
大好きなマイケル・ナイト・シャマラン監督の最新作。いつにもまして「どんでんがえし」を宣伝でうたいまくっている感があるので嫌な予感あり。また、今回もそこかしこで「パクリ疑惑」や「世紀の駄作」などの声が聞こえてきていて、雑念を振り払うのに大変でした。まず毎度あがってくるパクリ疑惑についてなんですが、僕はパクリであっても元ネタを超えた面白さがあればいいと思っているので、あまりパクリパクリと声高に批判されてるのを見るとげんなりします。さすがに今回は「完全丸パク」とまで言われていたので、もしもシャマラン監督が本当に意図的にパクっているのなら、もう堂々と「パクってるというかプロットは踏襲したけど、俺の方が断然面白いだろ?」と言ってもらいたいなと思います。しかし可能性としては意図的じゃなかったということも十分考えられると思うんです。だってこの一発ネタは誰だって考えつきますよ。こういう叙述トリックを中心に据えると、必然的にディテールまで同じになってしまうというのはありえることだと思います。
また、以前にもシャマラン監督のことを書いたのですが、僕はシャマラン作品のどんでんがえし、オチは全く重視してません。だから「オチが読めてつまらなかった」とか「ぜんぜんどんでんがえしじゃない」とか言われても「それが何か?」と思います。『シックスセンス』の時はオチがたまたま上手く決まっただけであって、それと同じ小気味よさを求めるなら、もうシャマラン作品は観ない方がいいですよ、と言いたい。実際『シックスセンス』を観た人の中にも、最初の10分でオチが読めた人はたくさんいたわけで、それでもラストまで引っ張る力があの映画にはあったと思うんです。そっちの力の方をこそもっと重視してもらいたい。
では以下思いっきりネタバレしますので注意。未見の人は読まないで下さい。
「面白かったか? それとも面白くなかったか?」と問われれば、迷うことなく「面白かった」と答えますが、それとは別問題で『ヴィレッジ』には実は失望しています。この作品はシャマラン監督作品としては大きなターニングポイントになるのかもしれません。
過去3作品に共通しているのは「幽霊、スーパーマン、宇宙人という、普通ならふざけるなと言いたくなるような子供じみた題材を、最後まで緊張感を保ちつつ、最後までその存在に疑いを抱かせつつ描ききる。最終的にそれらの存在を壊さない。そのまま見せちゃう。それが腰砕け」という点です。僕は特にこの「子供じみた題材」に肩入れしていて、今回の『ヴィレッジ』で言えば「<<彼ら>>」(口に出してはならない存在)がどのようにして緊張感を保ったままスクリーンで暴れるのか、ゴブリン(あるいはオーク、グール)としてどのように現代的解釈を与えられているかを一番楽しみにしていたのでした。
しかし「<<彼ら>>」は結果的に物語世界の内部においても偽物だったということがわかって失望しました。この映画に子供じみた題材は存在しない。あるのは「箱庭」という現実的なオチと、「愛」という僕の嫌いなテーマと、「カルトとユートピア」というような他の監督に任せればいい社会問題です。
今までの作品は、オチが明かされて「なーんだ」となっても、「なーんだ」の質が違っていたんです。「なーんだ、幽霊(不死身のヒーロー・宇宙人)だったの。って、え? 幽霊(不死身のヒーロー・宇宙人)? 幽霊(不死身のヒーロー・宇宙人)とかモロ出ししちゃう? うははすげー」だったわけです。でも今回の「なーんだ」はそのまんまの「なーんだ」なんですよね。オチのベクトルが現実を向いてるので、オチを読めてしまった時点で面白さが半減してしまうんです。映画を観る前から、宣伝で村の掟をクローズアップしているのを見て既に読めてしまったという人も多いと思います。
「そのまま見せちゃう」というところも僕がシャマランを大好きだった理由のひとつです。よく言われる言葉に「見えない存在こそが一番怖い。『エイリアン』(第一作目)を見てみろ。暗闇に潜むエイリアンは決してその全貌を見せない。あれが明るい光の中に堂々と出てきたらコントだよ」というようなものがあります。また、「モンスター(幽霊)なんか怖くない。本当に怖いのは現実の人間の心だ。肉親がそのままの姿で心だけモンスターになっていくというのが一番怖いんだ」というのもあります。これらは確かにその通りだと思いますけど、そこをあえて臆面もなく全部見せちゃう、人間じゃなくてモンスター(幽霊)を出しちゃう、というところこそがシャマランの良さだったと思うんです。
前作『サイン』を観た時、多くの人がそうだったように、僕も最後の最後に姿を現すまでこいつらは実は宇宙人じゃないんじゃないか、という疑いを捨てきれませんでした。物語の内部においても、宇宙人の存在が暗黙の了解事項になっていなかったからです。先ほど挙げた『エイリアン』みたいな映画を考えてみると、物語内部でも宇宙人(というか宇宙生物)の存在は了解事項として描かれていて、そこに疑いを挟む余地は一切ありません。そこにサプライズはありません。にも関わらず、『サイン』の宇宙人の正体には皆がっかりし、『エイリアン』の宇宙生物には皆わくわくする。『エイリアン』が宇宙生物を真正面から描いていても「これは子供じみてるバカげた話だ」とは誰も言わない。これ、逆じゃないですか?
『サイン』において、物語世界の内部でも宇宙人が宇宙人として描かれていたことを理解したとき、僕はスクリーンに喝采を送っていました。その姿がどれだけ陳腐であっても、いや陳腐でまぬけであることが逆にある種のリアリティを生んでいるとさえ思いました。ちょっと想像してみてください。本物の宇宙人に会ったとしたら、自分はどんな反応をするだろうかと。多分笑うと思うんですよね。なんだ、これ、作り物みたいじゃないか、こんなもん本物のわけないじゃないか、って。(蛇足ですが、最近の映画で宇宙人を臆面もなく出しちゃって最高だったのは、・映画『ドリームキャッチャー』。これは面白かったです)
というわけで、今後のシャマラン監督がどうなっていくか非常に心配です。今回の作品みたいな、オチが現実のベクトルを向いている作品は僕はもうたくさんです。どんなに秀逸なオチがついたとしても、僕にはそれは心の底からは楽しめません。「現実だと思っていたら、実はやっぱり非現実のことを描いていた」というわくわくするような話を作り続けてもらいたいと思います。それだったら、どれだけつまらないオチであったとしても、僕は変わらずシャマランを愛し続けられるのです。82点。
予告編って大抵面白そうに見えるじゃないですか? どんなクソ映画でも。でも『スチームボーイ』の予告編は全然面白そうに見えなかったんですよね。そんな嫌な予感を払拭してくれるのを期待して観に行きました。『AKIRA』から実に16年となる大友作品。期待せずにはいられないわけですよ。
以下ネタバレを大量に含みます。これから観ようと思っている人は読まぬが吉。
大友克洋監督自身が何かのインタビューで答えていたんですけど、『AKIRA』の後に映画を作るにあたって、「舞台を19世紀のイギリスにしたい」という監督の希望は多くの人に失望をもって迎えられたそうです。誰もが『AKIRA』のような世界観をもった新作を望んでいたにも関わらず、大友監督はあえて自分の信念を貫きました。それが吉と出たとは僕には思えませんでした。面白くない。僕には全然面白く感じられませんでした。以下、いつものように箇条書き感想です。
同じ日に『ディープブルー』という海洋ドキュメンタリー映画を観たんですが、映像の凄さだけで映画というものは成り立つ、ということを教えてくれたのは『スチームボーイ』ではなく『ディープブルー』の方でした。残念。60点。
驚きの3ヶ月! こんなに間を開けたのに何事もなかったように更新されますよここは! ヴァージンシネマズ 六本木ヒルズで『キル・ビル Vol.2』を観てきました。
今回初めてプレミアスクリーン(3000円)という豪華なところで観たんですが、これがまた最高だったのでまずはプレミアスクリーンの感想から。プレミアスクリーンのチケットを持っていると、バーラウンジのようなところで待つことが出来ます。ヴァージンシネマズ 六本木ヒルズには座る場所が極端に少なく、また映画開始直前まではスクリーンがある場所に入れないため、いつもならホットドッグ片手に所在無く立ったまま映画の開始を待つのですが、ゆったりと座って時間を潰せるのが最高です。映画開始30〜40分前に余裕をもってラウンジに入ってくつろぐも良し、映画開始直前に入ってワンドリンクチケット(そう! ワンドリンクが付いてるんです。ビールやワインもあります!)を引き換えて座席までもって行くも良し、です。
座席はカップルシートという感じではないのですが、基本的に2人で入る客が多いことを想定して、席と席の間にちょっとしたテーブルのようなものが置いてあって、ここにドリンクや荷物を置くことが出来るようになっています。つまり、2人が密着して座れるようになってるわけではなく、逆に少しスペースが開いているのです。不自然な席の配置ではないので1人で観に来ても別に違和感があるというほどではありません。でも僕が行った時のカップル率は90%を超えてたように思います。
座席は左右の幅にかなりの余裕があり、少しリクライニング(!)が出来るようになっています。前後のスペースは足を伸ばしきれるほどはありませんが、身長182cmの僕がストレスを感じない程度には余裕があります。また、フットレストがついています。
シネコンではない通常の映画館では指定席(ただ単に真ん中の見やすい位置にあるだけで他と全く同等の座席)が普通に3000円するわけですから、「全席指定」「ゆったり座れる座席」「アルコールもありのワンドリンク付き」「バーラウンジの利用」「充実した音響設備」を考えると、プレミアスクリーンの3000円は全く高いと感じませんでした。インターネットチケット予約も真っ先にプレミアスクリーンから売れていくのが納得です。2日前から座席予約できるので、狙ってる映画がプレミアスクリーンで上映されるならココで観るのを自信を持ってオススメします。ついでに言っておくと、駐車場はP5を利用すると完璧です。駐車場エレベータからシネコン内部に直接行けます(六本木ヒルズはめちゃくちゃ迷いやすいのです)。
前置きが少し長くなりましたけど、以下ネタバレしまくりの映画感想。前回のVol.1の感想と同じく箇条書きで取り留めなく書きます。
前回僕は50点を付けたのだけど、Vol.2は88点くらい。面白かったです。
『マトリックスレボリューションズ』の感想です。観てない人は読まぬが吉です。思いっきりネタバレです。危険です。
一言で言えば「がっかり」なんです。それしか言いようがない。点数つけるとすれば70点くらい。1作目『マトリックス』が90点台後半、『リローデッド』が80点台と考えてこの点数です。「期待が大きすぎて、そのせいで低評価になってしまってるんじゃないか」と考えて、もう一度『マトリックス』と『リローデッド』を観直してみたんですよ。それでもやっぱり評価は変わらなかったです。映画として面白いのはどう考えても『マトリックス』。あんまり気が進みませんけど「ここ、ダメだなあ」という点を書きます。まずアクションから。
3作を通じて予算のほとんどをかけた終盤のアクションシーンなんですが、単にCGに頼ってるだけで飽きてしまいました。ドックでのセンチネルとの死闘は、25万匹のセンチネルという物量の恐怖を描くためにCGに頼る必要があったと思いますが長すぎると思いました。APU(エイリアン2で出てきたような乗り込み式のロボット)がいくら銃を乱射しても、センチネルのあの量だったら全員秒殺されるはずだと思うんですけど。あそこでジーやキッドが活躍するのも、いかにも物語を盛り上げるための御都合主義で気に入りません(音楽がこれみよがしの荘厳な感じなのも含め)。彼らこそ真っ先に惨殺されてしまった方が機械の恐ろしさがより際立つし、ショッキングな展開に「物語はこの先どうなるかわからない」という不安感を感じる事が出来たと思います。彼らが普通に活躍することで、「ああこの物語は、予定調和で終わる凡百の物語と同じなのだな」といういやな予感を感じてしまいました。『マトリックス』にあったような軽妙なかっこよさがなくなり、泥臭くてお涙頂戴の展開にうんざりでした。
スミスとネオの決戦はお互いにパワーのインフレが進みすぎてしまったために、地上での戦いだけではその凄さを表現しきれずついに空中戦にまで及ぶわけですが、ここまで来るともうCGの出来栄えとスケールの大きさを楽しむだけになってしまい、『マトリックス』がもっていた「役者自身が体を張ってやるカンフーの面白さ」は全くなくなってしまっています。結局マトリックスの中におけるネオは、第1作のラストでエージェントの動きを凌駕し、銃弾を無効化し、空を飛んだ時点でアクションとしての面白さを無くしてしまった存在だったわけで、これは『レボリューションズ』で一番面白かったアクションがトリニティーとモーフィアスがメロビンジアンに会う直前に行った「天井を駆ける敵との闘い」だったことに通じてます。力のインフレが究極まで進むと、闘わずして勝つ事が可能になり、アクションが成立しないということを感じました。
アクションそのものを抜き出すと、アイデアと見せ方で『マトリックス』、派手さと面白さで『リローデッド』が良かったように思います。
次にストーリー。『リローデッド』で大量にばらまかれた謎に、すっきりとした答えがほとんど出ていないためにイライラがつのりました。結局ネオが手をかざすだけでセンチネルを止める事が出来たのは、ネオが本物の「超能力者」になったということでOKなんでしょうか? それじゃあんまりです。超能力というものの胡散臭さを、マトリックスという仮想現実を持ち出す事によってリアルたらしめた1作目のアイデアが台無しですから。
全3作を通して観て一番思ったのは、とにかくザイオンに舞台が移ると途端に話がつまらなくなるということでした。機械対人間の闘いをそのまんま描いたのではそこらへんのB級SFと何も変わらないんです。ただ単に映像が豪華なだけで。その陳腐な話にマトリックスという魅力的な世界を用意したことが映画『マトリックス』の面白さだったのに、リローデッド、レボリューションズと話が進むにつれて現実での闘いに比重が置かれるようになってしまったのが最大の失敗だったと思うのでした。また、リローデッド以降、コンピュータと数学理論についての基本的知識(特に用語)がないと話の筋がさっぱりわからなくなるところも大きなマイナスです。
ウォシャウスキー兄弟は『マトリックス』が商業的成功を収めたあとすぐに「マトリックスは初めから3部作のつもりで作った話だ」と話していました。確かに成功したら続編を作るつもりではあったでしょう。でも、『マトリックス』完成時に果たしてこの物語全体の構想があったかどうかは非常に怪しいと思っています。
結論。僕の中ではマトリックスは第1作目で完結してます。あとの2作は別の監督と別の脚本家が作った(映像偏重の)余計な駄作だと思うことにします。
映画『キル・ビル』初日オールナイトに行って来ました。以下ネタバレを含むので注意。だらだらととりとめなく書きます。
結局、タランティーノのあまりにマニアックな趣味にさすがのタランティーノファンもついていけない、という構図だと思う。『トゥルーロマンス』や『レザボアドッグス』や『パルプフィクション』のように、中身は実は日本のB級映画なんだけど、外面はハリウッドらしいもっともらしさで繕っている映画の方が、日本人には受け入れやすいのだと思う。やはり予想通りの結果だった。『パルプフィクション』を100点、日本人が描いたインチキ日本である『鮫肌男と桃尻女』を97点とすると、『キル・ビル』は50点くらい。正直、タランティーノファン以外には全くおすすめできない。
注意。模倣犯向けに書いていたので文体がモロにあっち風なんですが、長くなってしまったので冷麺に持ってきてます。
仮に年に5〜6回ほど映画を観る自称映画好きの人がいるとして、タランティーノ監督の今までの作品も未見、人となりや趣味嗜好も全く知らないとしたら、『キル・ビル』を見たあと、まず間違いなく「噴飯モノの日本観だったよ。もうね、中国とかアジア全般が混じっちゃってんの。どうしようもないねアレは(笑い)」という反応をしてしまう。もうちょっと細かく分けると大体以下のような反応があると思う。
1-1である人たちが、2-1である人たちに対して今盛んに「タランティーノ監督はすごい日本通なので、あの日本観は全部わざとやってるんですよ」と親切に予防線を張ったり事前レクチャーを行っていて、実際にはそういう誤解をする人は少ないとは思うのだけどやはり全然いないとも思えない。こういうエクスキューズが必要な映画が最近増えた(『アダプテーション』とか)、というのは既にいろんなところで言われていて、作品に対する理解度によって否応なく映画ファンとして格付けされてしまうので、うかつに映画の感想も書けないという状況があって、あんまりよろしくないなあと思った。
ただ、こういった状況を作り出しているのは観る側の方で、作る側としては「変な日本観でしたか、そうでしたか。でも面白かったでしょ?」と割とニュートラルに考えているのかもしれない。「変な日本観」はあくまでオプションであり、わかる人だけわかって笑ってくれればいいよという事は、言い換えればそのオプションなしでも充分面白い映画を作ったという自信なのだと思いたい。そういった意味で言うと、映画『アダプテーション』はオプション抜きにはその面白さをほとんど理解できない性質だったので、結構タチが悪いというか、映画好き同士で優位を競わせる差別化装置の役割を果たしていたと思った。あとGOGO夕張は変にもほどがある。
自分自身は1-2的な反応をしそうだという予感があるので、むしろタランティーノ作品だという前提をとっぱらう事に注力してます。
『シャロウグレイブ』で華々しいデビューを飾り、『トレインスポッティング』で不動の地位を手に入れたかに見えたダニー・ボイル監督の名声は、その後ディカプリオ主演の『ザ・ビーチ』で地に落ちた……。
正直『28日後...』はあんまり期待していなかったのだけど、こりゃ驚きましたよ。まず僕がこの映画を「絶対観よう!」と心に決めたきっかけは、TVCMで流れた荒涼たるロンドンの街並みと、そこを彷徨う病院服の男、この2つのビジュアルだけでした。ぞくぞくしました。病院で目覚める。外に出るが人っ子一人いない。原因は? この世界は一体どうなってしまったんだ? もうコレ! コレしかない! っていう決定版の設定です。ジョージ・A・ロメロ監督が『ゾンビ』で描き、テリー・ギリアム監督が『12モンキーズ』で描いた黙示録です。しかし決定版だけに下手をすれば最低の駄作になってしまうという諸刃の剣。ダニー・ボイル監督はこれをどう描くんだろう? それがたとえ駄作であったとしても、僕にはそれを見届ける必要がある。こう思ったのでした。
で、結果から言うとこれがいい感じ。細かい事を言えばキリがないですけど、全体としてOK。90点以上はつけたいです。以下ネタバレ注意。
ロメロの『ゾンビ』と『死霊のえじき』をどれほど意識して作ったのかがとても気になりました。特に無人のショッピングセンターで食糧を手に入れるシーンでは「これは『ゾンビ』へのオマージュ」なんだろうか。というかリメイク?」という考えがちらついて映画に集中できないほどでした。全編に渡って設定が酷似しています。ちょっとした映画好きなら誰でも知ってると思いますが、ロメロのゾンビ映画は3部作になっていて、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド(Night Of The Living Dead)』、『ゾンビ(Dawn Of The Dead)』『死霊のえじき(Day Of The Dead)』と繰り返し同じ設定で黙示録後の世界を描いてるんですね(邦題ではわからないけど英題だと死者の夜、夜明け、日(昼)になっている)。もうぶっちゃけ設定丸借りして、『ゾンビ』の第4作として(Dusk of The Deadとかで)撮ったほうが良かったんじゃないかと思うくらいです。でもそれをしないで「ゾンビ」を「感染者」としたのはどういう意図があったのだろうと思うわけですよ。
考えられるのは「少しでも現実にありそうな話にしたかった」、「感染者が死滅した後の世界も描きたかった(ゾンビだと不死なのでこれは出来ない)」、「殺人という罪をより重く主人公に背負わせたかった」あたりなんですけど、パンフレットに載っている脚本家アレックス・ガーランド(『ザ・ビーチ』の原作者でもある)の言葉を読んでちょっとしたショックを受けました。何も考えていなかったようなのです。
『28日後...』はオリジナル脚本の作品で、原作は特にない。ただ、いろいろな作品に影響を受け、引用もしているので「オリジナル」という言葉を使うのは、私としてはどこか抵抗がある。
登場人物たちがスーパーマーケットの食料を略奪することでその食欲を満たそうとする場面に『ゾンビ』を重ねる人もいるだろう。それに、鎖に繋がれたメイラーという感染者は『死霊のえじき』のバブにも通じる設定だ。こうした引用は実は無意識のうちに行われたものだ。つまり脚本を書いた後に、他の作品から切り取られたり借りたりしたことに私自身も気付いたのだ。
脚本家自身も認めてしまっているように、これはオリジナル作品というよりはゾンビトリロジーの現代的無意識的リメイクと考えてしまっていいようです。アレックス・ガーランドは1970年生まれ。好きな漫画は『AKIRA』。僕と1歳違いのこの脚本家は僕と同じようにゾンビトリロジーに衝撃を受けた世代に間違いありません。黙示録後の世界を描くに当たって、自分の中で熟成されたゾンビトリロジーが「凶暴性を増すウィルス」と形を変えて湧き上がってきたのだと思います。。もちろん他にもたくさん別の作品からの引用が見られるんですが、それらに関してはアレックス・ガーランドは意識的におこなった
と言っています。
本当はこんな観方ではなく、ゾンビトリロジーでも繰り返し追求されていた「(モンスターよりも正気の)人間の凶暴性残虐性が一番怖い」というテーマ(?)を真正面から受け止めるのがいいと思うんですけど。
それともうひとつ。僕を虜にした「無人のロンドン」というイメージは、SF小説の古典『トリフィド時代』(ジョン・ウィンダム 創元SF文庫)からの引用だそうです。未読。これは読まねば。
まだ本公開前なんですがいっちゃいます。後半ネタバレ多数なので注意。
『ターミネーター』が1984年、『ターミネーター2』が1991年。実に19年に渡る人気シリーズなわけですが、いくらなんでも間空けすぎって話ですね。『2』で終わらせるべき話だったんでしょうけど、確実にある程度のヒットが見込める映画ということで、僕らファンが黙っていても製作会社が黙っていないということだったんだと思います。不幸。不幸な続編ですよこれは。文句の付け所があまりに多すぎて、どこから手をつけたらいいのか悩むほどです。アクションの凄さを最大限に買って、50点。
ジョナサン・モストウ監督の言葉
そこで脚本を読むことにしたんだが、これが思いのほか上手く書けている。しかし、自分が作りたい映画とはいえない。で、そこからいろいろ考え始めたんだ。その後、プロデューサーたちに会いに行き、自分のアイデアを話した。それを一言で言えば、シリーズの大ファンとして自分が見たい『ターミネーター』、それを提案したんだ。監督が続編を作るとき陥りやすい誘惑は、前作を多少みくびってしまうというものだと思うが、僕はそれとはまったく反対のアプローチをしたことになる。
シリーズとして価値あるものにしたかった。
ド素人の僕が見てもあの脚本は大失敗だったと思います。もしも本当に監督の初見で面白かったんだとしたら、よくぞここまで台無しにしてくれたなという感じです。これが貴方の「作りたい映画」なんですかと言いたい。物語の盛り上げ方とか、細かいドラマの積み重ねとか、伏線とか、そういうセオリー的なものが完全に無視されちゃってるんですよね。いきなり初っ端に最大のヤマ場を持ってきて、そこからだんだんと盛り下がっていって、ラストにグダグダになるという最悪のパターンでした。そこらへんは『2』と比較すれば一目瞭然です。加えて言えば、『2』はそれ単体として十分面白い映画でしたが、『3』は『1』と『2』の両方を見ていないと何が何だかさっぱりわかりません。と言うか、全部見ていてもさらに『4』がないとわけがわからないと言った感じです。
良かったのは「迫力満点のカーチェイス&格闘シーン」と「T-Xの美しさ」だけでした。
以降、ネタバレ注意!!
思いついたダメポイントを片っ端から箇条書き。
『2』が良すぎただけに残念。キャメロンが監督・脚本やってたら面白かったと思います。絶対。

僕が『マトリックス』(1作目)を観た時に一番面白いと感じて興奮したのは、かの有名なマシンガン撮影をはじめとするアクションシーンではなくて、子供がスプーンを曲げるシーンと猫のデ・ジャヴのシーン、次いで人間プラントの全体描写だった。
マトリックスという仮想現実の世界は既に他の映画や小説で出尽くしていた感があり、さほど目新しいものではなかった。大抵は主人公が現実と仮想現実を行き交ううちにどちらが本当の現実なのか区別がつかなくなり、観客もまた同じような不安感を抱く、というような手法を使っていた。主人公の視点からするとその仮想現実はとてつもなく広大ではあるが、観客の僕らにしてみればそれは実に小さくて、例えば頭に被る機械だったり、棺桶状のカプセルみたいなもので表現できる類のものだった。つまりその機械さえぶっ壊せば消えてしまう程度の小ささだ。

それに対して『マトリックス』の仮想現実は圧倒的にスケールがデカい。というよりも、今僕らが生きているこの現実こそが仮想現実であり、「本当の現実(?)」はこの外側に同じ大きさで存在しており、尚且つこの仮想現実に生きている人々は主人公以外全部作り物というわけではなくて、全員がそれぞれ外側の世界に本体を持つリアルな人間である、という視点が凄かったというべきかもしれない。こういう世界観の物語は『マトリックス』以前にも存在していたが、これだけ大規模な仮想現実を『マトリックス』以上にスマートに表現していたものは無かったように思う。
このスマートさを最も感じたのが先に挙げた「子供がスプーンを曲げるシーン」と「猫のデ・ジャヴのシーン」だ。超能力という、僕らが暮らすこの現実にありそうでなさそうな不思議現象と、既視感という、確かにあるんだけどなんだか説明のつけづらい不思議な現象の2つに、見事に合理的な説明を与えている事に感動したのである。なるほど、僕らが暮らすこの世界が実は仮想現実であるならば、この2つの現象は何の不思議もない。仮想であることに気付いた人はネオ達レジスタンスのように万能の超能力者たりえるし、プログラムのちょっとしたバグはデ・ジャヴという現象を伴って仮想現実に現れる。

このような、嘘の世界をもっともらしく見せる説明や道具立てはSFの世界に必須の条件で、僕が映画を見る際に一番気にかけるところでもある。以前雑文のコンテンツで『機動戦士ガンダム』のSF的道具立てについてちょっと書いたことがある。ガンダムの世界ではモビルスーツという人間型ロボットが登場するのだが、宇宙戦争するのに人間型ロボットは必要ない。惑星の基地から直接ミサイルをドンパチぶっ放したり、戦闘機を飛ばして闘えばいいだけの話だ。なぜ人間型ロボットである必要があるのか? 大人の事情を話せば「人間型ロボットじゃないとおもちゃの売上にひびくから」なんだが、ガンダムではこれにミノフスキー粒子というアクロバティックな設定を持ち込んでリアルを演出した。ミノフスキー粒子というのはレーダーを無効化する物質で、これがあるためにミサイルなどは遠距離の目標に正確に当てる事が出来ない。故に工作活動や白兵戦が重要となり、人間型ロボットはこの2つを同時にこなすことができる唯一の強力な兵器たりえたのである。見事。もちろんミノフスキー粒子というものは現実には存在しない。しかし物語世界をリアルにする道具立てとしては十分すぎるほどその役目を果たしているわけである。
翻って『マトリックス』では、マトリックスという仮想現実をリアルたらしめる道具立てとして、超能力やデ・ジャヴを持ってきた。これは斬新な発想だ。普通は超能力をリアルっぽく見せるために別の道具立てを用意する。マトリックスにおいては超能力と仮想現実という道具立てが相互にリアルっぽさを補完しあっているのである。

そして現実世界に広がる圧倒的な人間プラントの存在感。機械の動力として人間が培養され、死体すらも新たな人体の培養液となる永久機関という道具立て。これによって『マトリックス』は「仮想現実と現実という物語」をリアルっぽい世界として構築しているのだ。僕が打ちのめされたのはこの完全なる世界観である。残念ながら『マトリックスリローデッド』ではこの手の新鮮な驚きはなかった。マトリックス3部作は第1作目で世界の全てを見せてしまっているのだからこれは致し方ない事だ。ウォシャウスキー兄弟が真に天才なら、3作目でさらに観客を裏切る新たな世界観を構築して見せるに違いない。僕はそれを期待している。
マトリックスの世界を補完する『アニマトリックス』(6/3発売)で一番面白かったのは第7話『ビヨンド』だった。この作品がクローズアップしているのは、正に超能力やデ・ジャヴのような、僕らが暮らすこの世界にもあるちょっと不思議な事のマトリックス的解釈だったからだ。『アニマトリックス』全9話のうち、4つはウォシャウスキー兄弟による脚本、残りはコラボレーションをもちかけられた各監督による作である。僕は『ビヨンド』の監督・脚本が日本人、森本晃司であったことを誇りに思う。これはちょうど『AKIRA』を観た時の喜び、これが日本人の手によって作られたということへの誇らしさに似ている。
誉めるのは大好きだけど、くさすのは正直気が重い。でも糞をつかまされて金を無駄にする人が増えてもアレなので敢えて言う。『CUBE2』(以下『2』)は糞以外の何物でもない。リアル糞。糞は『2』の必要条件。『2』は糞の十分条件。
とにかく最初から最後まで整合性ナシ論理性ナシの無茶苦茶な話になってる。あれー? 『CUBE』(以下『1』)もこんなひどい映画だったっけー? と思って観直してみたが、いやいや、『1』は素晴らしいよ。ひどいのは『2』だけ。『1』の物語としてのいいところを全て取り去って、ただ単に箱型迷宮という舞台装置だけをもってきた糞が『2』だ。一応『1』が三次元、『2』は四次元の世界を表現した! というような説明がされてるが、はっきりいって全く1ミリたりとも表現出来てない。むしろ時間の流れが無茶苦茶になった分、お話が破綻しきっている。書いててイライラしてくるので『1』のいいところを箇条書きしてみよう。この正反対が『2』だと思えば概ねあってる。
これだけの傑作をよくぞここまで冒涜したな、という感じ。0点。観なくてよし。『1』をDVDでもう一度観るべき。
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