
ずば抜けた容姿というものは、それは一つの立派な才能なわけで、「彼(彼女)は容姿はいいが、性格が云々。才能が云々」という物言いには賛同できない。それらは対比すべきものではなく、別個に あるいはトータルに評価されるべき問題だと思う。
とにかく、容姿は人物の評価基準となってはならないという やっかみ半分のエセ平等主義はいらない。
「美しい」とか「均整が取れた」という評価は個々人の嗜好にもよるが、時代や社会によって最大公約数的な評価はありうる。ある人物を「容姿が美しい」と評したとき、別の評者が「さほど美しいとは思わない」と評する場合、その多くは嫉妬や羨望の裏返しであることがほとんどだ。別の社会、別の時代でどうであるかは知らないが、今僕が生きている時代、社会では「足が長い」は「足が短い」より優良な資質として評価されているし、「肌のきめが細かい」は「荒れた肌」より優良であると評される。
これらの多分に先天的な資質に対する評価を一段低く見積もり、後天的な「性格」や「努力によって得たもの」をことさらに崇めるのはいかがなものか。生まれ持った容姿の違いは、厳として存在する不平等として受け入れる懐の深さを持ちたいものだ。「性格のよいブス」と「性格の悪い美人」とどちらを選ぶ? という設問はナンセンスである。「性格のよい美人」がいいのだ。
と、前フリが仰々しく長ったらしくなったが、『猿の惑星』の感想だ。
エステラ・ウォーレンが美しい!!!!
映画を観ている間、僕の心はこの女優に釘付けとなっていて、他の ストーリーがどうの、映像がどうの、ティム・バートンがどうのといった問題は全く頭から消し飛んでいた。
半分以上は僕の個人的嗜好によるものなんだろうが、それを差し引いてもこの女優の美しさは冷麺一回分をまるまる使っても足りないくらい抜きん出ている。恐らくその思いはティムバートン本人が一番感じていることだと思う。
エステラ・ウォーレン演じるディナははっきり言ってストーリーに全く絡んでいない 笑。これは僕の勝手な想像だが、多分ティム・バートンは「なんかこの映画、猿とむさい男ばっかで暑苦しいなぁ。このままじゃつまんないな〜。美女の1人もフィーチャリングしとかないとダメだなこりゃ」と思ったんだと思う。それくらいどうでもいいキャラクターなのだった。
しかし!! それだけどうでもいいキャラクターなのにも関わらず、僕の心は鷲掴みにされた。とにかく美しいのだ。
彼女のプロフィールをちょっと書いておこう。シンクロナイズドスイミング94年〜96年の元カナダチャンピオン。その後モデルに転身し、最近ではJALの「リゾッチャ」のCMやシャネルNo.5のCMに出演した(このCMの監督は『レオン』のリュック・ベッソン)。モデルから女優になろうと決意し、プロダクションに所属した直後にティム・バートンからオファーがあり、『猿の惑星』に出演。1978年生まれ。シャネルのCM。QuickTimeがインストールされていないと見れないかもしれないが。
映画の感想? どんな映画だったっけ?
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