

僕が『マトリックス』(1作目)を観た時に一番面白いと感じて興奮したのは、かの有名なマシンガン撮影をはじめとするアクションシーンではなくて、子供がスプーンを曲げるシーンと猫のデ・ジャヴのシーン、次いで人間プラントの全体描写だった。
マトリックスという仮想現実の世界は既に他の映画や小説で出尽くしていた感があり、さほど目新しいものではなかった。大抵は主人公が現実と仮想現実を行き交ううちにどちらが本当の現実なのか区別がつかなくなり、観客もまた同じような不安感を抱く、というような手法を使っていた。主人公の視点からするとその仮想現実はとてつもなく広大ではあるが、観客の僕らにしてみればそれは実に小さくて、例えば頭に被る機械だったり、棺桶状のカプセルみたいなもので表現できる類のものだった。つまりその機械さえぶっ壊せば消えてしまう程度の小ささだ。

それに対して『マトリックス』の仮想現実は圧倒的にスケールがデカい。というよりも、今僕らが生きているこの現実こそが仮想現実であり、「本当の現実(?)」はこの外側に同じ大きさで存在しており、尚且つこの仮想現実に生きている人々は主人公以外全部作り物というわけではなくて、全員がそれぞれ外側の世界に本体を持つリアルな人間である、という視点が凄かったというべきかもしれない。こういう世界観の物語は『マトリックス』以前にも存在していたが、これだけ大規模な仮想現実を『マトリックス』以上にスマートに表現していたものは無かったように思う。
このスマートさを最も感じたのが先に挙げた「子供がスプーンを曲げるシーン」と「猫のデ・ジャヴのシーン」だ。超能力という、僕らが暮らすこの現実にありそうでなさそうな不思議現象と、既視感という、確かにあるんだけどなんだか説明のつけづらい不思議な現象の2つに、見事に合理的な説明を与えている事に感動したのである。なるほど、僕らが暮らすこの世界が実は仮想現実であるならば、この2つの現象は何の不思議もない。仮想であることに気付いた人はネオ達レジスタンスのように万能の超能力者たりえるし、プログラムのちょっとしたバグはデ・ジャヴという現象を伴って仮想現実に現れる。

このような、嘘の世界をもっともらしく見せる説明や道具立てはSFの世界に必須の条件で、僕が映画を見る際に一番気にかけるところでもある。以前雑文のコンテンツで『機動戦士ガンダム』のSF的道具立てについてちょっと書いたことがある。ガンダムの世界ではモビルスーツという人間型ロボットが登場するのだが、宇宙戦争するのに人間型ロボットは必要ない。惑星の基地から直接ミサイルをドンパチぶっ放したり、戦闘機を飛ばして闘えばいいだけの話だ。なぜ人間型ロボットである必要があるのか? 大人の事情を話せば「人間型ロボットじゃないとおもちゃの売上にひびくから」なんだが、ガンダムではこれにミノフスキー粒子というアクロバティックな設定を持ち込んでリアルを演出した。ミノフスキー粒子というのはレーダーを無効化する物質で、これがあるためにミサイルなどは遠距離の目標に正確に当てる事が出来ない。故に工作活動や白兵戦が重要となり、人間型ロボットはこの2つを同時にこなすことができる唯一の強力な兵器たりえたのである。見事。もちろんミノフスキー粒子というものは現実には存在しない。しかし物語世界をリアルにする道具立てとしては十分すぎるほどその役目を果たしているわけである。
翻って『マトリックス』では、マトリックスという仮想現実をリアルたらしめる道具立てとして、超能力やデ・ジャヴを持ってきた。これは斬新な発想だ。普通は超能力をリアルっぽく見せるために別の道具立てを用意する。マトリックスにおいては超能力と仮想現実という道具立てが相互にリアルっぽさを補完しあっているのである。

そして現実世界に広がる圧倒的な人間プラントの存在感。機械の動力として人間が培養され、死体すらも新たな人体の培養液となる永久機関という道具立て。これによって『マトリックス』は「仮想現実と現実という物語」をリアルっぽい世界として構築しているのだ。僕が打ちのめされたのはこの完全なる世界観である。残念ながら『マトリックスリローデッド』ではこの手の新鮮な驚きはなかった。マトリックス3部作は第1作目で世界の全てを見せてしまっているのだからこれは致し方ない事だ。ウォシャウスキー兄弟が真に天才なら、3作目でさらに観客を裏切る新たな世界観を構築して見せるに違いない。僕はそれを期待している。
マトリックスの世界を補完する『アニマトリックス』(6/3発売)で一番面白かったのは第7話『ビヨンド』だった。この作品がクローズアップしているのは、正に超能力やデ・ジャヴのような、僕らが暮らすこの世界にもあるちょっと不思議な事のマトリックス的解釈だったからだ。『アニマトリックス』全9話のうち、4つはウォシャウスキー兄弟による脚本、残りはコラボレーションをもちかけられた各監督による作である。僕は『ビヨンド』の監督・脚本が日本人、森本晃司であったことを誇りに思う。これはちょうど『AKIRA』を観た時の喜び、これが日本人の手によって作られたということへの誇らしさに似ている。
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