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2003年06月06日

映画や小説の嗜み方

映画ファン同士でお話していて、特にエキサイティングなのは作品世界を個々人がどう解釈したか、どう受け取ったかという部分で、要するにこれは映画の話を通して個人の内面を探り合ってるということなんだと思っている。

敬愛する刺身さんがよく「自分は映画をほとんど見ないので映画を語る資格があるのだろうか」というような事を書いていて、これに対してははっきりとNoと言える(刺身さんの『トレインスポッティングという映画の感想文』は最高)。映画を語るという楽しみ方に元々資格などない。また、そういう物量的なもので優劣をつけられてしまうのだとしたら、若い映画評論家は故淀川長治さんや水野晴郎さんに一生追いつけないということになってしまう。最近読んだナンシー関さんの本に、刺身さんと同じようなことを言っている部分があった。曰く、

映画好きな人が怖い。近寄りたくない。ほんとに知らないから

(自分は)映画に関してバカだったということをすごいいけないことだと思っている

ものすごくへりくだっちゃうんだな。いやあ、見なきゃいけないことはわかってるんですけどね、とか自分はもう最低な人間です、みたいな事言って

ナンシーさんの上の発言に対して、町山広美さんがこう返していた

映画評論で世に名を知らしめた人が東大の学長やってるわけだからさ、映画見るのを上等な趣味だと思う人が少なくないのはわかるよ

映画は知識で見るものだって思ってる人は多いよね。歴史とか流れを学んでこそ、という。それ、どうかと思うよ。誰もがそういう見方するこたぁない。お勉強映画がもてはやされるよりは『タイタニック』が大ヒットするほうが1000倍健全。

残念ながらナンシーさんの映画評論というものはほとんど残っていないが、『おとぼけオーギュスタン』というフランス映画について何か一言、という仕事を依頼され、原稿の5分の4くらいを前川清さんの話で埋めたそうだ 笑。きっとナンシーさんが書く映画評論、映画の感想文は僕にとってとても面白いものになっていたに違いないと思う。また、僕自身『タイタニック』をとても面白いと思ったクチ(こういうのが映画マニアの逆鱗に触れる)なので、模倣犯の方では悪口書きまくったが、町山さんのこの意見には完全に同意だ。

歴史や流れを織り込んで、マニアックな話をするのも楽しい事は重々承知している。僕もどちらかというとそっち系の人だ。時には「えー!? ○○も観てないの? それじゃこの作品は語れないな」とか思ったりする。しかしそれじゃ話が終わりなのだ。「○○も観てない貴方が、これを観てどう思ったのか」ここが肝心な部分だというのは上に書いた通り。


そういうわけで『俺的マトリックス論』はアシモフもディックもハインラインもギブスンも(ついでに言えば梅原も)読み、ジョン・ウーもツイ・ハークも押井も士郎も(ついでに言えば川尻も)見た上で書いてる割には全然そう見えないし、中途半端にSFの流れとかを取り込んでしまったために「どう観たか」ではなくしょうもない知識自慢になっちゃってて「俺はもっと知ってるぜ」みたいな人を呼び込みがちな、作品論としては最低の部類に入るものだったということを、わざわざ串刺してまでフォームメールで元ネタを教えてくださる権威主義的映画知識人に向けてお断りしておきます。僕は知識合戦はやりたくありません。面白い映画評論(or感想文)を僕に読ませてください。



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