
ツツガムシの話。
知ってる人も多いかもしれないが「つつがなく暮らす」という言葉は「ツツガムシに刺されずに無事暮らす」という意味である。
ほとんど全ての病気がそうであったように、ツツガムシ病も原因と治療法がわかるまではとても恐れられていた風土病だった(実際には風土病ではない)。ツツガムシという恐ろしい虫の正体は誰も知らなかったのである。この病気は東北地方の特定の河原で感染する事が多く(現在は畑などでの感染が多いそうだ)、そういった場所は大昔から「呪われた場所」として忌避されていた。どうだろう? ゾクゾクしてこないだろうか? 僕なんかはこういう話が大好きなのですぐ飛びつきたくなる。科学的にわかってしまうと単に「ダニを媒介とする感染症」で済んでしまうのだが、せいぜい100年くらい前まではこの病気を語る際には必ず「呪われた河原」というキーワードがつきまとっていたはずなのだ。
その禁断の地に足を踏み入れた者は高熱を発して死に至る。死者の胸には必ず赤い発疹が出来ている。その赤い発疹こそが、呪われた証拠なのだ。とまあ、こんな感じでおどろおどろしく語られていたはずで、きっとその地方独特の民話が残っていると思ったのだった。もしそういう文献があるなら是非読んでみたい。無知が為せる、世界を読み解く方法論が満載に違いない。いや 何も無知が悪いというわけではない。世界に意味を持たせる、その方法論に興味があるだけである。
河童というのは、渡来人の技術に対する畏怖が生み出したものだという説がある。大昔、建築の技術がほとんどなかった頃、朝鮮半島から渡ってきた外国人はまるで魔法のようにいろいろな建造物を作り上げた。彼らは所詮異邦人であるので、まともな場所に住まう事を許されず、河原などに粗末な小屋を建てて、そこにコロニーを形成していたというのである。親たちは子供にこう言う。「河原には近づくな。あそこには恐ろしい奴らが住んでいる」これがいろいろな変化を起こして河童になったと、まあこういう話だ。実際この説が正しいのかどうかは全然わからないが、実に面白い。ツツガムシ病にもこういう話がきっとあるに違いない。
この病気の病原体と治療法を発見した研究者たちの話がまた面白い。彼らは「呪われた河原」に敢然と分け入り、死を覚悟してこの病気と闘ったのである。大正4年7月、彼らは上野発の夜行列車に乗って現地に向かった。全員丸坊主。辞世の句さえ残っている。「黒髪とともに浮世の欲を断ち」
出発の際には「我々の中でもしツツガムシ病で死ぬ者が出たら、発見した病原体にそいつの名前をつけて後世に残そう」と決めていたそうである。いや〜 かっこいい。医者の鑑だ。シニカルに世の中を見ることしか出来なくなっているペシミスト達に是非読ませたい逸話だ。例え功名心であったとしても、賞賛に値する勇気ある行動ではないか。とてもじゃないが真似できない。死んだら功名もクソもないのだから。純粋にこの病気で亡くなる人を救いたいという強い願いがなければこんな事はできやしない。
なんてことを鼻くそをほじりながら考える。ふ〜。ねむ……。
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