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2002年05月06日

我が闘争の歴史(3)

次回は端末遍歴をなんて軽く言ってしまって後悔しきり。記憶が定かじゃないので遍歴を辿れるかどうか全然自信ありません。資料もほとんど現存していませんし、機種名を思い出すだけで一苦労と言った感じです。

これはP2HYPER

「つながらない、動けない、家に入れない」で散々な思いをしたPHSに見切りをつけ、最初に手に入れた携帯は、Panasonic製のP201HYPERでした(多分そうだったと思います。もしかしたらP101HYPERかもしれないし、P2HYPERだったかもしれません)。当時秋葉原で5万5千円で買いました。今見ても美しい筐体でしたね。「最も携帯らしい携帯」だったような気がします。伝統的にPanasonic製の端末は受信感度が良く、他社製のアンテナが1本しか立たない所でもPは余裕で3本立つといった感じで、かなり優越感を持てました。当時は端末性能のものさしは受信感度くらいしかありませんでしたし。人と会話するための携帯電話としてはこの時点で既に完成の域に達していたような気がします。

次がP151HYPER。地方の人は知らないかもしれませんが、現在シティフォンと呼ばれている1.5GHz方式の携帯です。エリアが都市部に限られますが、その分通話料が安いのですぐ飛びつきました。しかし予想以上に通話エリアが狭く、遠出の際には悔しい思いをしたこともしばしば。確か「シティオ」とか言うわけのわからん愛称がついていたと思います。

次はP153HYPER。常にPanasonicの端末は「世界最小最軽量」を売りにしていましたが、この端末の小ささにはかなりの衝撃を受けた覚えがあります。「なんかPHSみたいでしょぼい。全然携帯に見えない」という評判は、裏を返せばそれだけ小型化が進んだという事でもあります。僕の友人知人の間でもかなり普及した端末です。この頃あたりから携帯電話の使用目的は明らかに変質してきました。通話よりも圧倒的にショートメールのために使う事が多くなったのです。期を同じくしてポケベルの使用者(当時は携帯とポケベルの両方を持っている人がたくさんいました)がどんどん減っていきました。

ここらへんからいよいよどの端末を買ったのか記憶が定かではないんですが、恐らくP156、P157、P208とP路線を一直線に駆け抜けたように思います。しかし! あるテレビドラマが僕の深層心理を少しずつ動かしていったのでした。それは『踊る大捜査線』。柳葉敏郎演じる室井さんが持っていた折りたたみ式の携帯電話がとても格好良く見えたのでした。次は折りたたみだな……。iモードサービスが始まっていたのもメーカーを変えるいいきっかけだったかもしれません。携帯電話をブラウザとして使うには、世界最小最軽量のPシリーズの液晶ではいかにも画面が小さすぎたからです。

誰の興味も引かないまま盛り上がりもないまま次回iモード編に続く。



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