『はてなダイアリーでコメントオフにしている人アンテナ (現存していません)』全登録サイトのログを読みました。膨大な量ですからもちろん全文確り読んだわけじゃなくて斜め読みです。一応数字を出しますが、コメントオフの人の傾向を探るためには、コメントオンの人との比較が必要不可欠なんですよね。でも気力体力的に無理。この調査ははっきり言って意味のあるものになってません。なので、僕が当初思い描いていた「コメントオフにする人の傾向」との比較で話を進めたいと思います。腰砕けの研究で本当申し訳ないです。器じゃなかったことを痛感してます。通読の際特に留意したのは以下の点です。
以上を調査した結果はこちら、『はてなダイアリーでコメントオフにしている人アンテナ調査』。
まずリンク頻度なんですが、予想通りほとんどリンクを使っていない例が一番多かったです。blog的な使い方は少なく、いわゆる昔からあるWEB日記の体裁が多かったように思います。更新頻度ははてなダイアリー全体の傾向とほぼ一緒でした。ほぼ毎日となっているところも、ある日を境にぱったりと更新が止まっていたりして、全体の半数近くが死にかけています。想定読者と文章志向、ジャンルは密接な関係があり、独り言と事実の羅列は少数派でした。一番多かったのは「身内の誰かに話しかけるような文章の身辺雑記」です。誰かに読まれる事を多少意識したWEB日記という感じで、これははてなダイアリー全サイトの傾向と一致するのではないかと思われます。
全体の印象としては、ある種blogツールであるところのはてなダイアリーを、『さるさる日記』や『エンピツ』などの従来からある無料レンタル日記のように使いたい人たちがコメントオフにしているという感じでした。日記なので他人のコメントは要らない、コメントは掲示板などに書き込んでほしいという理由が上位に来るように思いました。あと関係ありませんが、所謂テキストサイト的なネタ日記というものが全くといっていいほど見られなかったのが意外でした。「コメントオフにしている人はテキストサイト的」という意見がありましたが、これは違うと言えます。
以下は研究4以降にいただいた反応。
彼の岸 tnxさん 5/27。
コメントはお互いのサイトに書いた方が円滑にコミュニケーションがとれると考えています。
ただ、自分の間違った知識について指摘をしていただけるかも、という淡い期待も持っていますが、あまり人に頼るのも良くありません。
アクティブにいきたいねと思いつつ日記 ふじこさん 5/24。
初めて、じぶんとこもコメントオフにしてるのに気づきました。いつのまに!最初は付けてたような気がするんだけどなあ。おかしいなあ。多分、コメントが付かない孤独に耐えきれなくなって、衝動的に消したんだろうと思います。
No Music, No Work ゆたさん メールより引用。
自分がその時その時感じた事のメモとして使用しています。自分が思っていることを素直に言葉にしたいので、「誰かに見られている」という意識をなるべく排除するために、コメントはオフにしております。山ごもりするようなものでしょうか。
blog関係の記事もだいぶ目を通したんですが、僕自身は未だに分散ジャーナリズムとしてのblogというものに対して全然魅力を感じてません。ただ、blogツールはWEB日記をどんどん便利にしていくと思うので、今後「blogツールを使っているくせに全然blogっぽくないWEB日記」は増えていくんじゃないかなと思いました。思いました思いましたって小学生の作文だな。明日以降は元の冷麺に戻ります。教訓:分不相応な事はやるもんじゃない。
6月2日、追記。読冊日記 5/29を読んで思いましたが、コメントオフはこのような儚いコミュニケーションを志向し続ける人のblogに対する抵抗なのかもしれません。うわ、なんかかっこよくまとまった。
はてなダイアリー研究は1~5まであります。
2003年5月21日午前の時点で、
はてなダイアリーを、5月某日、調査しました。
並びは5月某日時点の更新順です。
ダイアリー名は伏せてあります。
詳しい事は冷麺の過去ログ『はてなダイアリー研究5』へ。

僕が『マトリックス』(1作目)を観た時に一番面白いと感じて興奮したのは、かの有名なマシンガン撮影をはじめとするアクションシーンではなくて、子供がスプーンを曲げるシーンと猫のデ・ジャヴのシーン、次いで人間プラントの全体描写だった。
マトリックスという仮想現実の世界は既に他の映画や小説で出尽くしていた感があり、さほど目新しいものではなかった。大抵は主人公が現実と仮想現実を行き交ううちにどちらが本当の現実なのか区別がつかなくなり、観客もまた同じような不安感を抱く、というような手法を使っていた。主人公の視点からするとその仮想現実はとてつもなく広大ではあるが、観客の僕らにしてみればそれは実に小さくて、例えば頭に被る機械だったり、棺桶状のカプセルみたいなもので表現できる類のものだった。つまりその機械さえぶっ壊せば消えてしまう程度の小ささだ。

それに対して『マトリックス』の仮想現実は圧倒的にスケールがデカい。というよりも、今僕らが生きているこの現実こそが仮想現実であり、「本当の現実(?)」はこの外側に同じ大きさで存在しており、尚且つこの仮想現実に生きている人々は主人公以外全部作り物というわけではなくて、全員がそれぞれ外側の世界に本体を持つリアルな人間である、という視点が凄かったというべきかもしれない。こういう世界観の物語は『マトリックス』以前にも存在していたが、これだけ大規模な仮想現実を『マトリックス』以上にスマートに表現していたものは無かったように思う。
このスマートさを最も感じたのが先に挙げた「子供がスプーンを曲げるシーン」と「猫のデ・ジャヴのシーン」だ。超能力という、僕らが暮らすこの現実にありそうでなさそうな不思議現象と、既視感という、確かにあるんだけどなんだか説明のつけづらい不思議な現象の2つに、見事に合理的な説明を与えている事に感動したのである。なるほど、僕らが暮らすこの世界が実は仮想現実であるならば、この2つの現象は何の不思議もない。仮想であることに気付いた人はネオ達レジスタンスのように万能の超能力者たりえるし、プログラムのちょっとしたバグはデ・ジャヴという現象を伴って仮想現実に現れる。

このような、嘘の世界をもっともらしく見せる説明や道具立てはSFの世界に必須の条件で、僕が映画を見る際に一番気にかけるところでもある。以前雑文のコンテンツで『機動戦士ガンダム』のSF的道具立てについてちょっと書いたことがある。ガンダムの世界ではモビルスーツという人間型ロボットが登場するのだが、宇宙戦争するのに人間型ロボットは必要ない。惑星の基地から直接ミサイルをドンパチぶっ放したり、戦闘機を飛ばして闘えばいいだけの話だ。なぜ人間型ロボットである必要があるのか? 大人の事情を話せば「人間型ロボットじゃないとおもちゃの売上にひびくから」なんだが、ガンダムではこれにミノフスキー粒子というアクロバティックな設定を持ち込んでリアルを演出した。ミノフスキー粒子というのはレーダーを無効化する物質で、これがあるためにミサイルなどは遠距離の目標に正確に当てる事が出来ない。故に工作活動や白兵戦が重要となり、人間型ロボットはこの2つを同時にこなすことができる唯一の強力な兵器たりえたのである。見事。もちろんミノフスキー粒子というものは現実には存在しない。しかし物語世界をリアルにする道具立てとしては十分すぎるほどその役目を果たしているわけである。
翻って『マトリックス』では、マトリックスという仮想現実をリアルたらしめる道具立てとして、超能力やデ・ジャヴを持ってきた。これは斬新な発想だ。普通は超能力をリアルっぽく見せるために別の道具立てを用意する。マトリックスにおいては超能力と仮想現実という道具立てが相互にリアルっぽさを補完しあっているのである。

そして現実世界に広がる圧倒的な人間プラントの存在感。機械の動力として人間が培養され、死体すらも新たな人体の培養液となる永久機関という道具立て。これによって『マトリックス』は「仮想現実と現実という物語」をリアルっぽい世界として構築しているのだ。僕が打ちのめされたのはこの完全なる世界観である。残念ながら『マトリックスリローデッド』ではこの手の新鮮な驚きはなかった。マトリックス3部作は第1作目で世界の全てを見せてしまっているのだからこれは致し方ない事だ。ウォシャウスキー兄弟が真に天才なら、3作目でさらに観客を裏切る新たな世界観を構築して見せるに違いない。僕はそれを期待している。
マトリックスの世界を補完する『アニマトリックス』(6/3発売)で一番面白かったのは第7話『ビヨンド』だった。この作品がクローズアップしているのは、正に超能力やデ・ジャヴのような、僕らが暮らすこの世界にもあるちょっと不思議な事のマトリックス的解釈だったからだ。『アニマトリックス』全9話のうち、4つはウォシャウスキー兄弟による脚本、残りはコラボレーションをもちかけられた各監督による作である。僕は『ビヨンド』の監督・脚本が日本人、森本晃司であったことを誇りに思う。これはちょうど『AKIRA』を観た時の喜び、これが日本人の手によって作られたということへの誇らしさに似ている。
映画ファン同士でお話していて、特にエキサイティングなのは作品世界を個々人がどう解釈したか、どう受け取ったかという部分で、要するにこれは映画の話を通して個人の内面を探り合ってるということなんだと思っている。
敬愛する刺身さんがよく「自分は映画をほとんど見ないので映画を語る資格があるのだろうか」というような事を書いていて、これに対してははっきりとNoと言える(刺身さんの『トレインスポッティングという映画の感想文』は最高)。映画を語るという楽しみ方に元々資格などない。また、そういう物量的なもので優劣をつけられてしまうのだとしたら、若い映画評論家は故淀川長治さんや水野晴郎さんに一生追いつけないということになってしまう。最近読んだナンシー関さんの本に、刺身さんと同じようなことを言っている部分があった。曰く、
映画好きな人が怖い。近寄りたくない。ほんとに知らないから
(自分は)映画に関してバカだったということをすごいいけないことだと思っている
ものすごくへりくだっちゃうんだな。いやあ、見なきゃいけないことはわかってるんですけどね、とか自分はもう最低な人間です、みたいな事言って
ナンシーさんの上の発言に対して、町山広美さんがこう返していた
映画評論で世に名を知らしめた人が東大の学長やってるわけだからさ、映画見るのを上等な趣味だと思う人が少なくないのはわかるよ
映画は知識で見るものだって思ってる人は多いよね。歴史とか流れを学んでこそ、という。それ、どうかと思うよ。誰もがそういう見方するこたぁない。お勉強映画がもてはやされるよりは『タイタニック』が大ヒットするほうが1000倍健全。
残念ながらナンシーさんの映画評論というものはほとんど残っていないが、『おとぼけオーギュスタン』というフランス映画について何か一言、という仕事を依頼され、原稿の5分の4くらいを前川清さんの話で埋めたそうだ 笑。きっとナンシーさんが書く映画評論、映画の感想文は僕にとってとても面白いものになっていたに違いないと思う。また、僕自身『タイタニック』をとても面白いと思ったクチ(こういうのが映画マニアの逆鱗に触れる)なので、模倣犯の方では悪口書きまくったが、町山さんのこの意見には完全に同意だ。
歴史や流れを織り込んで、マニアックな話をするのも楽しい事は重々承知している。僕もどちらかというとそっち系の人だ。時には「えー!? ○○も観てないの? それじゃこの作品は語れないな」とか思ったりする。しかしそれじゃ話が終わりなのだ。「○○も観てない貴方が、これを観てどう思ったのか」ここが肝心な部分だというのは上に書いた通り。
そういうわけで『俺的マトリックス論』はアシモフもディックもハインラインもギブスンも(ついでに言えば梅原も)読み、ジョン・ウーもツイ・ハークも押井も士郎も(ついでに言えば川尻も)見た上で書いてる割には全然そう見えないし、中途半端にSFの流れとかを取り込んでしまったために「どう観たか」ではなくしょうもない知識自慢になっちゃってて「俺はもっと知ってるぜ」みたいな人を呼び込みがちな、作品論としては最低の部類に入るものだったということを、わざわざ串刺してまでフォームメールで元ネタを教えてくださる権威主義的映画知識人に向けてお断りしておきます。僕は知識合戦はやりたくありません。面白い映画評論(or感想文)を僕に読ませてください。
ツバメという鳥は飛んでいる虫しか食べない。地上を這いずり回っていて簡単に捕食できる虫には目もくれない。
オシドリは毎年パートナーを変える。ツルは決まったパートナーと一生離れない。
単に鳥の生態を表した文章に過ぎないのだが、そこに何らかの意味を見出したくなるのが不思議なところだ。しかしミスリードされちゃいけない。動物の話は、例外を一般化しようとする詭弁の常套手段である。
猛烈にDIMEについて書きたいので書きます。
ある種陰謀史観と言っても過言ではない「○○による経済支配」という概念を丸ごと下支えしているのは、アメリカ大統領選挙における選挙コンサルタントのメディア戦略と、それを繰り返し見せつけられた西側諸国の、「メディアに乗る情報には必ず何者かによるコーディネートが介在している」という共同幻想に他ならない。そしてそれをバブル前後の日本に適用したものがDIMEだ。
最近の日本で端的に表現すると、「タマちゃんが定期的に姿を現したり消したり、挙句釣り針ピアスを施して一般大衆をハラハラドキドキさせたり、パナ研と微妙に絡んだりして常に話題を提供しているのはタマちゃんの背後に代理店がいるから
」という事になる。この場合代理店とは即ち電通である。もちろん荒川の土手で「ターマちゃーん」と叫んでいるニュース映像の子供たちはキリンプロの仕込みであり、キリンプロに仕込みを発注したのは電通である。
これはある種世代論でもあり、バブル絶頂期に10代20代で、学生時代に企画サークル『とも〜る』などでイベントの仕切りを身に付けた金満体質の付属校あがりが、いかに効率よくパー券をさばくかという身近な動機を出発点として、それを際限なく世の中の隅々にまで拡大させていった末に辿り着いた経済的方法論でもある。
自分よりも社交性に欠け、行動力に欠ける圧倒的多数に対して、「これを手に入れれば貴方たちはもう一段上のステージに上がれるんですよ。俺らが住んでいるこの華やかな世界の仲間入りですよ」という手の届く範囲でのアイテムを提示し、階級間の移動幻想を植え付けたのである。これらDIMEアイテムを有難く享受するのがDIME層で、DIMEとDIME層は相互依存の関係にある。DIMEの始祖はキャンパスを我が物顔で歩き、どこにいても(特にMcDonald's)大声で話す事によって「俺はこの世界の中心にいるので、俺は顔が広いということをおまえらにわからせるために大声を出してます」という示威行為を行う。これを見て萎縮する非DIMEはオタク化し、憧れる非DIMEはDIME層になるのである。しかし後にオタクはサブカルというワープアイテム(キーワード)を与えられたので、大通りで萎縮することなく自宅にいながらにして手軽に一段上のステージに上がることが可能となり、結局ほとんどの若者がDIMEの支配下となった。
構造的に同一である新興宗教とは相容れないもので、教祖の精神的支配下にある信者をDIMEの論理で洗脳しなおすのは難しいという事になっている。なぜなら宗教には教祖という1人の明確なトップがあり絶対的であるのに対して、DIME社会の頂点はDIMEという偏在的な概念に拡散していて、そこで求められるのは経済的優劣という相対的な椅子取りゲームの能力だからである。象徴としてのセレブという階級があるが、それはDIMEが作り出した一段上というモデルケースにすぎず、実在していない。逆にDIME層を宗教に転ばせるのは簡単である。DIME層は永遠の差異化ゲームに疲れている。
バブル崩壊後10年以上を経て、このDIME社会に風穴をあけるのは若くて貧乏なネチズン以外に有り得ない。とミスタードレクスターが言ってたス。
典型的DIMEの現代的新種がいました。病床の母が高知の『よさこい』を見たがっている、という美談をテコにたった一人の学生が北海道で一大ビジネスにまで発展させた『YOSAKOIソーラン祭り』の腐敗の源泉。泥臭さをも取りこんだDIMEは無敵化。
映画を何本か観ていたのに全然感想を書いていなかった。以前書いた適当映画紹介が好評だったので(僕の中で)、さらさらと流します。
T3はまた先々行オールナイト狙い。
模倣犯文体と冷麺文体の切り替えが難しくなってきた。
僕の悪い癖なのですが、どこに書いてあったのかすっかり忘れているのに、ある日突然フレーズだけが甦ってきてそれについて書きたくなるということが度々あります。で、今回は「Web日記で一番面白くないのは(寝ているときに見る)夢の話」という事なんですが、そもそも本当にこのような言説があったのかどうかも定かじゃありません。でもどこかで見たような気がするんだよなぁ。夢について書いた話というのは書いてる本人にしかわけわからないので、創作物として読まされてもひとつも面白くない、というような内容で結論として夢の話はWeb日記には書くなと、そんな感じだったと思います。
僕はこれに大反対でして、他人の日記に夢の話が出てくると15cmくらい身を乗り出します。自分自身めったに夢を見ないのも関係してるのかもしれません。(テンプレ:もちろん人間は寝てる間必ず夢を見ていて、起きた時にはほとんど忘れているという事はわかってる。「ほとんど見ない」というのは主観的な意味である。覚えてないんだったら見ていないも同然だと僕は思っている。
)
もちろん書き方とかも関係していて、つまらなく書いてあったらやっぱりつまらないです。出来るだけ淡々と夢を時系列順に追って、余計な解説や後の感想を排して書かれたプレーンな夢というのはとても面白いと思うのです。で、お願いなんですがWeb日記書きの皆さんは先の言説を無視してもっとガンガン夢の話を書いてください。少なくとも僕は喜んで読みますから。
そんな感じでまずは僕から率先して夢記録をご披露します。と言っても友人のミチオのサイトに書かせてもらった夢記録の転載(加筆修正あり)なんですけど。長くなるので数日に分けます。(巧妙な連続手抜き更新(!))
病院
60代の紳士数名、昔の友達がコンビニを開業したため訪ねに行く。俺はそのコーディネーター。着ていく服はこんなのがいいなどとアドバイスしている。紳士たちは友達が行きつけにしている医者に何かの治療を依頼したいらしい。
紳士が服などを買っている間、小学校の前でたたずむ俺とリョウ。
そこに事件性をかぎつけてきた刑事の高倉健ともう一人。ヤバイと思ったリョウは健の拳銃を奪い2人を射殺。その際深手を負い、紳士たちの会おうとしている医者に助けてもらわなくてはいけなくなった。すぐに病院に行き、面会の手続きをする。
面会票を書き込みに行くと、25〜30歳くらいのワイルドな顔をした女が、「向こうの面会票を持ってきて」と偉そうに言う。素直にそちらへ取りに行くと、団体用の面会票は実はその女の目の前に置いてあることがわかる。女、「あーやっぱ こっちこっち」などとナメた態度をとりやがる。そこで俺ぶちキレて、「てめーが向こうから取って来いっつったから行ったのに、あーこっちこっちはねーだろこのブス」と女の髪をつかんで狭い窓口から引きずり出す。女がクソ生意気にパンチをいれてきたため、かわして首投げで倒し、顔面にかかと落としを決める。
そこで「ハッ! リョウが死にそうなのに こんなことしてる場合じゃない」と思ったところで目が覚めた。
機関銃
ほとんど殺傷力のない小口径の機関銃で、ごちゃごちゃ言ってるムカつく女(見た目かわいい)の両足の甲をダダダダダと打った。さすがに大人しくなったその女に向かって、「警官になったらどうだ?」と声をかけて、満足げにその場を立ち去った。
「つまんない」とか言われても続けるんです!(川平慈英)
夢の話を再現していて一番説明しづらいのは感情の部分だと思う。見ている最中はなぜか悲しかったり怒っていたりと激しい感情を伴っているんだけど、その感情と夢の内容が全く噛みあっていなかったりして、話がわかりづらくなるから感情の方は説明の際に端折ってしまったりする。例えば青く晴れ渡った空の下、気持ちのいい風に吹かれながら歩くという夢を見たとする。それだけ聞くと何か楽しい夢なのかと思うが、実は歩いている間中何かに怯えているという感覚に襲われていたりする。夢の内容は大体荒唐無稽だから、再現するとシリアスな感情と相性が悪くなってしまうのだ。
では昨日の続き。
ウサギ
夜店で俺に妙になついてしまった子ウサギ(体長15cmくらい)を購入した。まるで犬や猫のようになついてくる。めんどくささを感じながらもケージを買ったり、おしっこをジーンズにひっかけられ「もう、しょうがないなぁ」などとデレデレしたりした。
帰りは車だったのだが、その子ウサギがどうしても自分で運転したいと言って聞かないので、「じゃあ、俺は歩いて下におりてるから、おまえは車ぶつけないようにちゃんと下まで運転していくんだぞ。そこから先は俺が運転するから」と言って子ウサギを運転席に、チョコンと座らせてあげた。しかし道は複雑に入り組んでおり、果たしてこいつは、道のりを記憶しているのだろうかという不安がよぎる。
先に下に着いて待っていたのだが、案の定ウサギの乗った車はやってこない。しばらくすると、見ず知らずの人が子ウサギを保護して、連れてきてくれた。車は事故って大破したそうだ。怒る気にもなれず、まあ無事だったからいいや、おまえの小さな脳ではやっぱり無理だったなと慰め、家に帰った。それからしばらく子ウサギとの幸せな生活があったのだが、あまり覚えていない。
追突
俺がまず前の車に突っ込む。後ろから次々玉突き衝突して大惨事となる。恐る恐るドアを開けて後ろを見ると、血まみれの人や原型をとどめていない車の残骸が目の前に広がっている。「あちゃー、またやっちゃった」と思って途方に暮れた。
失踪
夕方。ひどい田舎の駅のホーム。友人と3人で旅行中。中学生に戻っている。どうしてもコーラが飲みたくなって、俺だけ発車寸前の電車を降りて売店に向かった。しかし店員はトイレに行っているらしい。金を払えずにまごついていると、発車のベルがなる。慌てて金を売店の雑誌が並んでいるところに置き、電車に向かおうとしたが、丁度トイレから帰ってきた店員に盗みをはたらいたと思われ、呼び止められた。電車は無情にも行ってしまう。
友人が待ってくれているであろう次の駅で下車してみるが誰もいない。荷物は友人が乗っていた電車の中に置いてきたので、携帯で連絡をつけることも出来ない。コーラ1本分の金しか持って降りなかったので、財布もない。途方に暮れて夜まで駅で過ごす。いつのまにか気絶していた。
1ヶ月くらい駅で過ごした気がする。俺は保護された。なぜか大金持ちの家の子になっている。涙ぐみながら女中が言う。
「ぼっちゃんが居ない間に随分大掛かりな捜索が行われました。でももう大丈夫です。心配いりません」
「俺、このうちの子じゃないと思うなぁ」と心の中でつぶやいた。
スパイ
敵組織に内部情報が漏れているため、次々と仲間が殺害されている。俺は相棒と2人で、味方に紛れている敵のスパイをあぶりだす任務に明け暮れている。仲間を疑いの目で見るのはなかなか辛いものだった。ついにスパイをあぶりだす最終段階に来たところで、実は疑われているのは俺と相棒の2人だということがわかった。このままでは無実の罪で、味方に粛清されてしまう。味方に潜んでいるスパイは、無実の俺たちに疑いの目が向けられているためにまんまと逃げおおせるに違いない。
「やってらんねー」と思ったのでプレイステーションで遊ぶことにしてスパイあぶり出し任務を放棄した。
もうちょっと続く。
先日も書いたが僕は本当に夢をめったに見ない。年に数回という感じだ。誰か確実に夢を見る方法(明け方に見る方法。明け方に見た夢を覚えている方法)を知っていたら教えてほしい。それと、なぜか僕が見る夢はほとんどが「怒りの夢」と「悲しみの夢」だ。もっと楽しい夢が見たいんだが……。
雑魚寝
めちゃめちゃ狭い部屋で雑魚寝して、毛布とか引っ張られちゃって寒かったんだが、両隣が宇多田ひかると奥菜恵だったので、結構満足だった。
地震
どんよりと曇った朝。父親が足が痛いと騒いでいた。母親はなぜかどこにもいない。そして大地震が起こった。
自宅が倒壊するさまを茫然と見つめている。俺の周りだけはなぜか揺れていないのだ。2階から上があらかた崩れ、地震が収まったのを確認してから俺は家に向かった。父親の姿がみつからない。瓦礫に向かって声をかけたりしていると、1階のトイレの中からすすり泣くような声が聞こえてきた。この中にいるに違いないと思い、倒れて入り口を塞いでいる大きな柱を20分ほどかけてどかした。
父が足を押さえて泣いている。しかしトイレの中はどこも崩れたところがなく、どうやらこの痛みは地震による怪我ではないようだった。左足をみると、ゆるんだアイスクリームを大きめのスプーンでえぐったように、肉が削げ落ちている。そこから蛆がわき、赤褐色の膿みが滲み出ていた。
「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!!」
「だって……、だって……、医者が……。医者が……」
左足は膝から下が紫色に変色しており、腐敗しているのが明らかだった。「これは切断する以外に助かる方法はないな……」と思った。しかし大地震のせいで道路は寸断され、他にもたくさんの怪我人がいるに違いない。救急車が到着する見込みはほとんどないと思った。
「どうしてこんなになるまで……」
なんとか助けてやらねばという気持ちより、怒りの方が強かった。
駄々をこねる子供
デパートのオモチャ売り場。フロアーにあおむけにケツをついて、母親の腕を引っ張りながら泣き喚いているガキがいたので、これは一発説教食らわすしかないなと思って近づいていった。ガキはおもちゃをねだって駄々をこねていたわけではなく「おっぱいが痛い! おっぱいが痛い!」と泣き叫んでいた。なんだよそれと思った。
猿と土佐犬
自転車に乗って広い公園のサイクリングロードを猿と散歩していたら前方から獰猛な土佐犬を連れた男がやってきた。今にも襲い掛かってきそうに牙をむく土佐犬。男は犬に引きずられるように歩いており、どっちが散歩させられているのかわからない状態だ。
突然猿をつないでいた引き綱がはずれてしまい、猿は犬から逃げるように走り始めた。追う土佐犬。俺は後ろから犬につかみかかり、そして猿の命とひきかえに食われた。
猫
一月ぶりに家に帰ると間取りが全然違っていた。我が家なのに迷子になった。母親が「あんたの枕に猫がうんこをしていたわよ」と言う。そういえば長年飼っているアルという名の猫が見当たらない。家の中を探し回ると、アルとは違う猫が無数にいることに気付いた。ほぼ全ての猫が奇形だった。目がないもの、後ろ足がないもの、頭部が異常に肥大しているもの、手足も顔もなくただ肉の塊のようなもの。薄気味悪い。やっと探し当てたアルは奇形でこそなかったが顔に大きな傷を負っていて、四肢が麻痺しているのか、うまく歩けなくなっていた。怯えていて、全く近寄ってこない。虐待を受けたのだなと俺は思った。無理矢理抱き寄せると、猫とは思えない気味の悪い鳴き声をあげた。
それじゃ恒例(?)の夏ドララインナップの予習(期待値順)。春クールよりさらに小粒感ありなんですよねえ。以下敬称略したり略さなかったり。
日曜9時TBS『元カレ』 7/6スタート
主演が堂本剛、広末涼子。共演は内山理名、ソニン(!)、天野ひろゆき(!)、角野卓造(?)。脚本は『Summer Snow』の小松江里子。Summer Snowのベタな泣きにやられた僕としては堂本広末小松のタッグにかなり期待してます。問題は内山さんか……。なんかいろんなところでいろんな噂を耳にするので正直受け付けなくなってます。『GOOD LUCK!!』も本当は柴咲さんと内山さんでキムタクさんを取り合うという当初の予定が、いろいろあって柴咲さん一本になっちゃったとか。なんなんでしょう? 事務所的になんとしても売り出したいんですかね? 映画もコケてたしなぁ。今回も内山さんが今カノで広末さんが元カノでしょ? どう考えても当て馬なんですよね……。どんどん汚れていく気がします。特に女性人気ほとんどないのと違いますか? 個人的に注目なのはやっぱソニンですね。OUTDEXのムネカタさんが小心者の杖日記で毎週どういう評をくだすのかが見逃せません。あと天野くんの演技は結構イケると思います。多分。
金曜10時TBS『STAND UP!!』 7/4スタート
主演は二宮和也。共演は成宮寛貴、山下智久、小栗旬、鈴木杏、釈由美子(!)。脚本は『女子アナ』『ナースのお仕事』の金子ありさ。演出が『ケイゾク』『トリック』の堤幸彦(!)。エロコメという王道を堤さんがどう撮るのかが最大の見物ですね。よくよく考えると俳優陣は若い子好きの奥様向けで、話の内容はエロネタ大好きの中高生向けで、監督は深夜のサブカル族向けという無茶苦茶な取り合わせなんですけど、それがまた期待を煽ります。僕としては釈さんのエロが満載されることを希望。
月曜9時フジ『僕だけのマドンナ』 7/7スタート
主演は滝沢英明、長谷川京子。共演は緒方直人。脚本は『若者のすべて』『アンティーク』『イグアナの娘』(!)の岡田惠和。世間的にはやっぱり一番話題になるんでしょうね。でも岡田さんの脚本ってちょっと軽くて好みではないので、途中で脱落(僕が)する可能性アリです。長谷川さんはグラビアで見ていたいタイプ。あと主題歌がサザンなのでバカ売れ必至。
火曜10時フジ『クニミツの政』 7/1スタート
主演は押尾学(!)。共演は伊藤美咲、吉岡美穂、横山めぐみ、大杉漣。脚本は『サイコメトラーEIJI』『金田一少年の事件簿』の大石哲也。マガジンで連載中の漫画は全然先に進んでないんですけど、一体どこまでドラマ化するつもりなんでしょうか。番組的には全然期待してないんですが、押尾さんがいろんな意味で要注目ですね。後々まで語られる名言が続出すると見た。あと吉岡さんが最近太ってきたのでちょっと心配。なんだかんだで脱落すると思います(僕が)。
木曜10時TBS『高原へいらっしゃい』 7/3スタート
主演は佐藤浩市。共演は井川遥、西村雅彦、高知東生、堀内健(!)。脚本は『OUT』の前川洋一。山田太一作品のリメイクというところが売りなんですが、最近漫画原作とか多くてドラマ界の地盤沈下を感じます。脚本が山田さんなら死んでも全話見るんですけどねえ。「意外と井川です」をやるかやらないかが注目というかやるわけないです。あと西村さんはもうドラマから足洗ってほしいです。舞台的な過剰演技に辟易。映画『黒い家』の時とか最悪でしたし。
火曜9時フジ『ウォーターボーイズ』 7/1スタート
主演は……よくわかんない。竹中直人、柄本明、眞鍋かをり、杉本哲太など、映画版の出演者が出てます。脚本は『ショムニ』とかアニメ(!)の橋本裕志。どう考えても映画版を超えることは出来ないと思うなあ。
水曜10時日テレ『幸福の王子』 7/2スタート
主演は本木雅弘。共演は菅野美穂、渡部篤郎。脚本は『真昼の月』『○○ブギ』シリーズの遊川和彦。今クールのシリアスドラマはこれかなぁ。なんかダークホースの匂いがします。
この他には上戸彩主演の『ひと夏のパパへ』、北野武自叙伝的作品『菊次郎とさき』、高岡早紀が若返る『14ヶ月』などがあるんですがいまいち食指が動きません。なんか低調。結局残るのは『元カレ』だけのような気がしますよ。『想い出にかわるまで』みたいなドロドロドラマ見たいなぁ……(まだ言ってる)。
PC関係の質問にどう答えればいいのかっていう問題にいつも頭を悩ませます。先日仕事でバタバタしてるときに会社の人から電話がありまして、「得意先が個人的にほおむぺえじの作り方を教えてほしいと言ってるので、ちょっと今教えてやって。すぐ作れるんだろう?」と言われたんです。僕はこの得意先と面識ナシ。で、電話口で教えなきゃいけなくなったんです。こういう時ってどうすればいいんですかね? 怒らせちゃまずいんで、まずは知識に探りを入れてみました。
「ええと、ほおむぺえじ作成ソフトとか持ってますか?」
「はい、PC買ったときにほおむぺえじびるだあというソフトが付いていました」
「なるほど。ではさらに質問なんですが、FTPっていう言葉の意味をご存知ですか?」
「いえ、なんですか? ソレ」
「なるほど。すいません、じゃあプロバイダ契約はしてますよね? プロバイダはどこですか?」
「So-netです」
「じゃあほおむぺえじはSo-netのスペースに置く予定なんですね?」
「え? ちょっと意味がわからないんですが……」
「そうですか……。じゃあホームページビルダーの解説本とかはお読みになりましたか?」
「いえ。まだほおむぺえじびるだーは一度も使ったことないです」
ホームページビルダーは一切手をつけたことナシ、FTPの意味はわからない、WEBスペースというものの概念もわからない。この状態で電話口での二言三言でどう説明しろと? 会社の人は僕に任せればものの1時間程度でほおむぺえじがパパッと作れると勝手に思い込んでます。確かに僕が自分でやれば1時間でやってやれないことはないですよ。画像とか何にも使わないプレーンなサイトのトップページ1枚くらいなら。でも僕がやったんじゃ意味がない。電話でそのやり方を教えるのとは話が別です。
結局「とりあえずホームページビルダーのマニュアルを読みながら実際に使ってみてください。それでも全然わからなかったら解説本を買って読んでみてください」とお茶を濁しました。そしてがっかりする会社の人と得意先。アホか。時間や金というコストを一切かけずに魔法のようにほおむぺえじを作ろうとしている得意先も得意先だし、何の知識もないのに安請け合いして僕に丸投げしてくる会社の人も会社の人ですわ。なぜ人に聞く前にまず自分で始めてみないのか。
というように僕はすぐに頭に血が昇る性質なので、なんかまともな返答が出来なくなるんですよね。もしかしたら得意先も一から十まで教えてもらいたいわけではなくて、むしろたった一言「ほおむぺえじというのはHTMLで作るんです。HTMLをおぼえてください」というようなシンプルな答えを期待していたのかもしれないですし。でも大抵そこで「HTMLって何ですか?」と質問がエンドレスになっていくのを経験しているので、答える前からうんざりしてしまうのですね。質問を聞いた瞬間にこっちは頭にきてるっていう。
親しい友人や家族なら目ぇ吊り上げながらも教えてあげようという気にもなりますけど、初めてメール送ってきて名前も名乗らない人にいきなり「着メロってどうやって作るんですか?」とか何をどう答えればいいのかわからないほどアバウトな質問をされるとほとほと困り果てます(向こうもどう質問していいかわかってないので仕方ないんですが)。そして「もういいや。無視だこりゃ」とか思うんですが、「でも無視したらしたでケチなヤツだとか思われんだろうなあ。つんけんしやがって感じ悪いとか思われるんだろうなあ。懇切丁寧に教えると死ぬほど時間がかかるし僕には何のメリットもないし元々そんな親切なヤツじゃないし、どっちに転んでも気分のいいものじゃないよなあ」と想像が想像を呼び、勝手にネガティブスパイラルに陥るのでした。イライラ。
頼むから僕に(一言で答えられないようなタイプの)PC関係の質問をしてくれるな。
今日はめったにしない生臭い話でもしましょうかね。アクセスとか。アクセスって言い方がもう生臭さの極北って感じがしていやなんですけど。そこらへんは以前にちょっとふざけて「叩かれない読者獲得法」というお題で書きました。古い文章なので今回ちょっと書き直しました。
で、現在ここ冷麺と模倣犯は有難いことにそれぞれ1日600HIT、400HITくらいあって、僕としては1人でも多くの人に読んでもらいたいという気持ちで書いてるのでそりゃ単純に嬉しいの一言なんですが、それ以外にも読者が増えて良かったと思うことがあるんで、今日はその事を書こうと思うのです。多分他の誰かが同じような事を既に書いてると思いますが。
Web日記の世界では「読者=書き手」というパターンがほとんどですよね。読者が増えるということはその分書き手に出会うチャンスが増えるということになります。僕は読み手としてはかなり不勉強な方で、自分から面白いサイトを探しに行くということが滅多にないので、アクセス解析に面白い書き手さんが足跡を残してくれる事が最大の「面白サイト発見の場」になってるのです。当たり前のことかもしれませんが、僕の書く文章に興味を持ってくれる書き手さんの文章は、やっぱり僕にとって興味をひかれるものが多いんです。さらにその書き手さんがリンクしている先も然り。で、気付けば自分のリンク集もはてなアンテナも、いつのまにか僕にとって面白いサイトで大賑わいという好循環。これが、アクセスが増えて本当に良かったなあと思う事なのでした。
あんまり楽しててもアレなのでやっぱり自分からも貪欲に面白サイトを探しに行かなくてはいけない気もしますが。で、みつけた先のサイトで、同じような事を思ってもらえたらこれに勝る幸せはないですな。いい子ちゃん。
方言とか訛りが大好き。東京に住んでるからこそ言える嫌味な発言に思えるかもしれないですけど、かなり本気で好きです。特に好きなのは大阪弁で、チャットに限って言えば僕の大阪弁は「正しく河内のおっさん風」で完璧らしいです。所謂コテコテ。ゆーたらコテコテ。ま、いくら練習しても関東風のイントネーションは誤魔化せないので、実際しゃべったら全然ダメなんですけどね。思うのは「東京にいても大阪弁ってTVとかで接する機会が多いからチャットくらいなら完璧に使いこなせるんだよなー。あと大阪の人って東京で暮らすことになってもあんまり大阪弁を直そうとか思ったりしないよね」ってこと。
その次に好きなのが九州弁。熊本弁と博多弁では全然違うんでしょうけど、広く九州地方の方言、訛りが大好きです。なんか僕にはとてもかっこよく聞こえます。これはなかなか接する機会がないんで全然使いこなせません。昔ウンナンの内村さんが「九州男児」というネタをやっていた時は録画したテープが擦り切れるくらい繰り返し見て、覚えようとしたことがあります。
で、大阪を除くと、ほとんどの地方の人が東京に来ると方言やめちゃいますよね。もったいない。実にもったいないっス。がんがん使ってくださいよ。特に九州の人。僕ね、九州訛りの強い人に共通するある事実に気付いたんですよ。九州在住の人注目。
大学のときに熊本出身の吉田君(仮名)という友達がいて「博多弁は九州の中でも洗練されていてかっこいいと思うけど、熊本弁とかマジ恥ずかしい。せっかく東京来たんだから方言は直したい」とか言ってたんです。一生懸命標準語を話すんですが、やっぱりイントネーションまではなかなか上手く矯正できない。で、サークルの新歓コンパなんかで飲んでると「アレ? 吉田さん(仮名)って出身どこだっけ? 訛ってるよね?」なんて、平気で気にしてることをグサグサ突っ込んでくる女の子とかがいたりするわけです。そこで渋々「え? 訛ってる? お、俺、く、熊本だけど……」とか言った瞬間、女の子「えーーーー!? 九州? ウソ! 東北でしょ?」
そうなんです。九州の人が無理に標準語を話すと、「無理に標準語を話そうとしている東北の人」とほぼ同じ訛りっていうかイントネーションになるんです。今日ニュースでインタビューされてた熊本の人もそうだったから間違いないです。最西端から東京すっ飛ばして最東端にワープ。これはなんかアレでしょ。別に東北っぽいから格好悪いとかそういう事ではなくて、なんか本人悔しいでしょ。結局関東人と見做されないなら堂々と「ばってん、そぎゃんこつゆーたっちゃー好かんたー好かんたい!」とか九州最前面に押し出したほうがいいでしょ。その方がかっこいいと思いますよ僕は。
ちなみにうちは母方の実家が岩手の奥地(八幡平)なので、東北弁は結構イケます。まんずはあ茄子だなす。
おまけ 九州小噺
上京初日、初めての外食。地元じゃ喫茶店すら入ったことなくてかなり緊張。上野で見つけたトンカツ屋さんに意を決して一人乗り込んだ。「田舎モンと舐められんようにスマートに注文するたい」と思い、(この店で)一番美味しいものをください、と言ってみた。
学生 「うまかつば ください!」
店主 「うちはトンカツ。馬はないよ」
さっきの吉田君(仮名)がいつも使ってたネタです。
「なんやとワレ、パイ見せくらいでごちゃごちゃ抜かすなヴォケ! おうリェーナ帰るど。さっさとせんかいデブ!」
控え室にて。
「ユーリャちゃん、ほんまに帰ってまうの?」
「あほんだら! 何いちびっとんねん。帰るゆーたら帰るんじゃヴォケ!」
「あんなー、うちなー、こんなんゆーたらユーリャちゃん怒るかもしれんけどなー、せっかく日本来とるんやさかい、やっぱ歌いたいんよ。なー、考え直してくれへん? ユーリャちゃん」
「じゃかしわデブ! 歌が歌いたい? 何寝言抜かしとんじゃ! わしら、ビーチク出してナンボちゃうんかい! ええか? TVの前には何千万っちゅーお客さんがおるんや。おまえにはそれが見えてないぃ。わしらTVの前で今か今かとハプニング待っとるお客さんの期待を裏切るわけにはいかんのや! それが芸人の魂ちゃうんかいっちゅー話やこっちにしたら」
「それはそうやけど……。スポンサーとかいろいろあるやん……」
「ボケェ。スポンサーなんか関係あれへんがな。わしら舞台に立ったらお客さんとの1対1の勝負や。食うか食われるかの真剣勝負や! TVの前のお客さんが真面目に歌うとるわしら見て「タトゥーはんもえろう丸ぅなりましたなー」ゆーてるとこが想像できひんのか!? この世界、一度落ち目になったら二度と浮かび上がれんことくらいわかるやろ? 麻雀放浪記の名古屋章もゆーてたやんけ。……オドレも思い出さんかい。汗で張り付いた白Tにビーチク! お客さんのちぃと気色悪い笑顔! あの時の客席との一体感、忘れたとは言わさへんで!」
「あんなー、うちなー、ほんまはアレ、むっちゃ恥ずかしいねん。そらユーリャちゃんはええで? スタイルええもん。うちがあの格好するとほんま白豚やん。そんなんうちもういややわー」
「オンドレそれでも芸人か!? ……もうええわ。ほんまオドレとはやってられへん。あーもうええ。帰らさしてもらいますわ。PV撮影もなしゆーことでお願いしますわ」
「マネージャー、なんとかしてえなあもう……」
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「難しい事を平易な表現でわかりやすく書く事はいい事で、簡単な事を小難しい表現でわかりにくく書く事は悪い事」
はい、これ半分間違ってますよ。前半部分だけ決定的に間違ってます。「難しいことを平易な表現でわかりやすく書く事」は大体において不可能です。無理を前提にしているという意味で間違いです。こんな主張は詐欺師をのさばらせることになるのでいただけません。表現が平易でわかりやすいのは、書いてる内容が単純で簡単な事だからです。それ以上でも以下でもありません。
難しい事が何故難しいのかと言えば、その概念が「今まで無かった新しいものなので、新しい表現方法でしか説明できないから」だったり、「複雑な論理展開を経ないと理解できない性質のもので、省略が効かないから」だったりするからで、それを既存の表現方法で置き換えたり、省略してわかりやすくしても元の概念とは似て非なるものになってしまいます。だから大抵、難しいことは難しい状態のままで理解していくほかありません。
現代思想でよく出てくる耳慣れないキーワードは、それを説明するだけで1冊の本が書けてしまうくらい難しかったりします。しかし低級な学識ぶりっ子(ペダンチスト)は、僕でも説明出来るような単純で簡単な事を、先人が血の滲むような苦労をして説明したキーワードを持ってきて説明したり、なんとなく高級そうな漢字語を使って漢字だらけの文章にしたりして、読む気を失くさせるのです。そして読めなかった人(読む気を失くした人)をダメ人間扱いするのですね。単純で簡単な事に現代思想の小難しいキーワードを使う必要はほとんどの場合ないし、漢字語は大抵平易な言葉に置き換えることが出来るので、もしもその文章が「誰かに何かをわからせるための説明」だったとしたら、はっきりと「チミはバカかね? 何の権利があって僕の貴重な時間を奪うのかね? もっと簡単に説明したまえ」と言ってやる必要があります。
しかし最初に書いたとおり、内容そのものが難しい事であった場合や難しいキーワードが必要不可欠な場合は「もっと簡単に書けよ」と言う方が間違っていますし、その文章が「誰かに何かをわからせるための説明」ではなくて、表現方法自体が主体になる文芸と呼ばれる類の文章であるなら、漢字語を多用したり難しい表現を使うのも仕方ありません。この見極めは、大抵文章を全部読んで理解してからじゃないとつけられないので、読む気を失くしても頑張って最後まで読むしかありません。つまりペダンチストの戯言というのは、読まなきゃ読まないでダメ人間扱いされるし、読んだら読んだで貴重な時間と体力を無駄にされるという最悪のトラップなのでした。
で、僕は、難しい事を平易な表現でわかりやすく説くという不可能事を詐欺的手法で行い、真実をねじまげ、人を騙すペテン師になるべく日夜頑張っております。
7月3日追記。jounoさんがさらにわかりやすく補足してくれました。
わかりにくさは、伝達の場面だけで介在するわけではないのです。
つまりそういうことです。
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