
なんかね、唱歌とか童謡ってものがなくなりつつあるらしいよ。一番わかりやすい例で言うと「故郷(ふるさと)」ね。
兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて 忘れがたき 故郷
いい歌だねえ……。僕が初めてこの曲を意識したのは小学生の時、楳図かずおの『漂流教室』を読んだとき。未来にタイムスリップしてしまって親と離れ離れになった子供たちが「いつか絶対に帰るんだ!」と心に誓って、みんなでこの歌を唄うんだよね。僕は東京生まれの東京育ちだし、まだ故郷なんてものの有難味を全然わかってない小学生だったけど、彼らに感情移入すると実にこの歌の良さが心に沁みたわけ。ちょっと脱線したな。とにかくこういう良い歌ってのは「誰もが唄える」「誰もが知っている」って所に意味があると思うんだよね。そういう歌を口ずさむと、すーっと隣の人の頭の中にも同じ歌が浮かんで、それぞれ別な思い出が喚起される。思い出は別々だけど、歌を通じて隣の人とコミュニケーションが取れると。
で、最近の小学校じゃ「故郷」を音楽の授業なんかで取り上げないらしいんだな。理由を聞いてびっくり。「文語表現が小学生の言語レベルでは難しすぎるから。兎美味しい、と受け取られかねないから」だってさ。アホか。確かに小学生の言語レベルじゃ難しいよ。兎美味しいだと勘違いするよ。事実僕もこの歌を覚えた時はそう思ったし。でもさ、そういうのは言語レベルが上がれば追々わかることだし、間違って覚えてたって全然いいじゃん。よく乳幼児に歌を聴かせてあげるよね?「ぞうさん」とか「七つの子(カラス何故鳴くの)」とか、あれだって乳児の言語レベルから見れば相当難しいし、そもそも歌詞を味わってもらうために聴かせてるわけじゃないでしょう?それがなんで文語表現排除に結びつくかなぁ。例えばさ、「故郷」がこういう歌詞だったらどう?
兎追った あの山 小鮒釣った あの川
夢は今も めぐって 忘れにくい 故郷
子供向けでわかりやすいけど台無しな。味の欠片もねえよ。こんな歌詞だったら大人になっても思い出喚起されないよ。そこらへんはわかってるみたいで、歌詞を勝手に変更して原曲台無しにするような事はしてないみたい。その代わり学校では教えないんだとさ。親が唄って聴かせてくれた子はいいけどさ、唄ってくれない親だっているわけだし、そういう子が大人になったらなんか可哀相って気がするんだけど。考えすぎ?
「赤い靴」は「異人さん」が差別的だからダメ、「背比べ」はマンションの壁に傷つけるから(?)ダメ、ダメダメ尽くしでどんどん消えてく。事実、どっかのテレビが小学生1クラスにインタビューっつーかアンケート取ってたんだけど、僕からすれば「マジでこの歌知らないの!!?」とびっくりするようなスタンダードな曲がクラス全員知らなかったりとかして……、なんか悲しくなったね。
歴代最も意味わかんねえ、言語レベルマックスだった曲は多分アレだよね。「モーロビトーコゾーリーテー」「シュウワッキーマッセーリー」こいつは宗教がらみだからずっと消えることはないと思うんだ。異人さんが差別語だっつーなら、子供の心に宗教植え付けるこの歌の方がよっぽど罪深いと思うんだけど、どう?
主は来ませり 主は来ませり 主は主は来ませり
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