
注意。模倣犯向けに書いていたので文体がモロにあっち風なんですが、長くなってしまったので冷麺に持ってきてます。
仮に年に5〜6回ほど映画を観る自称映画好きの人がいるとして、タランティーノ監督の今までの作品も未見、人となりや趣味嗜好も全く知らないとしたら、『キル・ビル』を見たあと、まず間違いなく「噴飯モノの日本観だったよ。もうね、中国とかアジア全般が混じっちゃってんの。どうしようもないねアレは(笑い)」という反応をしてしまう。もうちょっと細かく分けると大体以下のような反応があると思う。
1-1である人たちが、2-1である人たちに対して今盛んに「タランティーノ監督はすごい日本通なので、あの日本観は全部わざとやってるんですよ」と親切に予防線を張ったり事前レクチャーを行っていて、実際にはそういう誤解をする人は少ないとは思うのだけどやはり全然いないとも思えない。こういうエクスキューズが必要な映画が最近増えた(『アダプテーション』とか)、というのは既にいろんなところで言われていて、作品に対する理解度によって否応なく映画ファンとして格付けされてしまうので、うかつに映画の感想も書けないという状況があって、あんまりよろしくないなあと思った。
ただ、こういった状況を作り出しているのは観る側の方で、作る側としては「変な日本観でしたか、そうでしたか。でも面白かったでしょ?」と割とニュートラルに考えているのかもしれない。「変な日本観」はあくまでオプションであり、わかる人だけわかって笑ってくれればいいよという事は、言い換えればそのオプションなしでも充分面白い映画を作ったという自信なのだと思いたい。そういった意味で言うと、映画『アダプテーション』はオプション抜きにはその面白さをほとんど理解できない性質だったので、結構タチが悪いというか、映画好き同士で優位を競わせる差別化装置の役割を果たしていたと思った。あとGOGO夕張は変にもほどがある。
自分自身は1-2的な反応をしそうだという予感があるので、むしろタランティーノ作品だという前提をとっぱらう事に注力してます。
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