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2001年10月21日

子供を殺してみてください もし殺すことが出来たら あなたは子供を殺すことができる人間だったということになります

P・アリエスの『<子供>の誕生』を読んだ人はいるだろうか? 「子供という概念は近代の産物だ」という身もふたもない事が書かれた社会学の本で、そういう読み方は誤読であるという説もあるが僕自身はその誤読そのもので読み通した。その方が多少気が楽になれたからである。

僕も歳が歳なので、さすがに自分が子供を持つということを現実として考えなきゃいけない。しかし考えれば考えるほど先が暗くなっていくのだった。子供というのは考えて作るもんじゃない。出来ちゃうものだ。しかし世間を見渡すとあまりにも不幸な「出来ちゃった子供」が多くて恐ろしくなるのである。

太古の昔を考えたら、子供は正に「出来ちゃう」もので、中には邪魔扱いされてモノのように捨てられたり殺されたりした者もたくさんいただろう。だけど今は太古の昔じゃない。子供というのは庇護され、愛されるべき存在ということになっている。このパラダイムに馴染めなかった子殺しの犯人たちは、必要以上に社会から白い目で見られることになっている。僕は多分自分の子供を殺さないと思うが(かなり当たり前だ 笑)、子殺しの犯人たちがぶっ壊れた人間だとは到底思えない。子供が邪魔で、疎ましい存在だと感じる者がいても全然不思議ではない。

で、僕は多分子供を殺さないが、果たして自分に子供が出来たとき邪魔で疎ましいと感じずにいられるのかが問題なのだ。

「平気平気〜。子供嫌いの人でも自分の子供だけは別格だよ〜。絶対かわいいよ〜。100%親ばかになっちゃうよ」

こんな言葉をさらっと言える人は幸せだ。僕は全然この言葉を信用出来ない。この言葉が正しいのだとしたら、毎日のように虐待死させられた子供のニュースが僕の目に入るわけがない。彼らは何故殺されたのか? かわいくなかったからだ。邪魔で疎ましかったからだ。庇護され愛されるべき存在じゃなかったからだ。

一方で子供への強い愛情を感じさせてくれる親たちを見ることも多い。この差は一体なんなんだろう。僕は一体どっちなんだろう? それが判定出来るまでどう考えても子供を作ることなど出来ない気がする。多分判定出来ないんだろうが……。こういう事をごちゃごちゃ考える歳になる前に作っておけばよかったのかもしれないな。16歳くらいで。若すぎ。



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