お久しぶりです。ほぼ4ヶ月にわたる放置、まことにありがとうございます。だらだらです今日は。
そんで最近というかもうインターネッツに触れてこのかた、ファッション関係の商品を実店舗で買うということがほっとんどなくなってまして、片っ端からネット通販です。最初の頃は「なんか小包的な形で送られてくると、自分で買ったにも関わらずプレゼント貰ったみたいで妙に嬉しい」というのが大きいのかなと思っていたんですけど、どうもそうじゃないねコレは。自分の暗黒面から目をそむけてただけだね。
服に限らずモノを買う、手に入れる、っていう行為はものすごく好きです。これは間違いない。包丁研ぐ石とかでも、手に入れるとなんか妙に高揚します(そんなもん買ったときないけど)。イヤなのは店舗との関わりなんですよね考えてみると。年齢を重ねればイヤでも人との関わりが増えて、そういうのの耐性がついてくるのかと思ってたんですけど、むしろ逆。年とればとるほどうざったい関わりを避けるようになってます。
特に感じるのが服を買うときで、ほら、俺って自意識過剰じゃん?(知らねえよ) どうにも店員の目が気になって気になって気になってまともに買い物とか出来ないんですよ。というか絶対的に自分のセンスに信頼がおけないので、何を選んでも店員に「ぷ、やっちゃったよこのシト、地雷踏んだよー。セール直行確実な糞アイテムがプロパーで掃けたよラッキー」とか思われてんじゃないかなっていう無限ネガティブスパイラルに陥るんですよ。あーもうめんどくさい。自分がめんどくさい。
あとほら、ちょっとこじゃれた店に買いに行くときの自分のファッションが気になるじゃないですか。「はいはい、君みたいな人の来るとこじゃないよーここは」っていう店員の視線が痛いじゃないですか。もう、その店に行くためのファッションをまずは一式そろえなきゃいけないじゃないですか。1段レベルが落ちる店で「まあ、これくらいならなんとかあそこにも行けるかな……」みたいなの揃えなきゃならない。もっと言ったらその1段レベルが落ちる店の店員の目まで気になってきて、さらに数段落ちるところでまずは一式揃えなきゃ、みたいなね。どんだけ揃えたら当初の目的の店にたどり着けんだよおい、っていうね。
そんでまあなんとかかんとか一式そろえたとしましょうよ。それでもビクビクもんですけどね。そのビクビクを敏感に察知した店員にまず上から下まで舐めるように見られて値踏みされるでしょう。「はは〜ん、そのレベルね。はいはいOKOK。大体把握した」とか思われるでしょう。で、もう、端っからナメられてるから、あからさまに糞アイテム押し付けてこられたりするでしょう。「これ、昨日入ってきたばっかなんですよ。自分も一着持ってて、お気に入りなんでもうずっと着てます」とか、おいおい、なんで昨日入ってきたばっかなのにずっと着てるとか2秒でわかる嘘つくんだよおまえ、っていうね。
そんなこんなをひっくるめて、実店舗で服買うのがすごい精神的苦痛なわけです。そこに現れたインターネッツ通販。もうアレですよ。水を得た魚ですよ。斧を得たドワーフですよ。毛が生えた小六ですよ。夏の臨海学校も「どうだ」ですよ。ムササビにカットレモンですよ。
自由。そう自由を手に入れたね。精神の開放だね。プレッシャーを感じず、本当に自分が欲しいと思ったものを気兼ねなく買える精神的自由。
でもその弊害ももちろんあってですね、元々センスないし、こう、お店に置いてあるとなんとなくは察知できる「地雷臭さ」が、ネット通販からは全く匂ってこないんですよね。「お、これいいな」っていうのがもう客観的に見たら明らかに地雷。手元に届いて初めてわかるっていう。精神的苦痛は受けないけど、その代わり金をドブに捨てる確率も高いっていう諸刃の剣ね。だからどんどん保守的になってきて、ブランド信仰が篤くなってくる。ブランドっつってもグッチとかそういうアレじゃないですけども、いわゆる「ブランドが確立されてる老舗」とか、そういう意味でのブランド信仰が篤くなってくる。なんだか全然自由じゃない。
どうせ自由じゃないならもういっそ管理されたい。SF的な未来的な管理社会でめちゃめちゃ監視されて識別番号与えられて、網膜センサーで地下鉄内での位置とか把握されて、すごいセンスのいいスタイリストが無理矢理ついて、「UZEE-4274号、これを着なさい」「はい」とか。そんですごいかっこよくなっちゃってんの自分。俺はそれでいいですマジで。ぶー。
以前にどなたかも言っていたが、アクセス制限やパスワード制限されているページからのリファラ(参照元)ほど腹の立つものはないと思う。自分の書いた文章に対して悪口を言われるのも誉められるのも的外れな事を言われるのもどれも全く同等に構わないし、むしろどんどん言ってくれと思うのだけど、何を言われているのかわからないというのはストレス以外の何物でもない。そのようなページからリンクするのならば、全くリファラが残らない形にしてもらいたい。例えばブラウザ側でリファラを残さないようにしたり、簡単な方法ではリンクを張らずに(a要素を使わずに)アドレスを載せたり(コピペしないと見れないのでリファラは残らない)、掲示板などでアドレスを貼り付けると勝手にリンクされるなら2ちゃんねるで良く見られるようにh抜きのアドレスにしたり。
「特定の対象に対して言及しているのに対象をぼかしたり、あえてリンクしないことによって言及先に気付かれないようにする」という方法が卑怯だという考え方がある。例えばある人を批判するのなら、その人に批判の内容を読ませるためにきちんと名指しでリンクすべきだ、という考え方である。これに関しては僕は特にそうは思っていなくて、自分が気付かないならどこで何を言われようと全く構わないというスタンスだ。僕が気付かなければ、僕にとってそれはこの世に存在していないも同然で気になるもクソもない。それは無いのだ。また、僕個人に対しての批判なのか一般論なのか判断付かないぼかした書き方がされている場合は、全部一緒くたに一般論だと思うように心がけている。たまにどうしてもそれが出来なくて本人に確かめたりするが、ご本人の答えは実はどうでもいいことだと気付く。気になってしまった時点で、それは自分に対しての批判も同然なのだ。気の済むように反省したり反論したり黙殺したりすればいい(たとえ過剰反応だと言われようとも)。
存在していないも同然だった「リンクなき悪口」を偶然みつけてしまった場合は別に何の問題もない。その時点で初めて自分にとってそれは存在し、喜んだり(?)反省したり反論したり黙殺したりできる。重要なのはそれが読める状態か否かということで、パスワードで制限されたページからのリファラを見つけても僕にはそれを読むことができない。確実に存在していることがわかっているのに! これは先ほど「卑怯」だとされた方法よりよっぽど悪質だと僕は思う。たとえ中身が賞賛の言葉だったとしてもだ。
もちろんこれは僕個人のリファラに対する考え方なので、誰に強制するわけでもないのだけれど、少なくとも僕は辿れないリファラを見つけると腹を立てる男だということは表明しておきたい。存在だけ知らせておいて中身を見せないとは何事かと。
「単にアクセス解析をやめればいいだけの話。バカかねチミは」と、言われても仕方ないのだけどリファラを辿ること自体は大好きなんですよねえ。困った子ですこと。
追記。ime.nuは2ちゃんねるからだとわかるのでライブスレッド検索などでどこに晒されてるかわかります。はてなアンテナのプライベートモードは別にそこで言及されてるわけじゃないので全然気になりません。アクセス解析(CGIの名前で大体見当がつきます)からのリファラも同様で、むしろ辿れる方が恐縮します。それはパスワードかけるべき。僕が言ってるのは明らかにそこでなんらかの言及があるに違いない場所で、尚且つパスワード制限やIP制限がかかってるところですよ。身内だけの掲示板とか、プライベートモードのはてなダイアリーとか。
「難しい事を平易な表現でわかりやすく書く事はいい事で、簡単な事を小難しい表現でわかりにくく書く事は悪い事」
はい、これ半分間違ってますよ。前半部分だけ決定的に間違ってます。「難しいことを平易な表現でわかりやすく書く事」は大体において不可能です。無理を前提にしているという意味で間違いです。こんな主張は詐欺師をのさばらせることになるのでいただけません。表現が平易でわかりやすいのは、書いてる内容が単純で簡単な事だからです。それ以上でも以下でもありません。
難しい事が何故難しいのかと言えば、その概念が「今まで無かった新しいものなので、新しい表現方法でしか説明できないから」だったり、「複雑な論理展開を経ないと理解できない性質のもので、省略が効かないから」だったりするからで、それを既存の表現方法で置き換えたり、省略してわかりやすくしても元の概念とは似て非なるものになってしまいます。だから大抵、難しいことは難しい状態のままで理解していくほかありません。
現代思想でよく出てくる耳慣れないキーワードは、それを説明するだけで1冊の本が書けてしまうくらい難しかったりします。しかし低級な学識ぶりっ子(ペダンチスト)は、僕でも説明出来るような単純で簡単な事を、先人が血の滲むような苦労をして説明したキーワードを持ってきて説明したり、なんとなく高級そうな漢字語を使って漢字だらけの文章にしたりして、読む気を失くさせるのです。そして読めなかった人(読む気を失くした人)をダメ人間扱いするのですね。単純で簡単な事に現代思想の小難しいキーワードを使う必要はほとんどの場合ないし、漢字語は大抵平易な言葉に置き換えることが出来るので、もしもその文章が「誰かに何かをわからせるための説明」だったとしたら、はっきりと「チミはバカかね? 何の権利があって僕の貴重な時間を奪うのかね? もっと簡単に説明したまえ」と言ってやる必要があります。
しかし最初に書いたとおり、内容そのものが難しい事であった場合や難しいキーワードが必要不可欠な場合は「もっと簡単に書けよ」と言う方が間違っていますし、その文章が「誰かに何かをわからせるための説明」ではなくて、表現方法自体が主体になる文芸と呼ばれる類の文章であるなら、漢字語を多用したり難しい表現を使うのも仕方ありません。この見極めは、大抵文章を全部読んで理解してからじゃないとつけられないので、読む気を失くしても頑張って最後まで読むしかありません。つまりペダンチストの戯言というのは、読まなきゃ読まないでダメ人間扱いされるし、読んだら読んだで貴重な時間と体力を無駄にされるという最悪のトラップなのでした。
で、僕は、難しい事を平易な表現でわかりやすく説くという不可能事を詐欺的手法で行い、真実をねじまげ、人を騙すペテン師になるべく日夜頑張っております。
7月3日追記。jounoさんがさらにわかりやすく補足してくれました。
わかりにくさは、伝達の場面だけで介在するわけではないのです。
つまりそういうことです。
映画ファン同士でお話していて、特にエキサイティングなのは作品世界を個々人がどう解釈したか、どう受け取ったかという部分で、要するにこれは映画の話を通して個人の内面を探り合ってるということなんだと思っている。
敬愛する刺身さんがよく「自分は映画をほとんど見ないので映画を語る資格があるのだろうか」というような事を書いていて、これに対してははっきりとNoと言える(刺身さんの『トレインスポッティングという映画の感想文』は最高)。映画を語るという楽しみ方に元々資格などない。また、そういう物量的なもので優劣をつけられてしまうのだとしたら、若い映画評論家は故淀川長治さんや水野晴郎さんに一生追いつけないということになってしまう。最近読んだナンシー関さんの本に、刺身さんと同じようなことを言っている部分があった。曰く、
映画好きな人が怖い。近寄りたくない。ほんとに知らないから
(自分は)映画に関してバカだったということをすごいいけないことだと思っている
ものすごくへりくだっちゃうんだな。いやあ、見なきゃいけないことはわかってるんですけどね、とか自分はもう最低な人間です、みたいな事言って
ナンシーさんの上の発言に対して、町山広美さんがこう返していた
映画評論で世に名を知らしめた人が東大の学長やってるわけだからさ、映画見るのを上等な趣味だと思う人が少なくないのはわかるよ
映画は知識で見るものだって思ってる人は多いよね。歴史とか流れを学んでこそ、という。それ、どうかと思うよ。誰もがそういう見方するこたぁない。お勉強映画がもてはやされるよりは『タイタニック』が大ヒットするほうが1000倍健全。
残念ながらナンシーさんの映画評論というものはほとんど残っていないが、『おとぼけオーギュスタン』というフランス映画について何か一言、という仕事を依頼され、原稿の5分の4くらいを前川清さんの話で埋めたそうだ 笑。きっとナンシーさんが書く映画評論、映画の感想文は僕にとってとても面白いものになっていたに違いないと思う。また、僕自身『タイタニック』をとても面白いと思ったクチ(こういうのが映画マニアの逆鱗に触れる)なので、模倣犯の方では悪口書きまくったが、町山さんのこの意見には完全に同意だ。
歴史や流れを織り込んで、マニアックな話をするのも楽しい事は重々承知している。僕もどちらかというとそっち系の人だ。時には「えー!? ○○も観てないの? それじゃこの作品は語れないな」とか思ったりする。しかしそれじゃ話が終わりなのだ。「○○も観てない貴方が、これを観てどう思ったのか」ここが肝心な部分だというのは上に書いた通り。
そういうわけで『俺的マトリックス論』はアシモフもディックもハインラインもギブスンも(ついでに言えば梅原も)読み、ジョン・ウーもツイ・ハークも押井も士郎も(ついでに言えば川尻も)見た上で書いてる割には全然そう見えないし、中途半端にSFの流れとかを取り込んでしまったために「どう観たか」ではなくしょうもない知識自慢になっちゃってて「俺はもっと知ってるぜ」みたいな人を呼び込みがちな、作品論としては最低の部類に入るものだったということを、わざわざ串刺してまでフォームメールで元ネタを教えてくださる権威主義的映画知識人に向けてお断りしておきます。僕は知識合戦はやりたくありません。面白い映画評論(or感想文)を僕に読ませてください。
納税者番付の定番ネタで「お笑いBIG3=さんま、タモリ、たけし」というのがあって、今年は何故かBIG5となっていて、所さんと志村さんが追加されていた。常々さんまさんをお笑いBIG3に入れるのはどうかという疑問があって、それは主にコントが出来る(作れる)のかという一点なんだが、今回はそれに輪をかけて所さんのBIG○入りに疑問を感じる。さんまさんと所さんはフリートークと司会業の人なんであって(さんまさんのフリートークはそりゃ死ぬほど面白いけれど。ちなみに所さんを面白いと思ったことはビタイチない)、僕の考えるお笑いの人とは一線を画している。つまり僕の中でお笑いはコントこそが命ということになる。
BIG5の中にあって桁違いのコント能力(?)を有しているのは間違いなく志村さんであり、次いでタモリさん、大きく離れてたけしさんだと思う。僕はむしろダウンタウンの松本さんをBIG○に入れてもらいたい。もう十分に芸能界の中でBIGと呼ばれるに相応しい位置に来ていると思う。最近ダウンタウンDXで大物芸能人との人脈を作りつつあるので、志村さんつながりでなんとかなるのではないか。
と言うか、この実力主義の現代社会にあって、最も実力が重んじられなければならないはずの芸能界が未だに上下関係でがんじがらめにされている事はお笑い好きにとって不幸な出来事だ。バラエティ番組で面白いリアクションを取れる若手が、一生懸命大御所に気に入られながらフリートークの経験を積んでいくという気の遠くなるようなお笑い道。本来ならゴールデンに一本ネタをガンガンやれる番組を置き、そこで笑い死にするような大ネタをかました若手が笑いの大きさに応じて収入を得られるようでなくてはならない。たとえばフォークダンスde成子坂。一本ネタの面白さでは群を抜いていた彼らはボキャ天でものの見事に「消費」され、そして消えていった。元々桶田さんはフリートーク向きじゃない。一本ネタでなくては生きてこないキャラだ。そしてビシバシステムの西田さん(現在は緋田康人と改名して俳優に転身)。彼もフリートークを不得手とするコントキャラであり、バラエティ番組で無理矢理リアクションを取らされているのを見るのは涙が出るほど辛かった。他にもたくさんの「フリートーク向きじゃない役者志向のコント芸人」がいて、彼らは売れない俳優に転身するか、廃業に追い込まれていく。
バラエティでも十分面白さを発揮できるくりいむしちゅー(元 海砂利水魚)の有田さんや、さまぁ〜ず(元 バカルディ)の大竹さんは稀有な例だ。しかし彼らもバラエティの世界で消費され、才能を枯渇させられているんじゃないかという感じがして気が気じゃない。そのエネルギーを全て一本ネタに注ぎ込んでほしいと思う。
要するに言いたい事は一点。バラエティ番組偏重、フリートーク偏重のお笑い界の風潮をなんとかしろ。そのためにもお笑い好きは1本ネタで彼らが食っていけるように惜しみなく金を注ぎ込まねばならない。CMスポンサーがお笑いに金を払う構図を、末端のユーザーが彼らに直接金を払う構図に変えなくてはならない。だからさまぁ〜ずのDVD-BOXを買え。僕は買った。ちょ、ちょっと高かったけどな……。
「サイトバレ」っつーんですか? このサイトは誰にバレても痛くも痒くもないんですが、バレちゃまずい事書きまくってる人もいますわな。んで、職場バレ、学校バレのせいで閉鎖するサイトがたまにあります。こんな事やあんな事書いていたのがバレるとまずい。だから慌ててログも消去。その気になればインターネットアーカイブとかGoogleのキャッシュでサルベージも可能ですけど、職場や学校の人はそこまでしないでしょうから、ログ全消去してサイトたたんだり移転するのは実社会でのダメージ軽減に有効な手段であるわけです。うん、仕方ない。これはちょっと文句言えない。
んで、問題はこっち。
こんな理由でファイル全削除してサイト閉鎖されるとたまらんのですわ。別に消す必要ないですやん。ファイルそのままでほったらかしときゃええんちゃうんかっちゅう話やこっちにしたら。特にモチベーション云々とか忙しいとかで更新できないから閉鎖ってなんのこっちゃって話ですよ。別にあんたんとこなんか更新しなくてもいいんですよ。休止とか宣言する必要すらない。過去ログ何回も読みますよ。それだけで楽しいんですよこっちにしたら。あんたがどうでもいいと思ってるログを楽しみに読んでる人間がたくさんいるんですよ。ファイル置いとけヴォケが。そりゃ閉鎖すんのもファイル消すのも本人の勝手ですよ。でもね、それに対してぎゃんぎゃん文句言わしてもらうのもこっちの勝手ですわ。
数ヵ月後には名前変えて復活すんでしょ? ええ探しますとも。面白いから。好きだから。見つけたらこめかみの血管破裂させそうにイライラしながらリンク張り替えますよ。アンテナで捕捉しますよ。楽しいから。読みたいから。いい加減にさらせこの糞餓鬼ども。そんなこっちの気持ちを見透かして、「このサイトは閉鎖します。いつか名前を変えて、別の場所でひっそりやるかもしれません。探してみてください」とか言いやがる。何がサガシテミテクダサイだ自意識過剰野郎が! 言われなくても探すわくそったれ。
という内容を脳内で丁寧語の優しい口調に変換して読んでください。かしこ(女言葉)。
結局大多数の人間を動かすのは理じゃなくて情なんだけど、「反戦反戦」とお題目みたいに唱えて、イマジンを歌ってフランスワインを飲んで東京タワーでパレードやればその情に訴えられるのかと思うと少し情けない気持ちになる。そんなプロパガンダが何の足しにもならなかったのを知らないわけじゃあるまい。理の裏付けをもってして、その上で情に訴えてもらいたいと思う。
無力感にへこたれず、しつこくしつこく考えてみた。ちょっとした結論みたいなものにたどり着いたと思う。
「完全なる反戦主義者(そんな人がいるかどうは別として)」はどんな戦争をも否定するのだろうか? また頭の悪いたとえ話になるが、密告と秘密警察による恐怖政治を敷く独裁国家があるとする。その国がいきなり僕らの住む国にどかどかミサイルを撃ってきて、僕らの家族や友人が何十万人も死んだらどうするんだろう? その翌週、地上部隊が僕らの国に上陸してきて、目の前で人が殺されるのを見ても、完全なる反戦主義者は反撃を許さないんだろうか? 一方的な侵略戦争を、反戦のポリシーに従って無条件降伏で終わらせるつもりなんだろうか? もしそうなら翌日からその国の圧政が始まる。僕らの自由は奪われ、奴隷のような生活が始まる。それでいいのだろうか? それとも、世界有数の武力を持つ同盟国(傑作な事にこいつはかつて僕らの国に原子爆弾を落として無条件降伏を迫った当の相手だ)が助けてくれるのを哀れな野良犬みたいな顔して待つんだろうか? 自分たちは反戦を唱えて左の頬を差し出しておきながら、同盟国には武力行使を期待するという屈折した態度を取るんだろうか? どう考えてもそうは思えない。自衛のためなら戦争やむなしと考えてるはずだ。「自衛」なんていうのは言葉の遊びだ。戦争は戦争だ。人と人が殺しあう事に他ならない。相手が侵略をやめるまで、殺されないために相手を殺すしかないんだ。
そういう無茶苦茶な侵略が現に20世紀には当たり前のように(僕らの国も含めて)行われていた。たくさんの人が死んだ。人間の歴史の中で最も多くの人が短期間で死んだのが20世紀だ。で、世界は同じ過ちを繰り返さないように、国連っていう仕組みを作った。無茶な侵略をすると他の国が団結してあっという間に潰されるので、無茶は出来なくなったわけだ。……と、つい昨日までそう思っていた。いや、正確にはアメリカのバカでかいビルに飛行機が突っ込み、罪もない人々が一瞬で死んだその瞬間まではだ。歯車が確実に狂った。絶対あってはならない前例が作られてしまった。横暴でお節介で、苦々しく思ってはいたがまだどこか頼りになる大国アメリカはこれで我を忘れてしまった。
全ての武力行使に反対を唱えるわけではないが、世界の大多数の賛同を得られずに行われる戦争には反対だ。今のアメリカは矛盾の塊になっている。国連決議を守らなかったという理由でイラクを攻撃するアメリカ自身が国連の意見を無視している。イラクに民主主義を押しつけようとしていながら、自身はパキスタンを始めとする民主主義国家ではない国を味方につけている(日本だって同じだ。日本が本当の意味での民主主義国家なら、世論を無視する首相などとっくにクビだ。日本はとびきり高待遇を受けているアメリカの奴隷みたいなもんだ)。本当は民主主義を押しつけようとしているんではなくて、高待遇の奴隷を作り上げようとしているのだと思われても仕方ないのだ。こんなに説得力のない戦争が許されてしまったら、次がまた起こるんだ。フセインが抹殺されるべき存在であるなら、それを理だけではなく情も何もかも総動員して全力で世界を納得させなきゃいけない。世界が許さない戦争は起こしてはいけない。それが20世紀に学んだ事じゃなかったのか?
イラクに攻撃をしかける事はもう昨年の内にがっちり決まっていたと言う。4月に入って暑くなる前に、砂嵐がひどくなる前にフセインを抹殺する。暑くなると兵士がもたない。砂嵐で作戦を長引かせたくない。まるで修学旅行の計画表みたいだな。世界の意見を聞くフリをしながら、着々と計画は進められた。そんな計画はクソ食らえだ!! 予め決まっていた事を、後付けの理由で糊塗するから世界が納得しないんだ!
原爆の記憶、侵略戦争への反省、ぬるま湯での安寧、どういう立脚点があるにせよ、圧倒的に反戦論者が多い日本は賢明だと思う。首相一人を悪者にして、ずっとアメリカの傘の下で温かいスープが飲めるんだ。この戦争の後、遠い未来に世界がアメリカを潰しにかかっても大丈夫。「可哀相に。原爆落とされてアメリカの言うがままにするしかなかったんだね」と手を差しのべてもらえる。なんて惨めで誇りのないことだろう。でも僕は誇りを持って死んでしまうより、家族や友人が生き延びてくれるほうがいい。だからアメリカにもイラクにも同じようにイライラしつつこんな中途半端な文章を書いている。クソ安全なクソ日本で。
世界が納得する戦争であっても無辜の民が死ぬ事実に変わりはない。最終的な問題はいかに戦争を起こさないかという事に尽きる。TVの青臭い討論番組で「戦争は未来永劫無くならない」「いやそんなことはない。人間はそんなに愚かじゃない」とやっていた。僕は中世の魔女裁判を思い出した。中世に当たり前のように行われていた野蛮な拷問は今も完全にはなくなってはいないけど、数は確実に減っている。それも劇的に。戦争を完全になくす事はできないかもしれないけれど、数を激減させる事はできるかもしれない。気の遠くなるような年月をかけていつか。それをこそ急ぐべきなんだ。
つーか本当頭わりい俺。絶望的。
냉면 독자 여러분, 안녕하십니까? 그리고 최보예씨 하고 아사노선생님, 안녕! 오늘도 나는 건강합니다. 불고기 먹었기 때문에. 과식했으므로, 배가 아픕니다. 그리고, 마음이 아파요. 이건 농담.
久しぶりに焼肉食べてきた。この焼肉屋で友達になった店員のキム・ビョンウン氏(32歳。韓国語では「さん」の意味で「シ」をつけるので、氏と書いたほうがなんとなくしっくりくる)に先日痛い質問をされて、ちょっと行きづらくなっていたのだ。曰く「テラヤマさんは、なぜ韓国が好きなのですか?」
言葉に詰まってしまった。なぜと言われても答えようがない。好きなものは好き。それ以外にない。でもそれではキム・ビョンウン氏が納得しない。僕は半分逃げ口上のつもりで、能天気な笑顔を浮かべて「食べ物がうまいから!」と答えた。キム氏はかなりがっかりしたようだった。文化的な事、韓国人の気質、韓国の風土、そういうことを理由にしてほしかったようだ。「日本人は本音と建前を使い分けるので、テラヤマさんが本当に韓国を好きなのか、私にはよくわかりません」と言われてしまった。かなりへこむ。心の底では嫌ってるのかもしれないと疑われている。
朝鮮半島と僕との関わりは常に「差別」や「対立」というキーワードが軸になっていた。小学校時代はクラスにいた在日の子との腫れ物に触るような付き合い(そうさせたのは親たちの彼らに対する態度が原因だ)。韓国と日本の間に横たわる歴史的経緯を学んだときの、なんともいえない「申し訳なさ」のような感覚。父に今でもしっかりと根付いている忌むべき差別主義に対する猛烈な反発。もう正直たくさんだ。そういうネガティブな関わり方にはほとほと疲れた。僕はあるがままの姿で、あるがままの韓国人と、ごく個人的な付き合いがしたいだけだ。
世代にもよるだろうが、朝鮮半島に対する日本人の考え方は大体次のような感じになると思う。「無知無関心」「親の代から続く差別主義」「歴史認識からくる過剰な謝罪主義」。今までの僕は明らかに最後の部類に入っていたと思う。父を反面教師として、なんでもかんでも朝鮮半島に対して贖罪の気持ちで接するという態度だ。もうそこから脱却したい。旅先で出会ったトルコ人のおっさんと酒場で意気投合するような、何のしがらみもない人間対人間の付き合いがしたい。そして知らなかった言葉を知り、知らなかった文化に触れたい。興味があるから。面白いから。楽しいから。そういう理由が許されにくい状況を作った昔の日本人に対しての憎悪がある。
幸いにして僕は今、韓国に数人の友人を得ることが出来た。この関係が、僕らではどうにもならない国家とか国民とかいうわけのわからない代物にぶち壊されることがないようにと心から願う。「なんとなく好き」が堂々と通用する関係がずっと続いてほしいと思う。
「リンクフリー アンリンクフリー」という考え方がインターネットにはあって、意味は「リンクするのもはずすのも御自由に」ということだそうだ。そもそもリンクフリーというのは英語として直訳すると「リンクなし」という意味になるから言葉として変なんだけど(タックスフリーやシュガーフリーと同じね)、定着してしまった和製英語だからそこらへんは深く突っ込まなくていい。そんな事いちいち突っ込んでたらキリないし。「ガソリンスタンド」とか野球の「ナイター」とか誰も突っ込まないし。んで、日記とかコラムとか、文章を主とするサイトのコミュニティではこのポリシーは半ば常識化していて、いちいちサイトに明文化していないところが多い。これが別のコミュニティ(例えばCGサイトコミュニティとか)だとまた話は別なんだけど。僕のサイトも「リンクフリー アンリンクフリー」とは書いていないけど、そういうポリシーを掲げてると思ってもらって間違いない。しかしリンクフリーに関してはトラブルが起きるような事は少なくなったと思うが、アンリンクフリーに関しては感情的な行き違いが今でも起きてるように思う。リンクをはずされて「ああ、なんではずされたんだろう」とヘコむくらいならまだしも、「クソッ はずしやがったな」と憤る人が多いって事だ。表立っては決して文句を言わないが、心の底で腹を立て根に持ちあわよくばそいつの足をすくってやろうと考えているのだ。実に馬鹿げている。そのような精神構造を持っているなら「リンクはずされるとムカつくので一回リンク張ったら未来永劫はずすな」とか明文化しておいてもらいたい。そういうところには最初からリンクしないように自衛策を取れる。僕はリンクをはずされても決して根に持つことはないので、気紛れにどんどんリンクをはずしてもらって結構である。一切心配は要らない。と宣言しておく。
別に何かあったわけじゃないので勘繰らないでくださいねー。単に予防線。あと関係ないけどこのページ(http://kowagari.net/diary/)のトップ画像(通称冷麺画像(?))を1個増やしたのでリロードしまくって見てみてください。いつか本気で怒られると思うけどその時は平謝りします。
韓国を心から応援してきた者として今大会の韓国を冷静に振り返ってみたいと思います。正直、ネットでの「韓国大嫌いキャンペーン」にはうんざりなのですが、韓国大好きの僕から見てもどうしても納得の出来ない事がいくつかあります。まず暴走韓国、ここまでやるか!〜醜悪な韓国の勝利を全部読んでおく事をおすすめします。このサイトはW杯における韓国サッカーのイヤな部分が全て記録してあります。
さて、まずは論点を3つに分けましょう。「選手」「審判」「サポーター」です。選手の気迫溢れる素晴らしいプレーは素直に賞賛したいと思います。90分フルに闘っても全くへこたれず、むしろ後半になればなるほど力強く、あきらめずにボールに向かっていった姿勢は凄かったです。イタリア戦は特に凄かったですね。おまえらどこにそんなに体力残ってたんだよ……みたいな。選手全員ゴン中山みたいな。ラモスみたいにサッカーを精神論で全部片付けるのはナンセンスだとは思いますけど、見ていて気持ちいいのは僕にとってはやっぱり気迫溢れるプレーだなと思いました。ただ、一次リーグに関しては気迫がラフプレーと紙一重だったことは否めません。
次に審判。言うまでもなく誤審が取り沙汰されてます。特にトッティにシミュレーションを取ったのは誰がどう見ても誤審。下手すりゃあれはトッティに対するファールでイタリアにPKが与えられてもおかしくなかったシーンです。韓国が審判を買収したとは考えにくいですけど(何があるかわからないのが世の中なんで、もしかしたらあったかもしれません。なかったと思いたいって事です)、サポーターの異様な応援によって見えない圧力を受けたのか、とにかく試合をぶち壊しにした(もっと言えば今大会の全てをぶち壊しにした)最悪の誤審だったと思います。もうひとつはスペイン戦でのホアキンのセンタリングがラインを割ったとする判定。最初に紹介したサイトに詳しいですが、これも明らかに誤審だったと思います。他にも挙げていったらキリがないくらい韓国寄りの判定がいくつもありました。これらに関して僕は苦々しい思いでずっと見ていました。これが仮に日本の試合だったとしたら。日本の試合で日本贔屓の判定が連発されていたとしたら。どれだけ選手が頑張っても審判の誤審のせいで日本は「最悪の買収国家」という謗りを受けていたでしょう。どれだけ日本は買収などしていないと言い張っても誰も信じてくれなかったでしょう。それが苦々しい。この問題は韓国サッカーの問題なのではなく、あくまでも審判の問題なんだということを強く言っておきたいと思います。あのハゲ審判(コリーナさん)を使えばよかったのにね。
最後に韓国サポーターついて。先の2つに関しては僕は韓国の悪口を言う気にはどうしてもなれませんけど、サポーターのマナーの悪さには正直失望しました。相手が日本だったらわかるんです。日本は韓国を侵略して、無理矢理日本語教育を行なったり、無理矢理日本名をつけさせるなどのひでえ事をやってきたんですから。彼らの多くが「日本負けちまえ」と言うのは心情として理解出来ます。そう言われても尚、僕は韓国好きですからいいんですけど(悲しいけどね)。しかし、しかし……。ホスト国でありながらのあの横断幕のひどさにはさすがに気分悪くなりますね……。曰く「アズーリの墓へようこそ」(イタリア戦での横断幕)「ヒトラーの息子たちは去れ!」(ドイツ戦での横断幕)、「クローゼ選手、負けてください!」(ドイツ戦、クローゼの遺影を模したもの)。イタリア戦での状況を全く考えていないブーイングの嵐もひどかったです。とにかく相手選手がボールを持っただけでブーイング。負傷した選手がいたため、ビエリがボールをラインの外に蹴ったにも関わらず拍手ひとつ起こらないというのもおかしい。アメリカ戦の前にはアメリカの合宿地の外で大騒ぎをして選手の安眠を妨害。全く韓国と関係ない試合でも「テーハンミング」を大合唱……。一体何をやってんだ……。サッカーそのものを少しは楽しんでくれ。相手国に対する敬意は全くないのか? 僕は親韓派として忠告をしたい。君ら間違ってる。世界が韓国選手の頑張りを無視し、誤審がなけりゃ韓国なんてとっくに負けてると蔑んでいるのは、君らの応援の仕方がひどいからでもあるのだ。君ら自身が審判の誤審を厳しく追及し、自国贔屓の判定に堂々と異議を唱えるべきなのだ。
僕が今までに知り合った韓国人は男も女もみんないいヤツばかりでした。それだけに今ネットで盛んにやられている「韓国大嫌いキャンペーン」はとても苦々しい。友人として悔しい。一人も韓国人の知り合いがいない日本人まで韓国を嫌いになっている。しかしそれは韓国サポーターの責任であるのです。いくら僕がこんなちっぽけな場所で頑張ったところで何の弁護にもなりません。
韓国対ドイツ戦は両チームフェアプレイに徹していてとても良かったです。でも韓国選手にあまり気迫が感じられなかったのは、連戦の疲れ以外にも「自分たちのプレイは正当に評価されていない。誤審とサポーターのひどいマナーのせいで完全に悪役にされている」という気持ちが現れていたんじゃないかと深読みしてしまいました。4年後、アウェイで正々堂々立派なプレイを見せてくれる事を祈りつつ、お疲れ様韓国。
以前僕は戦争以外の分野でナショナリストになることは全く恥じる必要はないと書いたことがありますが、韓国の応援を見ていてそうでもないな……、と考えを変えました。行き過ぎたナショナリズムはやはり醜悪です。自国に誇りを持つ事と他国を貶める事を一緒にしちゃいけない。
暴走韓国、ここまでやるか!〜醜悪な韓国の勝利でうんざりしてる人にオススメ。日本人にも韓国人にも、いいヤツ悪いヤツはいるってこと。ある人物が、ある時はいいヤツだったりある時は悪いヤツだったりするってこと。なんでもひとくくりにするな、一面的に見るなってこと。
MENU
冷麺最新5件の記事
冷麺最新3ヶ月
Amazonレコメンド