
半分昨日の続き。
んー、この脱力感はどう表現したらいいものか。ミスタードーナッツだと思って大喜びで口に入れたらダンキンドーナッツだったとか。わかる人にはわかってもらえるだろうけど、ミスドとダンキンじゃ天と地ほどの差があるわけよ。「え〜? ほとんど同じじゃん。どっちだっていいよ」って人もいるでしょう。でも違うのよ! 俺様は今か今かとミスドを待ってたわけよ。胃がミスドモードにセットアップされてるから、ダンキンとか激しく受け付けないのよ。まあ、そんな感じ。
結局『スターフォックスアドベンチャー』は12時間ほどやって50%まで進んだんだけど(進捗状況がいちいち表示されるのだ)、ぜんっぜん、1ミリたりとも面白くなる気配が感じられないのでやめちゃった。これね、スターフォックスっていう名前がついてなかったら多分最後までやれたと思うんだよね。期待が大きすぎた。『007ゴールデンアイ』とか、レア社の大味ゲーム自体は別に嫌いではないの。ゴールデンアイもそうだったけど、なんていうか洋モノって極々細かい部分で不親切なんだよね。例えば重要な情報を流すムービーがあるとするでしょ? もしもセリフを見逃したら後々謎解きに重大な影響があるようなヤツ。そういうのってユーザーが絶対見逃さないように何度も読み直せるように作るべきなんだよね。任天堂製のゲームだと当たり前のようにそういう細かい配慮がなされてるんだけど、洋モノにはそれがないんだよ。僕は食い入るようにムービー見てるから見逃すことはないけどさ、「あーこりゃダメだ。ダメゲーだ」とか思うんだよねー。
ゲームってとても記号論的なものでしょ? 例えばRPGで主人公が「破邪の剣」を手に入れたとする。これってプログラム上では、単に主人公の攻撃力という数値を上昇させる記号でしかないわけだよね。アイテムという名の記号は全て数値に還元されてしまう。「破邪の剣」と「雷神の剣」の違いは実に数字以外の何物でもないわけだ。マップ上では草地より森の方が敵のエンカウント率(出現率)が高いとかいうのもあるね。これも敵の出現率という数字を「草地」とか「森」とかいう記号に置き換えてるに過ぎない。これはRPGに限った話じゃなくて、アクション系でも同じだ。つまりゲームを作るっていう作業は、数字を記号に置き換えていく作業と言い換えることが出来る。
僕が愛してやまない『ゼルダ』や『マリオ』も恐らくこの手順を踏んでいる。しかしこいつらが本当に凄いのは、「もしかしたらゼルダやマリオは初めに記号ありきで、それを数字に直していくという、本来とは逆の作業をやっているかもしれない」とプレイヤーに幻想を抱かせてくれる部分にあると思うんだ。言い換えると「数字を感じさせないゲーム」。なぜ数字を感じさせないかと言うと、記号にリアリティと必然性があるからだよ。先ほどの例で言えば、「破邪の剣」というのは別に「雷神の剣」でも「封印の剣」でも名前はなんでもいい、いくらでも記号の置き換えが利くという性質を持っている。しかしゼルダに登場する「ブーメラン」というアイテムは「ブーメラン」以外の名前で置き換えが利かない。「ブーメラン」は本物のブーメランと同じ性質を持ち、威力を持ち、外見を持っているからだ。これがリアリティと必然性ってもんなんだ。リアリティと必然性を持ったゲームは、コントローラーを握っている自分を忘れさせ、画面の中の主人公に自分を一体化させてくれる。時間を忘れさせてくれる。
残念ながら『スターフォックスアドベンチャー』にはそれがないんだな。いくらでも置き換えが利く無意味な記号の羅列が、イヤでも現実の時間を思い出させる。「ダイナソープラネットの魔法力を封じ込めたスペルストーン」っていう記号は別に「道端に落ちてる茶色い鍵」でもいい。単なる「それを持っていれば先に進める」というフラグに過ぎないんだから。そこに必然性を与えるには後付けのストーリーじゃダメなんだよ。少なくとも後付けだと悟られてしまうようなストーリーじゃダメなんだ。なぜそれがわからないかなぁ……。
年齢に比してゲームに対する執着が尋常ではないという指摘を受けています 笑。ごめん。なんでこんなに熱くなるかね。我ながらどうかしてると思うよ。
MENU
冷麺最新5件の記事
冷麺最新3ヶ月
Amazonトップセラー