできない

自分でもイカレてる気がするんだが、今年に入って6台目の携帯電話を購入した。松下のP503is。電話としての基本性能では定評のある伝統のPを、流行りの折りたたみ式筐体に押し込んだへんてこりんな端末である。お世辞にもかっこいいとは言えない。色はジェットブラック(ナニソレ?)。

現在手元にはN503iが2台。N502itが1台。P503isが1台。おまけにPHSのデータカードが1台。計5台態勢になっている。ちなみにN502itだけは解約してあり、料金が一切かからない。4台はしっかりと基本料金がかかっている。恐ろしい事態だ。

なんでこんなことになっているかと言うと、全ては着メロのためである。僕はずっとN系(FM音源機)向けに着メロを作ってきたのだが、これだとPCM音源機(P503i、P503is、D503i、D210i、SO503i)では綺麗に聴こえない。当然のように恐がりiモードへのアクセスはN503iからのものが圧倒的に多く、PCM機からはほとんどなかった。iモードユーザーの半分を占めるPCM機使用者を取り込むために、なんとしてもPCM音源の実機が必要だったのである。

それにしても、いつ潰されるとも知れない「たかが着メロ」のためにここまで出費している僕は一体何なのだろう? バカ? 金のため?

まあバカはバカなんだが、金のためではない。広告料でタバコ銭くらいは稼ごうとしているが、これで食っていこうと本気で考えるほどではない。

最初のうちは、自分が欲しいものを作るというスタンスで、正に自分のためだったのだが、最近はちょっと違ってきている。微妙なニュアンスを伝えにくいが、半分は人を喜ばせたい! というエンターテイナー的欲求。もう半分は超人気サイトを作り上げるという、一種のゲームにのめりこんでいる感覚である。

後者が特に微妙で、ともすると「絶対にカウンターの回転を減少させてはならない」という義務感に転じることがよくある。逆に来訪者が増えつつある時は、なんというか、『シムシティー』で街が順調に成長していくときのような快感をおぼえる。

こんなに面白いゲームはなかなかないぞ、と思う今日この頃だ。そのための出費なら痛いものも痛くない。……いや痛い。

2001年07月21日

海と毒薬

毎年この時期になると、パチンコ屋の駐車場で赤ん坊が熱中死するニュースと水の事故のニュースが連日のようにテレビで流される。僕にはまだ子供がいないので(というか結婚してない)、前者でテレビに登場することはないだろうが、後者での登場は充分ありえる話だ。

毎年僕は千葉の御宿という海岸にボディボードをしに出かける。ここは千葉でも最もナンパな海岸で、本気のサーファーやボディボーダーは、もっと人が少なく波が荒いポイントに行く。

御宿より数キロ北に位置する、九十九里という全国でも最大級の砂浜は、波が荒いことで有名だ。ここでは毎年死人が出る。遠浅の海岸は一見子供の遊び場に最適に見えるかもしれないが、ここの引き波の強さは半端ではない。水深40cmくらいの浅いところでも、油断すればあっという間に足をすくわれ、沖に流される。一旦沖に流されたら、その場から自力で浜に戻るのはほぼ不可能である。

地元の人やサーファーならほとんど知っているのだが、こういった海には特殊な潮の流れがあって、ものすごい勢いで沖に向かって流れる潮流と、浜に向かって流れる潮流があるのだ。ポイントを心得ているサーファーはこの流れを利用してすいすいと沖に出る。しかし知らずに流れに乗ってしまった一般の海水浴客などにとっては、パニックを起こすくらいその流れは凄まじいのだ。

もしも沖への潮流に流されたら逆らわずに浜と平行に泳げばよい。これに逆らって泳いで戻ろうなどと考えると、体力を使い切ってしまい死に至る。潮流の切れ目までは長くとも数百メートルなので、パニックを起こさない事が大事だ。浜と平行に泳ぐと今度は必ず浜に向かって流れる潮流がある。その流れに乗れば、戻るのは比較的簡単なのである。特に浮き輪などを使っている場合はごく弱い潮流にもすぐ流されるので要注意だ。全然浜に戻れないことにパニックを起こし、暴れて浮き輪から体がはずれてしまったり、浮き輪の空気が抜けたりしてさらに危険な状態に陥る。

潮流ではないが僕も一回だけ危険な目にあったことがある。その日は台風が接近しつつある日で、御宿にしては珍しく大きな波が発生していた。波の高さは約4メートル。「2階から水の塊が降ってくる」といった感覚だ。僕はわくわくして沖に出た。と書くとすいすい出たように思えるが、実際は沖に出るまでに何度も高波に飲まれ、浜まで押し戻されつつ悪戦苦闘して出たのである。水深4〜5メートルくらい、浜からの距離100メートルに届かないくらいの位置で波を待った。

ボディボードなんか乗るの簡単でしょ? と思っている人がいたら大間違いだ。浮いてるのは簡単だが、波にちゃんと乗るのは意外に難しいのだ。下手くそにありがちな失敗は、波が体を通り越して行ってしまうパターンである。浮き輪を使っているところを想像してもらいたい。波が来ても浮き輪は上下に大きく揺らされるだけで、波の移動と一緒に流されるということはない。それと全く同じ事になるのである。波がこれから大きくなりつつあるという地点で乗ろうとしても浮き輪パターンになってしまうのだ。波が大きくなりきって、崩れそうになるポイントで乗らなければならない。そのためには足につけたフィンで思いっきり水を蹴り、両手で必死にパドリングして、波の移動スピードに近づく必要があるのだ。

もうひとつの失敗パターンは、思ったよりも遠くで波が大きくなりきってしまい、自分がいる位置で完全に崩れてしまうという場合である。この場合は波に飲まれる。巨大な水の塊が正に頭上から降ってくるのである。これは恐い。

僕は後者の失敗をしてしまったのだった。高さ4メートルの位置から何トンもの水の塊が降ってきた。一瞬にして暗闇に引きずり込まれ、どちらが上でどちらが下かもわからなくなるくらい水中で回転させられる。パニックを起こさないように体を丸めて、じっと浮上の機会を窺う。なかなか回転が収まらない。するとズドッという衝撃を頭に感じた。深さ4メートルはある海底に頭がこすりつけられたのだ。腕にはリーシュによってしっかりとボードが結び付けられているのにも関わらずだ。生きた心地がしなかった。

何がなんだかわからない状態になったが、しばらくすると荒々しい水の動きが止まり、僕の体は徐々に浮上しはじめた。パニックを起こして息を全部吐き出してしまっているとこうはならない。波に飲まれる寸前に大量の空気を吸い込んでおいたのもよかった。リーシュをたぐりよせてボードを探ると、やっと水面にたどりつくことが出来た。

いくら泳ぎに自信があっても、そんなものは荒々しい海の前ではクソの役にも立ちはしない。酒を飲んで泳ぐなどはもってのほかだ。

と言いつつビール飲みまくりで今年もボディボードすると思う。

2001年07月25日

教訓という言葉はないのか?

去年だったか一昨年だったか忘れたが、大晦日の晩にiモードのシステムがダウンするという失態があった。

大晦日の晩は「あけましておめでとうメール」を送信する人が局時的に集中したため、そういった事態を想定していなかったシステムが負荷に耐え切れなかったというわけだ。仮にそういう事態を想定していたとしても、それに耐えうるシステムを構築するかどうかはまた別問題になる。年に1回の高負荷のためだけに頑健なシステムを組むのはコストが見合わない。それは企業の論理だ。まあしかしこんな不具合はどうという事はない。メールが送信出来なかったからといって、人が死ぬわけではないのだ。

池田小事件を思い出させるような大惨事がまた起きた。今度も子供や年寄りばかり10人が死亡した。しかし今回の事件が決定的に池田小事件と違うのは、絶対にこの事故を防げたという事だ。それだけに死んだ人たちの無念さは余りある。将棋倒しによる死亡事故は、幾度となく繰り返されてきた。これは警備がしっかりしていれば絶対に防げるのだ。人手が足らないだのコストが見合わないだのの理屈は一切通用しない。

いろいろと責任の所在が取りざたされているが、こういう事件を個人の責任に帰すのは果たしていいことなんだろうか?(刑事事件はあくまでも個人個人が対象)勿論トップの人間が責任を取るというのは大事な事なんだろうが、それで全ての問題が解決という考えに行ってやしないかという危惧がある。トップの首をすげかえたところで、根本的な問題意識がなければまた同じ事故は起こる。トップ、警備担当係、警察、警備会社、末端の警備員まで全てに危機意識が浸透していなければ意味がない。そのための仕組み作りが不可欠だと思う。

ニュースでは何十年か前の大惨事が引き合いに出されていた。どこだかの神社で、初詣の時に127人が将棋倒しで圧死したそうである。こういう事件を耳にするとまた落ち込む。感情移入しがちなこの性格をなんとかしたいものだ。

2001年07月26日

千と千尋と子供の頃の自分の神隠し

僕がリサーチした限りでは『千と千尋の神隠し』は結構評価が低かった。よくて「まあ それなりに面白い」といった程度。今回何か言い知れぬ期待感がひしひしと押し寄せていただけに「あれ?」といった感じだった。で、観てきた。

結論。めちゃくちゃ面白い。

期待通りの素晴らしい映画だった。文句をつけたくなる部分も若干あったが、それがどこだったのか忘れてしまうくらい面白かった。

宮崎映画はほとんど全部観ている。監修したものはいくつか見逃しているが、監督作品は全て見ている。おこがましくも順位をつけると、まず別格に『カリオストロの城』がある。これはあまりにも素晴らしすぎて、他と比べる対象にない。ちなみに僕はこの映画を200回近く観ている。で、『カリ城』を除く第1位は『風の谷のナウシカ』。これに異論はあるまい。第2位は『天空の城 ラピュタ』。第3位が『となりのトトロ』である。

『千と千尋の神隠し』は初登場第3位につけた。僕の中では『トトロ』を超えている。もしかしたらゆくゆくは『ラピュタ』を抜いて第2位に浮上するかもしれない。

『もののけ姫』を観たときに最も感じたのは「なんか声優陣、終わってる……」であった。特に主演のサンの声をやった石田ゆり子がひどくて、全然感情移入出来なかった。他もほとんどダメダメで、アニメの肝はやはり声優なんだなと改めて感じた映画であった。名の知れた女優、俳優であっても、声優として優れているかは未知数で、やらせてみないとわからない。きっと宮崎監督は「あ、石田と森光子と小林薫と森繁久彌と田中裕子はは失敗だったな」と思っただろう。……ってほぼ全員だし。

『千と千尋』は声優が皆素晴らしい。アニメ向きにとても張りのある声の人たちで、何の違和感も感じることなく映画に没頭できた。特によかったのはハク役の入野自由(いりのみゆ ♂)で、なんとこの子は中学2年だそうだ。『ナウシカ』のアスベル(松田洋治 タイタニックのディカプリオの吹き替えもこの人)を彷彿させる素晴らしい声の持ち主で、将来がとても楽しみだ。松田洋治もアスベル役をやった時は17歳のまだ無名の子役だった(前年に『家族ゲーム』という名作に出ていたが)。入野君も松田洋治のように大成してもらいたい。

千尋役の柊留美も10歳の女の子の感性をよく出せていたと思う。この子も中学2年だそうだ。

そして不思議の町にちりばめられたありとあらゆるアイデアが、いくら誉めても誉めきれないくらいよかった。雨が降ると周りが海になってしまう。上層は夏なのに、下層は冬になっている。数え切れない風呂の全てをたった1人の6本腕のじじいが管理している。ばばあがマントを纏うと鳥になる。生首が動きまくる。式神のようなお札が竜を襲う。身の丈3メートルを越す巨大な赤ん坊が部屋を破壊する。神の食事を食べてしまった両親が、魔法によって醜い豚に変身させられる。食った相手の能力を自分のものにするカオナシのストーカーぶり。腐れ神の正体が、ゴミで汚された有名な河の神であること。名前を奪うことによって相手を支配する。石炭を運ぶススワタリが意外に怠け者である。どこに行くとも知れぬ電車からの風景。湯女たちが寝泊まりする宿舎の布団がいかにも湿っているように見える。

なんだか小さい頃に見た夢の世界がまるごと映画になっているような感じがした。雑多で猥雑で複雑な湯屋は正に僕の悪夢そのものの姿だった。DVDになったらすぐに買おう。きっと何回見ても飽きないと思う。

青蛙役の我修院達也(!!)は宮崎監督に出演依頼を受けた時、「鮫肌男と桃尻女の時の山田の声で演じてくれ」と言われたそうである。ここらへんも要チェックである。

ん〜。なんでみんなこの映画つまらないって言うの?

千と千尋の神隠し (通常版)

千と千尋の神隠し (通常版)

  • 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
  • 発売日: 2002/07/19
  • メディア: DVD

2001年07月31日

ジェリーフィッシュ

カツオノエボシさんいや〜 日頃の行いが悪いとしか考えられない。4泊5日で海に行ってきたのだが、そのうちの3日は悪天候に見舞われた。あれだけ梅雨が早くに明け、あれだけ暑かった日々が嘘のように寒い雨が降りやがった。僕は「趣味」にボディボードを挙げているが、気合が入ったボディボーダーではない。ウェットスーツなども持っていないので、ちょっと寒いとお手上げなのだった。

一旦海に入ってしまえばどうという事もないのだが、陸にあがると途端に寒さでちぢみあがる。ボディボードは意外と体力を消耗するので、1時間以上海に入っていられない。というわけで、1時間遊んで陸にあがると、もう二度と海に入れないのだった。全く呪われているとしか思えない。

例年、8月も半ばになるとクラゲが大量に発生するので、お盆以降はほとんど遊ぶ事が出来ない。だが今年はちょっと話が違うらしい。事態はもっと深刻なのだった。黒潮の流れが変化していて、いつもは沖の方にしか発生しない「カツオノエボシ」という危険なクラゲがお盆前から波打ち際にまで大量に押し寄せているのだそうだ。こいつの危険性は要チェックである。

こいつは頭(?)の部分が空気で膨らんだようになっており、風に煽られて浜に打ち寄せられる。自分で泳ぐ能力は全くないので、全ては風任せだ。膨らんだ頭は常に水面に浮かんでいる。一見すると中身がパンパンのビニール袋のように見える。触手は青く、異常に長い。成長しきった個体では触手が10メートルを超すものもある。

この青い触手が人間の体に絡みつく。触手には猛毒があり、触れた途端雷に打たれたような(打たれたことはないが)激痛が走る。対処法はこすらないように触手をはがし、刺された部分をアルコールで消毒するくらいである。絡みついた触手をこするようにするとどんどん毒が体内に入り込み、危険が増すのである。この毒の強さは半端ではなく、ショック症状を起こして死に至る場合もある。具体的には血圧が低下し、呼吸困難に陥る。

鮫を恐れている人は多いが(実際瀬戸内では鮫の被害があったりしたが)、太平洋側の海で本当に恐いのはこのカツオノエボシである。海に膨らんだビニール袋を発見したら要注意である。そいつの下方に青い紐のようなものが見えたら一目散に逃げるべし。



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