
去年だったか一昨年だったか忘れたが、大晦日の晩にiモードのシステムがダウンするという失態があった。
大晦日の晩は「あけましておめでとうメール」を送信する人が局時的に集中したため、そういった事態を想定していなかったシステムが負荷に耐え切れなかったというわけだ。仮にそういう事態を想定していたとしても、それに耐えうるシステムを構築するかどうかはまた別問題になる。年に1回の高負荷のためだけに頑健なシステムを組むのはコストが見合わない。それは企業の論理だ。まあしかしこんな不具合はどうという事はない。メールが送信出来なかったからといって、人が死ぬわけではないのだ。
池田小事件を思い出させるような大惨事がまた起きた。今度も子供や年寄りばかり10人が死亡した。しかし今回の事件が決定的に池田小事件と違うのは、絶対にこの事故を防げたという事だ。それだけに死んだ人たちの無念さは余りある。将棋倒しによる死亡事故は、幾度となく繰り返されてきた。これは警備がしっかりしていれば絶対に防げるのだ。人手が足らないだのコストが見合わないだのの理屈は一切通用しない。
いろいろと責任の所在が取りざたされているが、こういう事件を個人の責任に帰すのは果たしていいことなんだろうか?(刑事事件はあくまでも個人個人が対象)勿論トップの人間が責任を取るというのは大事な事なんだろうが、それで全ての問題が解決という考えに行ってやしないかという危惧がある。トップの首をすげかえたところで、根本的な問題意識がなければまた同じ事故は起こる。トップ、警備担当係、警察、警備会社、末端の警備員まで全てに危機意識が浸透していなければ意味がない。そのための仕組み作りが不可欠だと思う。
ニュースでは何十年か前の大惨事が引き合いに出されていた。どこだかの神社で、初詣の時に127人が将棋倒しで圧死したそうである。こういう事件を耳にするとまた落ち込む。感情移入しがちなこの性格をなんとかしたいものだ。
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