
無学文盲なロクデナシが自分の身の丈でお金について考えてみました。
眠れない時、暇で暇でしょうがない時、使い切れない額のお金を手に入れるという状況を夢想することがあります。なるべく詳細なディテールを思い描きます。手に入れるまでの経緯。手に入れてからの金の使い道。激変する日々の暮らし。友人関係。住居。車。子供。仕事。老後。死。
僕はどうやら喉から手が出るほど金が欲しいらしいです。使い切れないほどの金を手に入れたら、実際には僕はどうなってしまうんだろう? 日々の仕事に追われ、やりたいことが何一つ満足に出来ない今の生活は果たしてどう変わるんだろうか? やりたい事自体が霧散してしまうんじゃないだろうか? 「やりがいのある仕事」を持たない富豪の暮らしはどんなものなんだろうか? 本当は「やりがいのある仕事」なんていうものは幻想に過ぎなくて、仕事をせずに生きていける事を嬉々として受け入れるんじゃないだろうか? 金を浪費する事自体に飽いて今と変わりない生活になるんじゃないだろうか? 日々ゲームをするだけのゲーム人間になるんじゃないだろうか? 真のひきこもりになるんじゃないだろうか? 「金を手に入れる」という生きていく為の必要条件から解放されたら、そこにはどんな世界が広がっているんだろうか? 今ひとつ判然としません。
使い切れない額のお金を手に入れるという事は一体何を意味しているんでしょう? それは結局凡百の人間の上に立ちたいという欲望なんでしょうか? 全人類が等しく1000億円を手にしたとしたら、物の価値は一変します。1000億円を持っている事は特別な事ではなくなる。全員が「使う側」になり、「使われる側」はいなくなる。有り得ません。そんな世界は絶対に有り得ない。必ず金を使う側と金によって使われる側が存在するのです。現実社会ではその時々によって個人が使う側と使われる側をいったりきたりします。これでは意味がない。要するに僕は他のほとんどの人が手に入れられない額の金が欲しい、圧倒的に「使う側」として存在し続けたい、ということになります。1000億円という額が魅力なのではなくて、「ほとんどの人間が手に入れることが出来ない力」が魅力なのです。ああ、なんとあさましい。僕は自分以外の人間を全員奴隷にしたいだけなのだ。これが金の持つ真の意味なのか?
無学な僕は当然マルクスなど読んだ事はありません。しかし大雑把には把握しているつもりです。歴史上実現したユートピア=共産主義世界は結局ごく一部の特権階級とそれ以外の凡百の人間を作り出したに過ぎない。理想は蹂躙され、現実の欲望に敗北したのです。人に欲望ある限り、平等という言葉は有り得ない。
数百万人の人間がなけなしの金を持ち寄り、大金を作り上げる。それをほんの数人に与えて「使う側」の人間を作り上げる。そして何もなかったように数百万人の人間は奴隷の生活に戻る。宝くじというシステムは一体何を目的にしてるんだろう?
誰か僕に1000億円与えてみませんか? 「金とは何か」という命題に美しい解答を出してみせますよ。
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