この前久しぶりに電車に乗ったんだけど異様だね。終電間際だから立ってる人はほとんどいなくて、丁度いい具合に席が埋まってんの。で、全員携帯電話の画面見てんの。キ・モ・イ。ま、自分も例外じゃないんで、あんまり偉そうな事は言えないんだけどさ。「ハワイに行ったら日本人ばっかでやんの。もううんざり」っておまえもその一人じゃねーのかよ、みたいなね。
森田芳光監督の『家族ゲーム』っていう映画に一家3人プラス家庭教師が食卓を囲むシーンがあって、細長いテーブルの片側にズラっと並んで座るのが異様だな〜って思った記憶がある。あれはテレビのドラマなんかで、食卓を囲む家族が全員カメラに収まるように不自然にこちらに顔を向けているのをおちょくってるというか、逆手に取って異様な雰囲気醸し出してるわけなんだけども、それを彷彿させるよね。
いつも電車利用してる人にとっては当たり前の光景なんだろうけど、なんだか異世界に紛れ込んじゃった気分。僕があまりにも電車に乗らなさすぎなだけで、社会常識(?)からズレてるというか、浦島太郎状態なんだろうねー。あと気になったのはペットボトルね。車内で飲んでる人多い多い。高そうなブランドもののバッグからひょこっとお茶のペットボトル出して、一口飲んで、また戻す。そしてメール確認。大体これをエンドレスに繰り返してるって感じ。
「昔は良かった」が口癖の耄碌ジジイみたいな事言って申し訳ないけど、つい10年くらい前までは車内で飲み食いするのってかなり抵抗あったと思うんだよ。それが今じゃ、まるで自分の部屋でくつろいでるかのように呆けた顔してメール打ったり友達と携帯でダベったりお茶飲んだりしてる。硬い言葉で言うと「公共空間の私物化」みたいなものが随分進んだと思うのね。別に良い悪いじゃなく。こうなると「地下鉄で口論。サラリーマン刺される」とかいうニュースも納得行くよね。誰だって自分の部屋でくつろいでる所に、赤の他人がずかずか入ってきて荒らしたら頭来るもの。
心の中じゃ異様だと思ってるくせに、自分もどっぷり同じ事やってるから始末悪い。電車に全然乗らなかった僕自身にも、この10年で似たような意識改革(?)が起こってたんだねえ。ま、こんなこと何を今更なんだけどさ。
つーかよく考えたら似たような事前に書いたわ。本格的に耄碌してきた。すまん。ワシがこんな体なばっかりにおまえには迷惑かけちまって。おとっつぁん、それは言わない約束よ。
ディズニーランドが来年20周年だそうで。光陰矢の如しですな。当時後楽園とか豊島園とか、コテコテの遊園地しかなかった所にアレはインパクトありました。正直凄かった。びっくりした。あんな辺鄙な所にあんなドデカイもの建てて、やっていけるのかね? すぐ潰れちゃうんじゃないの? なんて言われてたのが嘘のようです。USJにも大差をつけて、テーマパーク一人勝ち状態です。でも過去を振り返ると10周年、15周年の翌年は大きく売上が落ち込むというデータが出てまして、20周年の翌年に当たる2004年には、厳しい現実が待ってるんじゃないかという予測が立ってるそうです。ディズニーシーもぶっ建てちゃったし、ここが正念場なんでしょうな。
僕のバイト時代の後輩がオリエンタルランド(ディズニーランドの運営会社)に就職してまして、色々とディズニーランドの裏話を聞いた事があります。あそこの基本理念は「SCSE」、つまりSafety(安全性)、Courtesy(礼儀正しさ)、Show(ショー)、Efficiency(効率)。残念ながら裏話を披露するとこの「ショー」の理念をぶっ壊すことになっちゃうのでお教えできませんけど、そりゃもう涙ぐましい努力がディズニーランドを支えてるってことがよくわかります。水面下で必死になって足ひれを回転させてる白鳥のようなもんです。
その子が就職を決めたのは確か1995年だったか1996年だったか、ちょっと忘れちゃいましたけどその辺りでした。ディズニーシーってのは実に10年以上もかけてじっくりと計画が練られていたプロジェクトで、当時就職したばかりの彼女もその話の壮大さに思わず感動したそうです。一般にはまだ広まっていないディズニーシーの話がしたくてしたくてたまらない。で、バイト仲間の僕らに熱く語ったのでした。
まだ本当は秘密なんだけど、2000年後に『ディズニーシー』っていう海洋テーマパークが新しく出来るんだよ!
随分先だなオイ。
かなり前にブックマークしましたが「俺とパンダ」の面白さは格別。考えてないようでいて考え抜かれてる展開が心地いいですねー。
今でこそ岸谷五朗は演技派俳優なんて言われてますけど、AMラジオをよく聞く者にとってはあのおっさんは「SET(三宅裕二主宰、スーパーエキセントリックシアター)出身の売れないお笑い系の俳優」だったんであります。当時岸谷がやってたラジオ番組はかなり面白かったです。
彼が大昔『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出演した時に披露した笑い話(を書こうと思ったんだけど内容忘れちゃったので翻案。大筋っつーかオチは合ってる)。
居酒屋で飲んでたんですよ。そしたら近くの席に見るからに「ヤ」の付く職業の人がいて、少し警戒してたんです。でも飲んでたら段々酔っ払ってきちゃって警戒心が薄れちゃったんですね。立ち上がった時にふらふらしちゃって、運悪く「ヤ」の人のテーブルに倒れ込んじゃったんです。もうテーブルの上めちゃくちゃ。思わず「すいません!」って謝ったんです。そしたら「ヤ」の人、おもむろに立ち上がって、「てめえ……すいませんじゃ…ありません!!!」。すいませんじゃねえんだよ! とか凄むつもりが、思わず「すいません」の語感に引きずられて丁寧語になっちゃったって言う… 笑。かなり大笑いだったんですけど、実際は笑えない結果になってました 笑。
こういう言い間違い、結構ありますね。僕のバイト時代の後輩M君はかなり上下関係に敏感なヤツで、先輩にはしっかりした敬語を使う事で有名でした。でも熱くなる性格で、先輩と衝突することもしばしばなのでした。
先輩「おい、仕入れの数 間違えてるじゃねえかよ。たるんだ仕事してんじゃねえぞ、このタコ」
M君「すいません。すいません。気をつけます(くそ、俺がやったんじゃねえのに……)」
先輩「おい、なんだこのグラス。ふちが欠けてるじゃねえかよ」
M君「す、すいません……。(くそ、それ割ったのも俺じゃねえ……)」
先輩「割るのは仕方ねえけどよ、平気な面してお客さんに出してんじゃねえよ」
M君「そんなこと、やってねえですよ!」
おまえは江戸時代の小作人か。おねげえしますだ、か。
妹とはいつも好みの押し付け合いで。僕がゲームと映画を無理矢理妹に押し付ける。妹は漫画を僕に押し付ける。これが赤の他人だったら2秒でスルーなんだけど、お互い肉親の甘えがあってかなりしつこいから、渋々手に取ってみるわけ。幼い頃から同じ環境で育ってきたから当然ながら好みも似通っていて、大体「ふむ、面白い」ってなるからいいんだけど。
で、すすめられて『課長 島耕作』を読んでる。ナンスカコレは。ナンナンスカ。確かに面白いっちゃー面白いんだけど、どうにも感情移入出来ない。島耕作って34歳なんだよね。僕とほとんど歳変わらないじゃん。それなのに何から何まで違いすぎ。読み切りとして初めて『課長 島耕作』が発表された当時、弘兼憲史は36歳。僕は40代後半で描いたのかと思ったよ。それくらいオヤジ臭い。
僕と島耕作の違いリスト
これが30代前半男性のあるべき姿なのかねえ?ちょっと思ったけど島耕作がこうやってWEB日記グダグダ書いて、ゲームがどうの、携帯電話がどうの、とか言ってるのはやっぱ異様だよね。んで、2ch覗いてネタ職人に笑わせられてたりとか。うへ寒い。
結局「ダチョウ 島耕作」の画像ネタがやりたかっただけなんでどうでもええわ、正味の話。
もしくは、こんな彼女はイヤだ 2002 in 闘強導夢。
身長166cm、体重49kg、B91W59H89で股下22cm。あだ名はドダイYS。
「モチベーションが低下してる」とか言って一切家事をやらない。
2ちゃんねる ネットウォッチ板(通称ヲチ板)で名の知れたコテハン。全スレで放置指令の御触れが出るくらいの嫌われ者。実生活でも「漏れは」とか「キボンヌ」とか言うので薄気味悪がられている。
毎朝 日テレ前に行って『ズームイン朝』に地味に写りこんでる。たまに「今日の最高気温は39度」とか中途半端な嘘情報を書いた手作りプラカードを持ってる。でも出す勇気がなくて隠してる。
来たるべき食糧危機に備えて、自宅アパート(一人暮らし)の浴槽で食用ガエル700匹を飼育している。が、うっかり風呂をわかしてしまい全滅。もったいないので4匹までは食べたが残りが腐って異臭騒ぎで通報された。
無人島に漂着した際、愛する男の命を守るために自分の左足を切断してその男に食わせたという壮絶な過去を持ってる。救助後、男がパチンコばかりして定職に就かなかったため2ヶ月で別れた。
1987年4月入団、わずか20試合出場した後「日本に馴染めない。ボールが怖い」と涙の会見を行ない速攻引退帰国した元大洋ホエールズのレスカーノ外野手のファン。サインボール持ってる。
タイの英雄。
ちょっとタフな2日間だった。
僕がバイト時代に右腕として頼りにしていたアカネから電話があった。「明日ワーカセさんが私の家に正式に挨拶に来ることになりました。明日の月例会(飲み会)でみんなに報告するけど、アニさんには先に電話で話しておこうと思って」そうか、ついにアカネも結婚か……。バイトに採用された時は19歳で最年少、みんなに可愛がられてる子供みたいな存在だったのに……。感慨深い。僕のアカネに対する感情はほとんど家族愛に近い。普段は子供っぽい笑顔と舌っ足らずな喋りでアホっぽく見えるが、仕事は誰よりも真面目で有能、芯が強くてしっかりと自分を持ってる大人だ。歳は僕より全然下の女の子だが、ある面では尊敬すらしている無二の親友だ。しかしワーカセも明日は一世一代の大舞台だなー。緊張するだろうなー。アカネのお父さん、厳格でおっかねえし。明日の月例会が楽しみだ。
と、のんきに思っていたのだ。しかし当日の朝に大変な事になった。ワーカセから電話が入る。「すいません、アニさん。今日の月例会行けなくなりました。アカネが車にはねられました。今どういう状況か俺もわかりません。とにかく今から病院に行ってきます」初めは冗談だと思ったのだが(ワーカセはこういう悪趣味な法螺が大好きな男なのだ)、どうもそうではないらしい。僕は生憎仕事中だったので放り出すわけにもいかず、とりあえずワーカセからの続報を待つしかなくなった。しかし心中は仕事どころではない。肉親にも等しいアカネにもしもの事があったらと考えると息が出来なくなりそうになる。3時間後もう一度ワーカセから電話があった。「とりあえず大丈夫そうです。外傷もないし骨にも異常はないみたいです。ただ全身打撲とショックで喋る事すらままならない状態です。今日は大事を取って入院するみたいです」ほっ……。結婚を決める大事な日に大きな怪我が無くてよかった。交通事故で顔に大怪我を負い、片目を失明した若い女の子のドキュメンタリーが以前TVでやっていたのだが、それを思い出して背筋が凍る思いだった。とりあえずさっさと仕事を終わらせて病院に向かおう。この目で確かめないとどうにも安心出来ない。
少し不安な思いで病室にたどり着くと、アカネの両親とワーカセが暗い顔をしてベッドを取り囲むように座っていた。ワーカセの場違いな挨拶用のスーツ姿が悲しい。今日は挨拶どころでは無くなってしまった。ベッドを覗き込むとアカネの姿がない。急に気分が悪いとうったえて頭のCTスキャンをもう一度精密にやることになったんだそうだ。じわじわと不安が押し寄せてくる。
いつもはおっかないお父さんも今日は一回り小さくなって俯いていた。随分昔の話になるが、僕はアカネのお父さんに胸倉掴まれて殴られそうになった事がある。夜遅くまでバイト仲間と遊んだ後、アカネを車で家まで送っていった時だ。僕としては若い女の子が一人で夜道を歩くのは危険だからという思いで送ったんだが、お父さんにしてみればむしろ逆で「こんな遅くまで娘を連れ回したわけのわからない男」に思えたんだろう。その時は僕も頭に血が昇ったが、自分が親の立場だったら同じ事をしたかもしれないなと後になって思った。
病室で背中を丸めていたお父さんはいきなりその時の事を話し出した。「あの時は失礼な事をして悪かった。ずっとお詫びしようと思ってたんだ。いつも娘によくしてくれて有難う」言葉も無い。
事故の話を聞いた。交差点を斜めに横断しようと歩いていたアカネに、右折してきた車が突っ込んできたんだそうだ。7〜8メートルもはねとばされて道路に叩き付けられた。相手は37歳の主婦で2人の子供が同乗していた。タクシー運転手であるアカネのお父さんは相手の気持ちもよくわかるんだと言った。「事故を起こして辛いのは向こうも同じだ」と。「でもな、俺にとってはアカネは宝なんだ。いくら向こうが申し訳なく思っていても親として許せない」とも言った。気持ちはワーカセも僕も一緒だ。お父さんにとっては宝のような娘であり、ワーカセにとっては宝のような未来の奥さんであり、僕にとっては宝のような親友なのだ。
結局その日はすぐに病室をあとにした。検査が終わるまでどれだけ時間がかかるかわからなかったし、僕みたいな部外者がいつまでも残っていては家族も気詰まりだろうから。しかし心配が残る。頭を打って気分が悪くなるというのは良くない兆候だ。
翌日の朝ワーカセから嬉しい報せが入った。「大丈夫そうです。CTの結果も異常なしでした。今日は昨日より随分元気です。お見舞い行かないでも平気そうですよ」そうは言われても一目会っておかないとどうにも安心できない。またのこのこ病室に顔を出した。そういえば見舞いの品すら持っていってない。社会人失格だな。昨日はもぬけのからだったベッドにアカネの姿があった。いつもどおりの笑顔だ。よかった。安心した。気分が悪くなったのは脳震盪の影響で、2〜3日は頭痛も取れないかもしれないのだという。全身の打ち身もひどく、かなり痛そうだったが普通に話せた。
今時TVドラマだって、婚約の日に交通事故なんて展開はありえない。でもドラマティックな出来事のおかげで、普段気にも止めない身近な人の愛情を再確認出来るんだな。大事に至らなくて本当によかった。今はなんだか晴々とした気分だ。
うちのそばの家の2階のベランダで猫が子供を産んだ。ニャーニャー鳴いている。数日後、カラスが仔猫を掴みあげて路上に叩きつけた。まだ生きている。親猫に為す術はなかった。助けに行けば自分がやられる。カラスは仔猫の目をついばんだ。両眼をほじくりだされて仔猫は死んだようだ。それ以上食べるところはないといった風情でカラスが飛び去った。両眼のない仔猫の死体が路上にある。親猫は、仔猫の死体の首をそっと噛んで持ち上げた。そのまま何処か知れない所に仔猫の死体を隠した。
僕は一部始終を見届けた。
脚色なしの事実を羅列した日常日記であって、寓意はない。
京王線幡ヶ谷駅のそばに斎場がある。その裏手に友人が住み始めた。29歳独身の女性。異常に胸がでかくて異常に警戒心が少ない子だ。引っ越した翌日に遊びに行こうとしたら「今日はお隣さんの男の子と食事に行くからダメ」と断られた。元々その男の紹介で部屋を契約したと言う。自分の隣の部屋を紹介するとはなかなか豪気な男だ。
火曜日の夜に部屋に行った。まだ中はがらんとしていて生活感がない。引越し祝いにDVDとVHSのハイブリッドプレイヤーをくれてやった。一緒に持っていった『ショーシャンクの空に』を少しだけ観た。ティム・ロビンスとモーガン・フリーマンではどちらが役者として優れているだろう。考えながら煙草を吸おうと思ったら、この部屋には灰皿がない事に気付いた。仕方なく窓から灰を落としつつ吸った。吸殻には水を含ませて直接屑篭に捨てた。
「隣の男は煙草を吸う男か?」
「吸うみたい」
「そうか。そりゃよかった」
「何が?」
「いや、何も」
12時前に帰途についた。帰りの首都高はがらがらだった。30分とかからず帰宅した。
大した理由はないが今日からHN「テラヤマ アニ」を名乗ることにする。
■人が死ぬ物語を読むと哀しくなる。条件反射ではなく、身近な人の死をそこに重ねている。
■「見返り」という言葉の枠に囚われて人との交流が億劫になる。単純に受け入れられない要求ははねつけ、受け入れられる要求は受け入れればいい。しかしそもそもそれは要求なのか? 要求でないのだとしたら受け入れるもはねつけるもない。意味を見出す必要がない。
■誰も答えをみつけていない。たくさん用意されている答えからひとつを選択し、それにすがって暮らしてる。宗教であったり、金に象徴される豊かな暮らしであったり、奉仕で得られる充実感であったり。用意された答えのどれもに不満を抱えたり。答えが選択出来ないならあきらめてパンを食えばいい。
■目の前にある美味しいパンを食べ、それを美味しいと感じる事が出来れば儲けモノだ。それが全ての答えだとしても何の不思議もない。
■騙し騙し自分と付き合っていく方法を知っている人を見て「あの人はスマートだな」と言う。あの人のスマートな顔を歪ませるために、騙しきれない事実を突きつけるのもいいだろう。歪んだ顔こそが真実だと勘違いしていないなら。
■押し売りが来なかったら買う事もなかっただろう。役に立たないモノなら自分で役立たせればいい。少なくとも両の手に何もなかったら役に立たせる事すら出来ない。
■数字に意味はない。数字は数字だ。そこに意味を与える事がいいことなのか悪い事なのかはわからない。ただ、意味は見出すのではなく与えるものだという事は確かだ。
映画を観る楽しみの半分は、観終わった後に友人とあれこれ感想を言い合う事だ。一人で観に行ってもいいんだが、後で同じ映画を観た人が少ないと損した気がする。
先日書いた幡ヶ谷の子(29歳独身女性)が変わったヤツで、読解力と言うか鑑賞力と言うか、そういうものが完全に欠落している。自称「映画通」って事になってるらしいが詐称だ。犯罪だ。
いつだったか『イングリッシュ・ペイシェント』というアカデミー作品賞他9部門を受賞した映画を、彼女を含めて友人数人で観に行った事がある。ご覧になっていない人のために一応紹介文を書いておこうか。「戦争によって運命を狂わされた男女の希望と再生を、現在と過去を交錯させながら壮大なスケールで描いた感動作。第2次世界大戦末期。事故で重傷を負った身元不明の患者が、遠退く意識の中で次第に運命の女性を思い出す」こんな感じだ。奥深い作品なのでいかようにも観方があるとは思うのだが、彼女は観終わった直後にこのようなコメントを言い放った。
「ええと、これって結局主人公がホモだって事? あのインド人みたいな人とホモ達(?)なんだよね?
」
一同唖然である。誓って言うがそんな事をほのめかす描写は劇中1秒たりともない。ホモの「ホ」の字もない。おまえは一体あの映画のどこを観てホモとかわけのわからん事を言ってるんだ、と一同から散々罵倒された。『もののけ姫』を観に行った時も同じような事があった。
「あのさ、ヤックルはあの狼の事が好きなんだよね? キスしてたよね?
」
してない。好きじゃない。そんな瑣末な事を気にかけて観てた人は誰もいない。恐ろしいほど常人の感覚とズレているのだ。『スピーシーズ』を観た時はこんな事を言っていた。
「わかった! あの黒人は超能力者でしょ?
」
そんな事は映画が始まってすぐに全員わかってる。今頃気付いて喜んでるのは君だけ。つーかそれに気付いてなかったら映画の内容が全然理解出来なくなる。
一つだけ弁護しておこう。彼女が「これはホモ映画だ」と言い放った『イングリッシュ・ペイシェント』の主人公は実在の人物で、この男は確かにゲイだったんだそうだ。ただし映画ではヘテロセクシャルとして描かれているから、彼女の読みは映画観賞的には明らかに間違えている。恐らく彼女は超能力者(サイコメトラー)で、映画のモデルになった実話を直感的に見抜いたんだろう。しかしながら残念なことに、サイコメトラーと映画の感想を言い合っても楽しくない事だけは事実なのであった。
そこらのネトア(オヤジ注:ネットアイドル)も裸足で逃げ出すテキストロリポップこと「ONIES」のシノさんが面白い遊びをやっていた。のろのろ杖をついて歩いてるお年寄りとか、チャリ専用ヘルメットをかぶってる中坊とか、見た目間抜けな野郎にかっこいいBGMをつけてやるっていう遊び。すごい着眼点だね。面白い。何処で見聞きしたか忘れてしまったが、テーマパーク4096の日記(8/26)に自分の名前を「ハンバーグ」にするというものがあった。会社の新人研修なんかで、全員思い思いの名前を自分につけて、名札をはりつけるのだ。「おはようございます!ハンバーグです!」これだけで自然と笑顔がこぼれて、辛い新人研修が和気藹々の楽しい時間に早変わりする。
なんか以前に書いたような気がするけど(堂々巡り王)、僕が昔友人とよくやっていた(いやらしくも生臭い)遊びを紹介しよう。
一番いいのは駅のホーム。所在なげに電車を待ってるうら若き乙女をターゲットにする。ターゲットが不快感を感じず、尚且つこちらの存在に気付く程度の距離まで近づく。ターゲットによりけりだが凡そ3〜4メートルといったところか。あまりわざとらしくならない程度に宝の山を発見したような表情をする。そしてターゲットをじっと見つめる。ターゲットが視線に気付いて、前髪を整えたり鏡を取り出したりしたらこちらの勝ち。何の反応も返してこなかったら負けというゲームだ。勝負がついたらそれ以上は何もしない。ナンパの前哨戦みたいなゲーム。こちらの自意識対ターゲットの自意識の対決。目一杯お洒落に気を使ってて、そこそこ可愛い女の子をターゲットにするのがコツである。
最近は女の子の方が颯爽としてて、男の視線なんか気にもかけてないってパターンが多そうだ。逆に女の子が男に対してゲームを仕掛ける方が楽しいかもしれない。ちなみに僕は年齢的にリタイアで、ネクタイを締めてる男がいくら仕掛けても女の子は全く意にも介さない。「ああ、もうそういう対象では完全になくなってしまったのだな」としょんぼりである。
金がかからなくて楽しい遊びがあったら教えてくれたまへ。いや、金は捨てるほどあるんだがな。げふっしーしー(爪楊枝)。
匿名メールフォーム復活。空メール送れないやつに変えた。
本日は予定を変更してミスタードレクスターにいろいろ質問してみたいと思います。まずはミスター、簡単な自己紹介をお願いします。
「生まれはアーカンサスのリトルロック。元SEALだ。今は荒川区の西日暮里でネゴシエーターをやってる。日本に来て17年になるが未だに道端に落ちてるカリントウは食えない。それは犬のクソだからだ」
ネゴシエーターというのは具体的にはどのような?
「誘拐犯人の説得から、隣の婆のシモの世話、大型冷蔵庫の搬入、子猫のしつけ係、芸能人水泳大会のおっぱいぽろり要員まで何でもこなす。街のよろず相談所だ。あなたの隣のホットステーションだ。2年前にあった大手食品メーカーのM&Aにも関わってる。今おまえがとっとこハム太郎ふりかけを食えるのも俺のおかげと言っても過言じゃない」
テラヤマアニにたくさんの助言を与えてますね。
「ヨチヨチ歩きだった頃からあいつの事は知ってる。とにかく未だに何の考えもないひよっこさ。少なくともこれだけは言える。俺がいなかったら今頃あいつは相撲部屋だ。花籠部屋だ。序二段で廃業してちゃんこ屋のオヤジだ。売上金を従業員に持ち逃げされて一文無しのただのデブだ」
テラヤマアニとの出会いを教えてください。
「あいつがロス二中(ロサンゼルス第二中学校)に転校してきた初日に廊下の角でぶつかったのが最初だな。朝のホームルームでアニが俺のクラスに入ってきた時は驚いた。なんだ、あいつ眼鏡を取ると案外かわいいじゃんと思った。素顔のままの君でいいんだよと思った。強がってるけど、本当は動物好きのいい子なんだなって思った。この線からこっちには絶対入ってきちゃダメだからねって思った。一言で言えばヤツはしなやかな女豹だったよ」
1972年に起こったメイスン事件で大活躍されたと聞いています。
「あの事件はタフだった。人間には2種類しかいないんだ。ママの作ったチキンポットパイが大好きなヤツと、バンジージャンプでゴムが切れて地上に叩きつけられるヤツさ。メイスンは本当の意味でモンスターだった。あれ以来俺は毛蟹が一切食えなくなったよ。指がちくちくして痛いからな。あとすっごい実が取りづらいし。お酢でむせちゃうし」
今日は貴重な話を有難うございました。最後に日本の皆さんに向けて何かメッセージを。
「この前の北の国からの最終回、ビデオにとってたらダビングさせて。今俺に言える事はこれだけだ」
世間的には2週連続3連休っていうゴージャスな暦なんだね。祝祭日が全く関係ない僕としては目ぇ吊り上げて呪詛呪詛呪詛だよ。行楽に出かける人間どもが全員気分悪くなって吐きますように。土足禁止のピカピカの新車がゲロまみれになりますように。混雑した電車内で全員糞を漏らして、人間は肉で出来た糞袋に過ぎない事を悟りますように。替えのパンツは全店売り切れでありますように。ま、僕は火曜日っていう半端な所が定休日なんで、映画なんか観に行くとガラガラに空いてて有難いんだけどね。みんなが遊んでる時に働いてるってのはやっぱりちょっとジェラシー。
ところで電車で糞を漏らした経験はあるかい? 幸いにして僕はないんだが、世の中には相当数いると思われるよね。いい年こいた係長クラスのサラリーマンが、朝の満員電車で糞漏らし。下痢で人生棒に振った哀しき企業戦士。そんな人に会って話を聞いてみたい。その人のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を癒してあげ…ると見せかけてさらに追い討ちかけてどん底に叩き落してあげたい。
どっちかって言うと、若禿げ係長より20代後半のかっこいいお姉さんの方がいいかな。カルティエのパシャCが似合うスーツの女。パスポートのスタンプが数え切れない海外通。999.9の眼鏡を取ると、目も眩むような完璧ナチュラルメイクの美人。そんなお姉さんでもパンツがもりもり膨らんでガニ股になってしまうんだと思うと、世の無情に思いを馳せずにいられないね。
さて、カレーでも食うか。
人は皆少年の心を失っていくんであるなぁ、なんて考える秋の夜。「少年」つーのはある種免罪符である。逆手に取っていい歳こいた大人が少年ぽさを演出してるのを見ると、鼻糞なすりつけてやりたくなるね。あ、諸君らになかなか使えるマル秘テクニック教えてあげよう。まずね、右手人差し指を思い切り鼻の穴につっこみたまへ。素早く引き抜いて、相手に指をなすりつける瞬間、突き出した人差し指と中指をすりかえるのだ。相手が汚ねえだの何だのぎゃあぎゃあわめいたら、「いえーい、今なすりつけたのは実は鼻糞がついた人差し指じゃなくて中指でしたー」とほざけ。人差し指に本当にくっついちゃった鼻糞はどうするのかって? そこまで面倒見切れるかヴォケ。適当にそこらの壁にでもなすりつけろ。全く近頃のわけえ野郎はすぐ他人に頼りやがる。
最近になって僕も少年の特殊能力を失っている事に気付いた。夢見る能力とか、おっぱいに対する異常な執着とか、まあそういうのもそうなんだけれど、もっと直截的且つ身体的な能力な。
よく漫画なんかで、くしゃみを誘発する物質として胡椒が使われることがある。かつて少年だった僕は、こういうのを見ると実験せずにはいられなかった。で、実際に台所で派手に胡椒を撒き散らしてみたさ。するとどうだい、ミスタードレクスター。僕の端正なクソっ鼻と言ったら何の反応も示さないんだよ。くしゃみの「く」の字も出やしない。「なんだ、こりゃバナナで滑って転ぶのと一緒で、漫画特有のお約束表現なんだな」と僕は思った。これこそが正に僕の少年的身体能力であったわけだ。30過ぎた今じゃ、ペヤングのソース焼きそばについてる「スパイス」がちょっと宙に舞っただけでぶっしゅんぶっしゅん止まらなくなるからね。クソ忌々しい。少年時代であれば、こんなペヤングごときに屈服することは決してなかったのに。
この少年的スーパー鼻能力を活用した薬が、かの有名なヴィックス・ヴェポラッブである。もう40代に手が届きそうなチャッキー(ミシガン州出身)も、イメクラあたりじゃママ役の女性にヴェポラッブを塗ってもらうチャイルドプレイに夢中さ。このチャッキーの神をも怖れぬ所業をして、「少年の心をいつまでも失わない男」と称する世の女性のなんと寛大であることか。僕らは彼女らによって生かされていると言っても過言ではない。というわけで僕は、少年の心と体を取り戻すべく今日も今日とてゲームに勤しむのであった。アーメン。
すごい今更だけど『かまいたちの夜2』を終わらせた。金の栞にして、バグに見せかけた4つの選択肢も全て見た。勢いこんでいつものゲームレビューといきたいんだが、これは最早ゲームではないからね。ちょっとどう評価していいのか迷う。もうサウンドノベルというジャンルはゲームと別個に考えるべき時期に来ているのかもしれない。
既に『かまいたちの夜2』の評価はそこかしこで見聞きしているのだが、僕が見る限りでは総じて低評価だ。これはゲームとしての評価とサウンドノベルとしての評価がごっちゃになっているからだと思う。ゲームとして語ればサウンドノベルはどれもクソつまらないに違いない。そこにはゲームをゲームたらしめる「ルール」の存在がないからだ。『かまいたちの夜2』を語る言葉としては次のようなものが散見された。
チャートが導入されたために、単なる「作業ゲー」に堕している。
残酷描写がひどすぎる。気分が悪くなる。
前者の言説に関してはあまりにも的外れだと言わざるを得ない。サウンドノベルの本質は正に作業であって、用意されたセリフ、エンディングを隈なく網羅する事が唯一の目的だ。せっかく買った本を、一部分だけ読まずに捨てる人はいない。この「読む」という行為を「作業」と捉えるのはゲーマー的視点であって、サウンドノベルをこの視点から語るのは無意味なのだ。
僕はむしろチャートの導入はサウンドノベルの正しい進化、あるべき姿だと思う。3Dダンジョンものも最近のものはほとんどマップが自動作成される。『ウィザードリィ』の時代には自分で方眼紙を買ってきてマップを作成する事が当たり前だったし、その行為自体が楽しかったのも事実だが、そのような楽しみは『ウィザードリィ』というゲームの本質とは無関係だ。だからこそ3Dダンジョンはマップ自動作成システムへと進化した。サウンドノベルも物語の分岐を自分でメモしていけば、ストーリーの取りこぼしはなくなる。むしろこれを強いる方が「作業ゲー」と呼ばれるに相応しいわけで、それを楽しいと感じる者はチャートを利用せずに自分でメモしていけばいいだけの話なのである。「読む」行為を「作業」と捉える者にサウンドノベルをプレイ(?)する資格はない。
後者に関しては好みの問題なので何とも言い難い。僕が見た限りではそれほど酷いとも感じなかったのだが、ダメな人にはダメなのだろう。ミステリだと思って観たら、実はスプラッタームービーだったという不幸なパターンである。しかしサウンドノベルをミステリとして読むのも問題アリだ。いわゆる謎解きを軸とするならばサウンドノベルというシステムは成立しない。あっと驚くトリックはそう幾つも用意出来るものではないし、犯人当てが全てになってしまったらマルチエンディングは意味を為さなくなる。また、プレイ自体もまどろっこしいフラグ立てに終始するし、ストーリーを楽しむどころではなくなる。ストーリーが楽しめないサウンドノベルは最早サウンドノベルではないだろう。それはアドベンチャーゲームという枠内に収まるべき代物だ。
となると、『かまいたちの夜2』で語るべきは個々のストーリー自体の面白さという事になる。しかし残念ながらこれに関しての僕の評価もまた低いのであった。「わらべ唄篇」はさすがに本筋であるので、それなりに良かったが「底蟲村篇」「サイキック篇」「陰陽師篇」はお世辞にも面白いとは言えない。面白いのはどれもふざけたバッドエンディングばかりであった。また、「妄想篇」や「バグに似せた最後の謎の4択」など、プレイヤーの日常を揺るがし、自分自身の精神がおかしくなったのかと疑わせるメタストーリーも失敗だと思う。これなら『メタルギアソリッド2』や『サイレントヒル2』の方が数倍恐かった。下手に恐がらせようとしない方がサウンドノベルは面白いのかもしれない。それともうひとつ。「サウンドノベル」というジャンル名に回帰せよ、だ。ビジュアルに頼るのであれば、ムービー垂れ流しで十分だ。65点。
「なんだ、結局低評価なんじゃん」って言われそうだが、的外れな評価が多かったので一言言いたくなったのである。さー次は『スターフォックスアドベンチャー』だぞ!
改訂版「テキストサイト管理人に100の質問」に回答してみました。改訂版の製作者はマフラーの岩倉さん。100質の原案は元ナフ、現死神INTERNETの竹田さん。ありとあらゆる100質に片っ端から回答していくっていうのをやりたい。体力ない。
あーあ。100質公式ページが荒らされてる。これこそ正に「何を今更」だ。自己顕示欲がなかったらWEBで日記なんて書いてない。むくむくと鎌首もたげる自己顕示欲を表現欲(?)でねじ伏せて、かっちょいい文章を書く人を見てすごいなぁと思ったり、自己顕示欲にあっさり負けを認めて上手くそれと付き合ってる人を見て可愛いなぁと思ったり、WEB日記の楽しみ方ってそういう部分にもあるのにな。馴れ合いも楽しいよー。殺伐とした雰囲気も楽しいけど。
首相の訪朝以降、うすぼんやり考えてる事なんだけど。
犬とか猫にはいろんな種類(品種?)がある。圧倒的に犬の方が種類は多くて数百種、猫は多分百種に満たない。人間が血統管理して作り上げた人工的な種だ。面白い事に犬猫は種類によってはっきりとした性格の違いがある。例えばアビシニアンという種類の猫はとても人懐っこくて従順で音に敏感、ペルシャという長毛種は温和で物静かで控え目。猫は一般的に水を嫌うが、ターキッシュバンという種類の猫は水遊びが大好きだ。個体によってはもちろん例外もあるにはあるんだが、品種による性格の違いはこんな風に一言で済ませられるほどはっきり存在している。試しにアビシニアンを10匹飼ってみるといい。9匹までがさっき挙げたような性格を有しているはずだ。
人間による血統管理は主に犬猫の見た目に注目して行なわれている。アメリカンカールやスコティッシュフォールドという猫は耳が垂れていたり外側に向かって丸まっていたりする。こういった見た目を重視した血統操作が、結果的に性格的なバラエティさえも狭くするという事実はどう捉えたらいいのだろう? これは人間に置き換えると人相学の実効性を裏付ける事になるんだろうか? 近親婚は性格に影響を与えるんだろうか?
人間の性格というものは環境によって後天的に形成されると考える人は多いと思うが、犬猫を見ているとこの認識がぐらぐらと揺らぐのだ。もちろん犬猫と人間をいっしょくたに考えても意味はない。人間の後天的性格を担う大脳新皮質は巨大で、生まれながらにもっている性格を覆すだけの余地を十分に持っている。しかしそれでも尚「生まれながらに持っている性格」というのは存在するんだろうな、と推測できるわけだ。それを形作るのは肌の色を基準とした「人種」であったり、地域的な血統偏向(今作った言葉だ)を基準とした「民族」であったり……。
僕の中に静かに眠ってる「生まれながらに持っている性格」が時折顔をのぞかせる。いくら頭でわかっていてもどうしても止められない感情が噴出することがある。そんな時に穏やかな時間を与えてくれるのが犬猫だというのは何の皮肉なんだろう。
今回も猛烈に長いよ。微妙にネタバレなところは伏字にしてあるので知りたい人だけ反転して読んでね。アンテナで見ると伏字にならないから注意してね。
マイケル・ナイト・シャマラン監督の新作『サイン』を観てきた。前2作もそうだったが(正確には低予算のデビュー映画があるんだが、それをノーカウントにすると『サイン』は『シックスセンス』『アンブレイカブル』に次ぐ第3作目となる)映画レビューのしづらさは相変わらず。ストーリーやオチになるべく触れずに面白さを伝えるのは至難の技だ。『サイン』を絡めたシャマラン論という感じで語ってみよう。
僕がシャマランの映画作りで最も好んでいる部分は「題材」のピックアップだ。今後も同じ方針で映画を撮るのかはわからないが、3作共通しているのは題材が思いっきりB級という事である。『シックスセンス』では「霊」「超能力」、『アンブレイカブル』では「アメコミヒーロー」「超能力(正確には違うんだがネタバレになるので書けない)」を取り上げ、今回『サイン』では「ミステリーサークル」「宇宙人」を題材にしている。もうこれだけで僕なんかは手放しで大絶賛なんだが、B級ネタをB級のままで終わらせないところがシャマランのすごいところだ。シャマラン自身、「僕が好きなのは、B級映画のモチーフを、A級映画の論理、A級映画のアプローチ、A級映画のスタッフ、そしてA級映画のキャストで作ることだ
」と発言している。このA級映画の論理とアプローチについて少し考えてみたい
B級ネタというのは人の興味を引くには最高の題材だが、扱いを誤ると途端に陳腐なものに成り下がる。例えば超能力や宇宙人を題材とする場合、話のスケールが大きくなりすぎて収拾がつかなくなるというパターンは枚挙に暇がない。『インデペンデンスデイ(以下ID4)』を覚えているだろうか? 真正面から宇宙人の侵略を描くとどうしても話が地球レベルになってしまい、登場人物の存在感が希薄になる。これを無理矢理一人の登場人物に収束させようとすると、「たった一人で地球を救った男」という荒唐無稽で腰砕けな話になるわけだ。まあ、ID4くらい予算をかけて壮大なバカ映画を作るのは、ある意味潔くて面白いとも言えるんだが。
シャマランはこういったスケールの大きさとは無縁の監督である。執拗なまでに視点を狭めて、決して話を拡散させない。たとえ世界が宇宙人に侵略されようとも、カメラが捉えるのは主人公の身の回りだけ。どこで何が起こっているかは主人公の視点からしか見えないのだ。『シックスセンス』は霊が見えてしまう少年と、その少年を救い少年によって救われる男の物語だった。この題材をB級的論理とアプローチで撮ると、「霊が見える事によってこんな事が出来るだろう、こんな事件が起こるだろう」といった具合にどんどん話が拡散していく。いくらでも話をふくらませる事が出来る。観客は何が起きるんだろうと固唾を飲んでスクリーンを注視する。しかし少年は何もしない。事件は起きない。世界に向けてその能力を開かない。あくまでも少年と男の関係性の中でだけ「霊が見える」という題材を扱うのがシャマラン流だ。この手法によってB級ネタは人間ドラマに昇華する。だから面白い。
B級ネタは料理の仕方次第でいかようにも面白くなるのだ。話がシャマランからズレるが、『マトリックス』もこういうB級ネタの扱いが上手かった映画と言えるだろう。劇中少年たちがスプーンを曲げる訓練をしている象徴的シーンがある。あれは超能力という胡散臭いB級ネタを、マトリックスというメタレベルの世界観で合理的に説明した出色のSF的手法だ。現実の世界で超能力者がいるのはリアリティに欠ける。しかしマトリックスという世界観の中では超能力はリアリティを持つのである。
シャマランの場合はこういったB級ネタの合理的説明というものは一切行なわれない。シャマランはSF的視点を持っていないのだ。超能力や霊や宇宙人は、劇中確かに存在するものという前提で世界が構築されている。しかし余りにも卑近な視点でそれが語られるため、観客は一瞬ミスリードされ混乱に陥るのだ。「本当は霊は見えてないんじゃないかな? これは霊じゃないんじゃないかな? それがオチなんじゃないかな?」「宇宙人と見せかけて、実は違う何かなんじゃないかな? こいつの正体は何なんだろう? その正体が映画のオチなんじゃないかな?」しかしこれら観客の疑念は、シャマランによってあっさりと否定される。少年は確かに霊を見、宇宙人は確かに存在しているものとして描かれるのだ。そこで観客は第一のカウンターパンチを受ける。
物語終盤、巧妙に張りめぐらされていた伏線が意味を持ち、錯綜していた時間軸が一本の線となる時、第二のカウンターパンチが襲ってくる。B級ネタという分厚い雲に覆われていた、人間ドラマとしての姿が浮かび上がってくるからだ。それは「夫婦の信頼」であったり、「親子の絆」であったり、「失われた信仰の回復」であったりする。だから面白い。
しかし、『シックスセンス』を基準にしてシャマラン作品を評価する人にとっては『サイン』は面白くないと言われるかもしれない。所謂どんでん返しを期待して観る人達だ。きっと肩透かしを食らうだろう。というわけで、腰砕けのエンディングと酷評された前作『アンブレイカブル』を面白いと思った人だけにオススメする。僕はシャマラン信奉者なので文句なく面白かった。82点。
『サイン』メモ。
■今回初めて知ったのだが、シャマラン監督は3作全てに自ら出演していたんだそうだ。あの、見たまんまインド人がシャマランだったとは……。映画情報とか見てないから監督の顔知らなかったよ。
■メルギブソンの娘役の子がものすごく可愛い。ハーマイオニーとか比じゃない。
■『グラディエーター』の憎まれ王役が素晴らしかったホアキンフェニックス(リバーフェニックスの実弟)もいい味出してる。銀紙帽子が笑える。
■思わせぶりなシーンに様々な解釈を試みるのもシャマラン作品の楽しさ。これはデヴィッドリンチにも通じるね。
次は『インソムニア』といきたい所なんだが、予定なので変更されるかもしれないのだ。シニアなのだ。
「怖がり」とか表記されても、もうどうでもいいやー怖がりでも寒がりでもなんとでも好きなように書いてくれーとあきらめの境地に達してるテラヤマアニです。意味なく改名してすいませーん。
■なんとなくみんな使ってるからとか、確かこんな言い回しだったよなとか、語感的に多分意味はこうだろうなとか、あやふやな理解でよく知りもしない言葉は使わない方がいいよー。わざと誤用してるならいいけど、指摘されて逆ギレなんてもってのほかだよー。前にも言ったけど、僕自身誤用してたら遠慮なく指摘してねー。すべからく指摘すべし、だよー。ことごとく誤用というものは恥ずかしい事であるなぁ、だよー。
■アカネが公団の抽選に応募してたよー。単身者は入居できないから、当選したら即入籍だってさー。結婚のふんぎりとしては「できちゃった」に次いで重みがあるよねー。「あなた! 当たったわよ! 公団! 」「うそぉ!? 」ほのぼのレイクだよー。家賃は収入に応じて決定されるんだよー。だから高額所得者より、貧乏人の方が当選時の喜びがでかいんだよー。
■リニューアルした丸の内ビルディング、通称丸ビルに行ってきたよー。1000人でテープカットするっていう、明らかにギネスブック掲載狙いの馬鹿馬鹿しいイベントがニュースで流れてたよねー。中はパストフューチャー(昔想像されていた未来)って感じで、中途半端にモダン(ぷっ)だったよー。アジアンキュイジーヌ「Cita-Cita」で食事しようと思ったら「ラストオーダーまでに入店出来るかどうかわかりません」って言われたくらい混んでたよー。おまえら正直帰れ、って思ったよー。おまえが帰れって目で見られたよー。
■西武ライオンズの優勝セールで賑わってた有楽町西武にも行ってきたよー。DiorとかChanelの化粧品売り場では、防御力255くらいの顔面重装備な販売員お姉さんまでもがライオンズマークが入った青い紙製サンバイザーを被らされてて、とっても無愛想な面を晒してたよー。あたしはこんなものを被るために銀座の売り場張ってるわけじゃない! っていう悲痛な叫びが、僕の頭にぐわんぐわん直接響いてきて精神やられそうになっちゃったよー。あの呪詛が瘴気となって、ここもじき腐海に飲まれるだろうな、ってユパ様気取りで思ったよー。
じゃ、危うい所で精神の均衡保ってる一触即発系の○○予備軍のみんな、正気をしっかり保って頑張ってね。僕は発酵した麦の汁飲んで寝るわ。ばいばーい。
go.jpドメインからのアクセスを見ると複雑な思いになりますな。goはgovernmentの略。政府機関、各省庁所轄研究所、特殊法人、行政独立法人なんかがこれに当たる。要するに公金が使われてる所。日記読んでもらえたり着メロ聴いてもらえるのは僕個人としては嬉しい事だし、政府機関の人たちだってたまには息抜きが必要だし、その分仕事に精を出してもらえれば、って思うけどやっぱこれ税金だからね。堅い事言いたくないけど出来れば自腹でアクセスしてくださいって感じで。
アクセスログを見てると企業のドメイン(co.jp)も実に多い。ぱっと今見ただけでも富士通、ソニー、NEC、東芝、IBM、荏原製作所 etc.etc.(最後の3つは実は誰だか知ってるけど 笑)。こちらは別に税金使われてるわけじゃないからいいんだけど、企業のPCって稼動中の何割かは確実に遊びに使われてるっていう事なわけだ。インターネット利用者が爆発的に増えたここ5年間で、GDPにして一体何億円分の損失があったのか、なんて事が言われてたりするね。そういうのを身近に感じる一瞬が自サイトのアクセスログチェックだったりして、僕自身チェックしてるのは会社のPCからだったりして、どいつもこいつもしょうもないなあ(苦笑)と思うのだった。
インターネットのおかげで情報検索の時間が圧倒的に短縮されたのも事実で、それと相殺なのかな? いや自分自身顧みても、やっぱり遊びに食われる時間の方が多いよねえ。みんな、ほどほどにね!
正直『スターフォックスアドベンチャー』で頭が一杯で何も手につかない。こんなんじゃゼルダの時は廃人になっちゃうぞ!
レンタルビデオ行くでしょ? 「これ!」って決めてある時はいいんだけど、行ってから考えようって時はすごい悩むのね。悩むっていうより、ケチくさくて優柔不断な人間になる。「あー、この映画行こうと思ってたのに見逃したんだよなー」で、借りると思いきや「やっぱいいや。まだ新作扱いだからレンタル料金高いし。旧作になってから借りよう」。たかだか100円200円の違いなのにね。んで、旧作扱いになってレンタル料金が下がると、なんかその映画が色褪せて見えちゃうのね。「ま、それほど見たかったわけでもないし、別にいつでも借りられるしな。今度でいいや」そんなこんなで、いつまでたっても見やしない。そういうのってありません?
家で録画した時も同じね。録画したことに満足しちゃって見ねえの。別にいつでも見られるし〜、とか思って。それでPCモニターに向かって「あー暇だー。でもなんにもやる気が起きね〜」とか言ってんの。その暇を利用して見ろっちゅう話だよね。ゲームも同じ。小金に自由がきく独身貴族なもんで、ある程度のタイトルだとじゃんじゃん買い込んじゃうのね。そんなにたくさん買ってもやる暇ないのに。で、一番やりたいタイトルから始めるわけなんだけど、2週間くらいかけて完全クリアとかすると、もう燃え尽きちゃって他のゲームやる気なくなってんの。で、パッケージの封すら切らずに2週間も放っておくと、段々それが色褪せて見えてきてますますやる気なくなんの。なんのために買ったんだっちゅう話だよね。N64の『パーフェクトダーク』なんて本体にカセット挿した事すらないからね。一体何年前の話だよって感じ。
もうとにかくこんな自分を変えたい! 今すぐ!
と思ったけど明日でいいや。いつもそう。
バタバタバタバタ。おーい、そっち用意いいかー? ガサゴソガサゴソ。入ってます入ってます。安藤さん、お願いします。
いいないいなアリコアリコ♪いいないいなアリコアリコ♪
とりあえず3時間ほどプレイしたんだけど、可も無く不可も無く。要するにどうでもいいゲームなので買っても買わなくてもいいよ。SFC、N64のスターフォックスファンは買わない方がいいかも。スターフォックスの世界ぶち壊し。なんか真面目にレビューする気が起こりまへん。気が向いたら書くかも。ふにゃー。
これじゃあんまりなので頑張ってやるわ……。まずはスターフォックスシリーズを全くプレイしたことがない方(こっちの方が圧倒的に多そうだ)向けに。
これはレア社によるゲームである。3Dアクションゲームでは定評のあるレア社(N64で『007ゴールデンアイ』『スーパードンキーコング』など多数のゲームを供給している)だが、良くも悪くも外国ゲームの大味さがつきまとう。ピンポイントで論じると実に瑣末な事だったりするんだが、例えば主人公の微妙な操作感、スマートとは言いがたいボタン操作系、ムービー演出の冗長さ、背景・キャラクター・アイテムグラフィックの統一感の無さ、敵を倒した時の画面効果のショボさ、etc.etc. 。これらはゲームの面白さとは直接関係ないように思えるが、積み重なると凡庸でダレた印象を与えてしまう。僕が3時間で見限ったのもこの辺りによるところが大きい。完璧すぎる『マリオサンシャイン』をプレイした後だったので尚更目立った。しかしこれは僕の好みによる部分が大きいので、気にならない人も多いかもしれない。
肝心のゲーム性の部分だが、アクションよりも謎解きに重点を置いているようだ。といってもRPGでよく見られる「お使い系」の域を出ていない。あっちでフラグを立て、こっちでフラグを立て、しちめんどくさい作業を経てやっと先に進めるというシステムである。アクションは幼児向けで非常にぬるい。「死ぬ緊張感が全くない」「やりこんだからといって上達する類のものではない」「ボタン操作が合理的でない」「操作感がもっさりしていて爽快感がない」ないない尽くしだ。一番呆れたのがマップの入手方法で、これは金で買うことになっているんだが、「セーブ→リセット→金集め→マップ入手→セーブ→リセット→金集め→マップ入手」という実にくだらない作業に堕している。金集めが自体がアクションとして面白いなら話は別だが、全くそういう事もない。こんなんならマップなんて初めから全部入手済みにしとけ、と言う感じである。
ストーリーやキャラクターもイマイチすぎる。ご都合主義で全く感情移入できない。緊張感がない上に、妙にハリウッドを意識したキャラのセリフ回しやカメラアングルがうざくて、イライラさえする。
3Dシューティング、3Dアクション、謎解き、ストーリー、キャラクターのどれもが中途半端で生ぬるい。というわけで49点。あくまでもスターフォックスシリーズとして見ずに、いち3Dアクションアドベンチャーとして見た場合の点数だ。
僕の怒りはむしろ、大傑作であるN64ソフト『スターフォックス64』の世界を蹂躙されたことにある。これの素晴らしさと言ったらいくら書いても書ききれないくらいなんだが、なるべく手短にいこう。
『スターフォックス64』のポイントは燃える3Dシューティングに燃えるストーリーがくっついた、という部分にある。これはファイアーエムブレムシリーズを思い浮かべてもらうとわかりやすいと思う。ファイアーエムブレムはシミュレーションゲームとしても十分面白いが、ゲームファンの心を捉えたのはむしろストーリーの方だったはずだ。ちょっと意味が違うかもしれないが「キャラ萌え」ってやつである。シミュレーションゲームの単なるユニット如きに、あれほどまでの感情移入が出来たのは、ゲーム間に挿入されるストーリーシーンのおかげであった。これによって無機質なはずのユニット移動や戦闘までもが僕らの想像力を掻き立て、プレイ中も絶えることなく僕らの頭の中でストーリーが進行していったのである。要するに想像力に勝るムービーはない、ということだ。
『スターフォックス64』で築き上げられた登場人物たちのキャラクター(性格)は、今回無惨に崩れ去っている。生真面目で正義感の強かったフォックスは「ハリソンフォードみたいなにやけた顔で肩をすくめる皮肉屋」に、悲痛な面持ちで渋い声を出すペパー将軍は「甲高い声でジョークを連発するおっさん」にと、その変貌ぶりは目を覆うばかりだ。ストーリーも、売れないB級ハリウッド映画を地で行くような陳腐なファンタジーもの。『スターフォックス64』に見られた骨太なかっこよさ(父と子の絆やライバルとの死闘、仲間との友情)といったものは欠片もない。子供みたいな事言って申し訳ないが「こんなのスターフォックスじゃない!」と思わずコントローラーを叩きつけたくなるような惨状である。
これは僕の勝手な想像だが、『スターフォックス64』は3Dシューティング部分をレア社が担当し、ストーリーは任天堂が考えたんじゃないだろうか?今回『スターフォックスアドベンチャー』はレア社に全て丸投げされたためにこのような事態になったんだと思う。あまりにもひどすぎる。0点だ。0点。押し入れの奥の64引っ張り出して『スターフォックス64』をやり直した方が100倍マシだ。
追記。最近レア社はマイクロソフトに買収された。大味外国ゲーをどんどこXboxで出してくれたまへ。僕はやらんから。
いつもの事だけど僕の初見の評価は異常に厳しいのであんまり参考にしないでね。やればそれなりに面白いと思います。ほんと。
半分昨日の続き。
んー、この脱力感はどう表現したらいいものか。ミスタードーナッツだと思って大喜びで口に入れたらダンキンドーナッツだったとか。わかる人にはわかってもらえるだろうけど、ミスドとダンキンじゃ天と地ほどの差があるわけよ。「え〜? ほとんど同じじゃん。どっちだっていいよ」って人もいるでしょう。でも違うのよ! 俺様は今か今かとミスドを待ってたわけよ。胃がミスドモードにセットアップされてるから、ダンキンとか激しく受け付けないのよ。まあ、そんな感じ。
結局『スターフォックスアドベンチャー』は12時間ほどやって50%まで進んだんだけど(進捗状況がいちいち表示されるのだ)、ぜんっぜん、1ミリたりとも面白くなる気配が感じられないのでやめちゃった。これね、スターフォックスっていう名前がついてなかったら多分最後までやれたと思うんだよね。期待が大きすぎた。『007ゴールデンアイ』とか、レア社の大味ゲーム自体は別に嫌いではないの。ゴールデンアイもそうだったけど、なんていうか洋モノって極々細かい部分で不親切なんだよね。例えば重要な情報を流すムービーがあるとするでしょ? もしもセリフを見逃したら後々謎解きに重大な影響があるようなヤツ。そういうのってユーザーが絶対見逃さないように何度も読み直せるように作るべきなんだよね。任天堂製のゲームだと当たり前のようにそういう細かい配慮がなされてるんだけど、洋モノにはそれがないんだよ。僕は食い入るようにムービー見てるから見逃すことはないけどさ、「あーこりゃダメだ。ダメゲーだ」とか思うんだよねー。
ゲームってとても記号論的なものでしょ? 例えばRPGで主人公が「破邪の剣」を手に入れたとする。これってプログラム上では、単に主人公の攻撃力という数値を上昇させる記号でしかないわけだよね。アイテムという名の記号は全て数値に還元されてしまう。「破邪の剣」と「雷神の剣」の違いは実に数字以外の何物でもないわけだ。マップ上では草地より森の方が敵のエンカウント率(出現率)が高いとかいうのもあるね。これも敵の出現率という数字を「草地」とか「森」とかいう記号に置き換えてるに過ぎない。これはRPGに限った話じゃなくて、アクション系でも同じだ。つまりゲームを作るっていう作業は、数字を記号に置き換えていく作業と言い換えることが出来る。
僕が愛してやまない『ゼルダ』や『マリオ』も恐らくこの手順を踏んでいる。しかしこいつらが本当に凄いのは、「もしかしたらゼルダやマリオは初めに記号ありきで、それを数字に直していくという、本来とは逆の作業をやっているかもしれない」とプレイヤーに幻想を抱かせてくれる部分にあると思うんだ。言い換えると「数字を感じさせないゲーム」。なぜ数字を感じさせないかと言うと、記号にリアリティと必然性があるからだよ。先ほどの例で言えば、「破邪の剣」というのは別に「雷神の剣」でも「封印の剣」でも名前はなんでもいい、いくらでも記号の置き換えが利くという性質を持っている。しかしゼルダに登場する「ブーメラン」というアイテムは「ブーメラン」以外の名前で置き換えが利かない。「ブーメラン」は本物のブーメランと同じ性質を持ち、威力を持ち、外見を持っているからだ。これがリアリティと必然性ってもんなんだ。リアリティと必然性を持ったゲームは、コントローラーを握っている自分を忘れさせ、画面の中の主人公に自分を一体化させてくれる。時間を忘れさせてくれる。
残念ながら『スターフォックスアドベンチャー』にはそれがないんだな。いくらでも置き換えが利く無意味な記号の羅列が、イヤでも現実の時間を思い出させる。「ダイナソープラネットの魔法力を封じ込めたスペルストーン」っていう記号は別に「道端に落ちてる茶色い鍵」でもいい。単なる「それを持っていれば先に進める」というフラグに過ぎないんだから。そこに必然性を与えるには後付けのストーリーじゃダメなんだよ。少なくとも後付けだと悟られてしまうようなストーリーじゃダメなんだ。なぜそれがわからないかなぁ……。
年齢に比してゲームに対する執着が尋常ではないという指摘を受けています 笑。ごめん。なんでこんなに熱くなるかね。我ながらどうかしてると思うよ。
例えば2ちゃんねるの話だけど、新発売のゲームが出るとすぐさまスレが立つよね? メーカーの人が目を皿のようにしてスレにチェック入れてるってのは有名な話。所謂「消費者の生の声」を掬い上げる場として、企業が2ちゃんねるを利用してる事はもう隠すまでもない事実だ。
ネット利用が当たり前になって以降、こういった企業努力は僕らが思ってる以上に進んでる。収集場所は2ちゃんねるなんかの人がたくさん集まる場所とは限らない。僕がよく行く携帯電話サイトの掲示板とか、販売店の従業員より数十倍詳しい素人たちが「あーでもない。こーでもない」と新製品の情報交換を行なってるんだけど、こういう場所は必ずメーカーやキャリアの監視対象になってる。「監視」って言うとなんかイメージ悪いけどね。掲示板を手動でチェックするだけじゃなくて、定期的にロボットで巡回してログを採集、保存してデータベース化するなんて事は当たり前のように行なわれてるんだ。
「うちの訪問者は1日100人に満たないし、まさか企業なんて見に来てないよ」と考えるのは甘いよ。たとえ人気サイトでなくとも、価値の高い(それは君が決める事じゃなくて読む側が決める事だ)情報を発信してたり、突っ込んだレビューをやっているサイトは企業からすればお宝同然なのだ。ドメインを隠して密かに情報収集されていたとしても何の不思議もない。
つまり何が言いたいかと言うと、「たかが個人サイト」なんて自分を卑下しないで、自信をもってくれよって事。ネット黎明期に「世界に情報発信!」って事が声高に叫ばれて、いざ個人ページを開いてみたら全然アクセスがなくて、無反応な世界に失望した人って結構多いと思う。確かに世界に開かれた場所だったけど、誰も気付かない小さな場所だったんだ…と落胆した人たち、今正に君らの小さな声はどこかで誰かの役に立っている。声をあげることは決して無駄な事じゃないって事を肝に銘じたまへ。
って僕に言われないでもみんな気付いてるか? ならいいけどさ。
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