冷麺セレクト | 懐古回顧録

2000年03月13日

#00 懐古回顧録

1970年代の終わり。校内暴力の嵐が吹き荒れていた頃、ゲームセンターは僕の世界の全てでした。今でも鮮明に思い出すことのできる、たくさんのゲームたちの画面の向こうに見える風景を書き記したいと思います。

2000年03月14日

#01 インベーダーゲームとの出会い

アーケードゲームとの出会いは20年はさかのぼるだろうか? リメイクものも出ているので知らない人はいないだろう。インベーダーゲームだ。正確にはタイトーの『スペースインベーダー』と言うべきなのだろうが、僕の世代にとってはインベーダーゲームに他ならない。

インベーダーが出現するまで、僕の住む街にゲームセンターという娯楽場は存在しなかった。アーケードゲームはデパートの屋上や、ボーリング場の片隅にそっと置かれていた日陰の存在だった。それがインベーダーの出現によってガラリと様相が変わった。驚異的なスピードで街のあちこちに掘っ立て小屋のようなゲームセンターが現れる様は、その名のとおりインベーダー(侵略者)だった。しかも今となっては信じられないことに、ゲームセンターに置いてあるゲーム機は全てインベーダーゲームだった。

タイトーの製造ラインはこの事態に全くおいつけず、多くの海賊版メーカーの出現を許すことになった。キャラクターのデザインをほんの少し変えただけの海賊版は、本家を駆逐する勢いでゲームセンターを埋め尽くしていった。

それまでのアーケードゲームは棒状のバーで玉を打ち返す『テニス』や『ブロックくずし』がせいぜいで、インベーダーの持つ高度なゲーム性は「画期的」の一語に尽きた。街のゲームセンターは、昼間はヒマを持て余す外回りの営業マン、夜は種々雑多な人種が押し寄せ、ついにはTVなどのマスメディアもこれをとりあげるなど、その過熱ぶりは凄まじいものがあった。

しかし悲しいかな、当時の僕の小遣いは1日100円(!)。ワンゲームで「ハイおわり」だったのだ。それでもその100円を握り締め、ひがな1日上級者のテクニックを食い入るように見つめ、渾身のワンゲームをプレイするという毎日が続いた。

上級者のプレイを目でトレースし記憶に焼き付ける。家に帰っても頭からインベーダーが離れない。練習しているという自覚なしに常にイメージトレーニングをしていた。頭にあることは「1秒でも長くプレイしたい」 そのときの僕は、正にインベーダーに恋していたのだ。燃えるように熱い恋だった。

一番の問題はやはり金だった。金がないことにはとにかくプレイできない。子供心に、新聞をにぎわす「遊ぶ金欲しさに……」という三面記事は僕みたいなヤツが引き起こすんだろうな、と思っていた。そのうちに金自体が目的になるだろうということも予想できた。僕は自戒した。「目的はゲームだ。金じゃない」その後、手を染めるようになった犯罪(と言えるほど大したものではないが……)は、この妙なルールに則って行われるようになった。要するにただでゲームが出来さえすれば僕に金は必要なかったのだ。

『ゲームセンターあらし』という漫画(すがやみつる作)が流行り始めた頃、この「女の子」の攻略はあらかた終わっていた。名古屋撃ちという、プログラムのバグを利用するテクニックで半永久的なプレイが可能になったのだ。必要とされる資質はある程度の反射神経と記憶力、正確な操作を行う指先の運動能力だけだった。ハードルは低かった。それさえマスターしてしまえば、あとは単なる作業といえるほど究極的な攻略法だった。僕の彼女への想いは急速にしぼんでいった。惰性でプレイする日々が続く。麻薬のように習慣化してしまい、やめられないのだ。世間のインベーダー熱が冷めていっても、取り残されたようにゲームセンターにしがみついている僕のような人種は結構な数に昇っていたと思う。いつしか顔見知りになり、どちらからともなく話し掛けるようになっていった。

最初のゲーセン友達だった。名も知らぬ彼らとの長い付き合いが始まった。

1970年代の終わり。校内暴力が激烈だった頃の話である。

つづく……

2000年03月15日

#02 バット

インベーダーの熱が冷め切った頃、黎明期のゲームメーカーは2匹目のドジョウを狙って次々と新たなゲームを市場に送り込んでいった。僕はせっせと新製品を攻略していった。ゲーセンにたむろする子供たちの考えていることは2つ。いかにうまくなって皆をうならせるか。いかにして金を使わずにゲームをするか。アラの目立つ駄菓子屋の筐体は僕らの格好の的だった。ありとあらゆる手段を使ってタダでゲームをする。金を使わずにゲームをすることが、もうひとつのゲームだったのだ。

コイン投入口に100円玉もしくは50円玉を入れる。吸い込まれたコインは中にある針金のような部品を押し、下の鍵のかかった箱に落ちる。この針金の動作でクレジットがあがる仕組みだった。この針金をいかに動かすか。タダゲームの焦点はこれだった。コイン返却口から逆に勢いよくコインを送り込んだり、極細の釣り糸を50円玉に結び付けてコインが落ちないようにしたり……。圧巻だったのは、下の鍵のかかった箱を内側に蹴り落とし、開いた隙間から鉄製の定規を差し込んで針金を操作する方法だった。さすがにこの箱を取り出して中に入っている金を盗むことは不可能だったが、ゲーセンにたむろする子供の多くは金なぞ欲しがっていなかった。100円ライターの電気ショックで誤作動を起こさせ、クレジットをあげる方法もあった。しかしこれはすぐにメーカーに対策をとられて廃れていった。新たな方法が編み出されるとまた新たな対策がとられる。いつまでも終わらないイタチゴッコだ。これっぽっちの罪の意識もなく、僕らは日々、タダゲームの方法を考えつづけていた。

パックマンの永久パターンを習得した頃だったろうか、僕は小学校を卒業した。自主的に学習塾に入り、中学校の前準備をした。地元の中学は区内でも最も校則が厳しいことで有名なのに、それに比例するように校内暴力も激しいといういびつなところだった。他校との喧嘩や卒業生による窓ガラスの破壊などは日常茶飯事だ。荒れ果てた学校に興味はまるでなかったが、教師や親との無用のトラブルを避けるために成績はできるだけ落とさないようにして、残るエネルギーのありったけを使ってゲームにのめりこんでいった。荒れ果てているという点ではゲーセンも同じだったのだが……。

この当時、風俗営業法(俗に言う風営法)はまだ施行前で、ゲーセンは24時間営業が当たり前だった。ヤクザが片手間に営業しているところも多く、従業員の労働条件は劣悪を極めた。そのためか、この頃のゲーセンの店員はどこか薬物中毒を思わせるような濁った目をしたものが多くいたように記憶している。駅前で最もアングラな雰囲気を漂わせていた「サン」の店員はゲーム好きが高じて店員になったクチではなく、働き口がなくて仕方なくやっているという風なイカレたにいちゃんだった。仕事自体は筐体の簡単なメンテと両替くらいの楽なものなのだが、とにかく就業時間が長すぎて始終イライラしている。睡眠不足で荒れた肌は老人のそれを思わせた。深夜は常連のガキどもに仕事を任せて仮眠をとり、日中は充血した目で何かの本を読んでいる。大音響と薄暗い照明の店内は、読書には最悪の環境に思えたが彼には関係ないらしい。

僕はそこそこ彼といい関係を結んでいたように思うが、一度血の気の引く思いをしたことがある。高校生くらいの少し虚勢をはったタイプの客が両替に来たときの話だ。ゲームに熱中していた僕は彼らのやりとりをちゃんと見ていたわけではなかったが、段々険悪な雰囲気を漂わせていくのが肌で感じとれた。ゲームに向かっていた意識が自然と彼らの方に向く。少し不自然な間があいたあと、おもむろに彼は高校生をバットで横殴りにした。右手で腹を押さえ、左手でいやいやをするように防御しながら、高校生はその場にうずくまり、吐いた。その鼻面あたりに今度はつま先で蹴りを入れる。高校生は「がふっ」とか声にならない声をあげてあとずさった。

「出て行け。ニ度と来るな」

よろよろしながら出て行く高校生を見ながら僕は息を飲んだ。興奮した彼が僕に、成り行きをまくしたてる。どうやら高校生が、両替で5千円札を差し出したまま無言でいることに腹が立ったらしい。「両替してくださいの一言も言えないのか!」などと怒鳴り散らしている。いきなりバットで殴ったことにも驚いたが、そんな凶器をカウンターの陰に隠していた事実の方が衝撃だった。「こいつを怒らせちゃいけない……」と、僕は心に刻み込んだ。こんなイカレた店員とそれを上回るイカレた客が集う場所、そこが僕の居場所だった。

つづく……

2000年03月16日

#03 シゲルとオオバ

ロクでもないやつの吹き溜まり。それ以外形容のできない場所に僕はいた。自分を棚に上げているように聞こえるかもしれないが、とにかく四六時中ゲーセンにたむろしていて、「こいつはいったいいつ家に帰っているんだ? 」と心配になってしまうくらいのゲームジャンキーがごろごろしていた。そんな中でも群を抜いていたのがシゲルと呼ばれる男だった。

こいつは僕の2つか3つ下だったから、当時は小学校の高学年だったはずだ。身長は150cm程度の見るからにガキそのもの。人なつっこくて話好きで、誰とでもすぐ仲良くなることができる、ゲーセンでは珍しいタイプのキャラクターだった。僕は当時、平日は夕方から深夜2時、3時まで、週末ともなると朝までゲーセンに居座ることが多かったのだが、シゲルと会わない日は1日としてなかった。恐らくヤツは着替えるときくらいしか家に帰っていなかっただろう。僕もよく学校をサボって朝からゲーセンにくりだすことがあったが、そんなときでもシゲルがそこにいなかったということは1度もない。他人事ながら「こいつは一体この先どんな人生を送るんだろうか」と思わずにいられなかった。

荒っぽいカツアゲが日常茶飯事のゲーセンで、こんなチビッコがよく生きていけたもんだと思われるかもしれない。だが事実は逆だ。カツアゲするのはシゲルの方なのだ。これだけゲーセンに常駐していると顔が売れる。人脈もできる。ヤツは区内でも最も武闘派として知られる青葉中学のオオバという巨漢と行動をともにして、常に示威行為を行っていた。シゲルに何かあれば青葉の連中が黙ってはいない。周りの者は勝手にそう思う。かくしてシゲルは不可触の存在としてゲーセンに君臨していた。気弱そうなヤツはたとえ高校生でもシゲルの餌食になっていたのだから凄いものだ。

僕はシゲルの先輩にあたるが、ヤツにとってはそんなものは一切関係ない。そもそも学校という枠組みが頭にないのだった。ヤツとトラブルを起こした後で、僕も一度的にされたことがあった。青葉のオオバのおでましだ。

「寺山、ちょっと顔かしてくれっか? 」
「ん? なんか用? 」

ゲーセンの横は格好のカツアゲ場所だ。ビルとビルの間の狭いところにビール瓶などが積み上げられている、いかにもな場所。酔っ払いの反吐と猫の小便の臭い。そこの奥に表通りから見えないように押し込まれた。オオバの後ろには青葉の手下が2人、さらにその後ろにシゲルがいた。

「俺ら金ねーんだわ」
「ふ〜ん。で?」
「で、だぁ? おまえナメた口聞いてると後悔すんぞ? 」

視線に怯えの色が出たらおしまいだ。精一杯の虚勢をはらなければ、この先ずっと的にされつづける。手下とのタイマンなら或いは勝てるかもしれないが、オオバだけは別格だった。中学生で身長180、体重90オーバーの巨漢だ。たとえこちらが武器をもっていてもこいつに勝てる見込みは全くなかった。恐怖で足が震えそうになるのを、視線に力を込める事ではねかえす。

「俺からカツアゲしようっての? 」
「貸せって言ってんだよ。おまえが金もってんのは知ってんだ。さっさと出せコラ」

これ以上オオバを刺激するのは危険すぎると思った。屈辱に涙が出そうになるがここは仕方ない。なけなしの5千円を手渡す。シゲルの勝ち誇った顔を横目で見ながら。

後日、オオバが1人でゲームをしているところに近づいた。手下を連れていないオオバは案外おとなしい。くつろいでいるのが雰囲気でわかった。それでも恐怖が薄れることはなかったが……。

「オオバ、今日俺金ないんだわ。この前の金返してくれよ」
「なんだとコラ? ……てめーバカなのか賢いのかさっぱりわかんねー野郎だな」

屈託のない笑顔を浮かべて手を差し出してみた。

「借りた金は返しとけよ」
「うるせー。てめー誰に向かって口聞いてんのかわかってんのか? ヒガシダの尻尾が調子こいてんじゃねーぞ」
「ヒガシダは関係ないよ。金、金」
「……。うるせー野郎だな……。金ならシゲルから取れ。俺は今日おまえかまってる気分じゃねーんだ」

安堵で思わず息がもれる。ヒガシダというのは僕の中学をしめてるヤツだ。さすがのオオバも一目おく、強者だった。ヒガシダの名前を出した時点で、僕に手を出しづらいということを自らさらしたも同然だ。しかもシゲルと僕のトラブルには干渉しないというお墨付き。僕はシゲルから1万まきあげて事を収めた。オオバとの微妙な緊張関係はその後も続いたが、喧嘩になるようなことはなかった。もっとも、なりそうになったらすぐ逃げていただろうが……。

つづく……

2000年03月17日

#04 消えたシゲル

ゲーセンに常駐する者は2つの人種にわけることができた。とにかくゲームが好きで、ストイックにテクニックを磨くゲーマーと呼ばれる者たち。学校からドロップアウトして行き場を失っている荒れたガキたち。そしてその両方に属している者もいる。僕やシゲルは両方に足をつっこんでいたクチだ。ただし僕は相当ゲーマー寄りで、シゲルは荒れたガキ寄りだったが。

不思議なもので、ゲームがべらぼうにうまいヤツはたとえナリがオタクでも(当時オタクなんて言葉はあまり使われていなかったが)荒れたガキの的にされることは殆どなかった。ある種の尊敬の念をもたれていたのだ。どちらの人種でも中途半端な位置にいるもの、つまり喧嘩が弱いのにイキがっている人脈のないガキ、ゲームが下手で尚且つオタクなヤツ、こういうやつらは常に身の危険にさらされていた。僕は顔が売れていたこと、一見喧嘩が強そうに見えること、ゲームの腕がそこそこだったことによってめったなことでは危ない目に遭うことはなくなっていった。たまに、遠い街からわざわざ喧嘩を売るためだけに来たようなヤツとトラブルを起こすことはあったが、そんなときは地元の荒っぽい連中が放っておいても加勢にくる。外から見れば危険で殺伐としているように思えるゲーセンも、居ついてしまえばぬるま湯に浸っているような安心感があるのだ。それはただ単に感覚が麻痺しているだけのことなのだが……。

シゲルはあの事件以来、僕との距離をちぢめていた。ヤツは自分に危害を及ぼす可能性のある者には積極的に近づいていってパイプを作る。いろいろな情報や、金をエサにして懐柔するのがシゲルのゲーセンでの処世術なのだ。実際シゲルは驚くほど金を持っていた。多くはオオバとともにやっていたカツアゲによるものなのだろうが、それだけではどう考えても足りない。聞いてみると、ヤツは盗みもなりわいにしていたのだった。客の注文を受けて、ディスカウントショップなどで家電製品などをパクり、売りさばく。手口は実に巧妙でめったに捕まることがない。たとえ捕まっても見るからに小学生然とした外見と、人懐っこそうな表情、うそ泣きの演技で見逃してもらうのだ。そして捕まった店には2度と近寄らない。シゲルが警察に突き出されたという話は1度も聞いたことがなかった。

「俺に盗んでくれって言ってるみたいなチョロい店が3軒あるんだ。なんか欲しいものあったらいつでも言ってよ。金はいいから」

借りを作れば後々面倒なことに巻き込まれる。僕はシゲルに仕事を依頼することはなかった。そのかわりヤツと屈託なくゲームを楽しむ時間は確実に増えた。『ハイパーオリンピック』というコナミのゲームが僕らのお気に入りだった。単純な操作性で、2人で競争ができるところがウケて大ヒットを飛ばしたゲームだ。僕らは指の皮や爪がぼろぼろになるまでハイパーオリンピックをともにやりこんだ。大工が使うような鉄製の定規を使うと、いとも簡単に好記録が出せるのだがシゲルはあくまで「ピアノ打ち」と呼ばれる指先だけを使うテクニックにこだわった。並み居る定規使いたちも、シゲルのピアノ打ちにかなうものはいなかった。僕はハイパーオリンピックをプレイするシゲルを心底尊敬していたように思う。

シゲルのプレイはどんなゲームにおいても独特の美学をもっていた。「魅せるプレイ」というヤツだ。人が編み出したパターン攻略は使わない。わざわざ難しいテクニックを使い、安易に好結果に結びつく攻略法を嫌う。任天堂の『パンチアウト』というボクシングゲームでも、ヤツは後ろにギャラリーの山ができるほどの素晴らしいパターンをいくつも編み出した。シゲルと行動をともにすることが多くなっていた僕は、ギャラリーの喝采を自分のことのように嬉しく思ったものだ。

シゲルは駅前のもっとも危険なゲーセン「サン」の店員(僕は事件以来、心の中で「バット」と呼んでいた)とも仲がよかった。バットが仮眠をとるときはシゲルがゲーム機や両替機の鍵を預かって業務を代行するようになっていた。もちろん無給だ。シゲルが鍵を持っているときは僕らはゲームがやり放題になる。バットも公認のタダゲーム。ただし深夜なので僕は泣く泣く家路につかなければならないことが多かった。嬉々としてゲームを続けるシゲルを尻目に。




ある日を境にシゲルの姿がゲーセンから消えた。あれほど毎日狂ったようにゲームに興じていたシゲルがどこにもいない。僕は地元のゲーセンをフラフラとさまよって、半ば無意識にシゲルの姿を探した。がしかし、年下の尊敬すべきゲーマー、狡賢くもどこか憎めない無法のアウトサイダーは2度と僕の目の前に現れることはなかった。

オオバに後日聞かされたところによれば、シゲルはサンの売上をパクっていたのがみつかって、バットに大怪我を負わされたそうだ。シゲルが消えてから数日後、バットも店を辞めていた。2人がその後どうなったのかは知る由もない……。僕の心には少しだが穴があいた。

つづく……

2000年03月18日

#05 ドルアーガの塔

面白いゲームがなかなか現れなかった。それでも気がつくとゲーセンに足が向いている。単なる習慣と化したゲーセン通いは、「こんなことしてていいんだろうか」という漠とした不安感を募らせる。シゲルが消えてからの僕は、まわりから見たらどういう風に見えていただろう。ゲーセンの住人は他人の様子などいちいち気にしていないというのが実際のところだが、学校で薄ら寒い会話を交わす同級生には、きっと死人みたいに見えていたことだろう。

夕暮れから夜8時くらいまでの食事時はさすがにゲーセンも人がまばらになる。そんなときは店に流れる有線が頭にこびりついて離れない。ロクに食事もとらずにゲーセンに居座っていた僕は(実際この頃の僕は1日1食とか2食が多かった)、この時代の流行曲だけが頭に残っている。駅前の「サン」から足が遠のき、ガキが少ない「クラウン」でゲームをやるようになっていたので、余計に孤独感のようなものを感じ始めていた。布団に入って眠れないときにゲームのことを考えながら、「あ、今日は誰とも会話してないかも……」と思う日が何度かあった。よくない兆候だった。段々自分が腐っていくような気がした。

そんなある日、顔見知りのゲーセン仲間を避けるようにクラウンに居座っていた僕の前に、心奪う新製品が現れた。主人公が剣を持って敵と闘っている画面に目が吸い寄せられる。ワンゲーム100円で、タダゲームがほとんど通用しない高級店のクラウンではなかなか手が出しづらかったため、僕は1日他人のプレイを見てすごした。インベーダー以来の興奮が沸き起こる。僕の頭の中はその新製品、『ドルアーガの塔』というゲームで一杯になった。

ナムコが出したこのゲームは、あらゆる意味で異色だった。全60面のダンジョンを攻略していくのだが、各面には必ず宝箱がひとつ出現し、この中身を取らないとまともに先に進めない。そして宝箱を出現させるには複雑な操作を行わなければならず、その操作は自分で発見しなければならないのだ。これは狂気の沙汰だった。「画面の両端にタッチする」だの、「7面で取った宝を破壊する」だの、「鍵を取らずに出口を通過する」だの、およそ考えも及ばない方法が60個も待ち受けており、運良く宝箱を出現させたとしてもどの操作が出現させたのかまるでわからない。そのうえ宝の効果自体も自分で発見しなければならないのだ。家庭用ゲーム機なら無限にコンティニューが出来るからこんなもの造作もないが、これはアーケードゲームなのだ。ワンゲーム100円で宝の出現方法を探るのには一体いくらの金をつぎ込めばよいのか、想像するだけで気が遠くなりそうだった。が、僕も含めて多くのコアなゲーマーたちは見事にこのゲームにハマったのだった。

翌日から僕は、全財産をつぎ込んでこのゲームの攻略をはじめた。はじめの1万円では7面までの攻略しかできなかった。8面、9面、10面と先には進めるのだが、宝を取らずに進めても必ず壁にぶち当たる。さらに先に進むためにはなんとしても各面全ての宝の出現方法を見つけ出さなければならなかった。金はすぐに底をつき僕は気も狂わんばかりに身もだえした。しばらくやっていなかったタダゲームの方法を考えるしかなかった。

サンでの公認タダゲームのときに、僕は始めてゲーム筐体の中身というものを見た。筐体の鍵をあけ、テーブル部分を上に開くと右側に赤いボタンがある。ここを押すと硬貨を入れたのと同じようにクレジットがあがる仕組みだ。また、ディップスイッチと呼ばれる小さな突起が何個か並んでいて、これをマニュアルに従って操作すると、何万点で1UPするとか、主人公の初期人数とかを設定できるようになっている。僕とシゲルは店員に内緒でディップスイッチをいじって、ゲームの難易度を勝手に簡単にして、次回金を払ってゲームをするときに長時間遊べるようにしておいたりした。そのときの知識が役に立つときが来たのだ。しかしそれには必要なものがある。

『ドルアーガの塔』の宝箱を開けるために、現実の筐体を開ける鍵がどうしても必要だった。

つづく……

2000年03月19日

#06 魔法の鍵

客の入りがめっきり減ったサンに代わって、地元で最も賑わいを見せていたのが「ポパイ」だった。1ゲーム50円と安かったのと、筐体管理がずさんなためタダゲームを狙うガキどもが大挙して押し寄せていたからだ。その分暴力沙汰も多く、サンとは違った意味で危険な場所だった。たむろする連中のほとんどは見知った顔だったが、あまり言葉を交わしたことはない。僕は1人の男に目をつけた。

「隊長」と呼ばれているその男は、見るからにオタクっぽい、めがねのやせっぽちだった。しかしゲームの腕は折り紙つきで、僕と同じく『ドルアーガの塔』に並々ならぬ闘志を燃やしている。そして僕と同じように金策に困っていた。「こいつを相棒にしよう」 即決だった。

ポパイの従業員は2交代制。昼間は耄碌したじじいで、夕方からは大学生らしき男が働いている。大学生は仕事熱心で、サボっているところを見たことがない。狙うなら昼間しかなかった。このじじいは本当に耄碌していて動きが信じられないほどのろい。風貌と動きから、ガキどもは「カメ」と呼んでいた。シゲルがカメから財布をパクったときは傑作だった。テーブル筐体の雑巾がけをしているカメのケツポケットを、カッターで気付かれないように切り裂いてパクったのだ。カメの財布には千円札が2枚しか入っていなかった。シゲルは口の端をゆがめながら自分の財布から千円を取り出して、皆に見えるようにカメの財布に入れてやった。そしてゲラゲラ笑いながら

「じじい 財布落ちてたぞ! 」

と言って財布を返してやったのだった。カメはニコニコしながら「ありがとう」と言った。僕らはおかしくておかしくて、その日は1日中笑いっぱなしだった。カメは家に帰って、破れたケツポケットに首をひねったに違いない。

筐体を開ける鍵のありかは知っている。耄碌したカメがその鍵を重要視していないことも知っている。硬貨が落ちる箱の鍵は厳重な管理がしてあったが(売上金の金庫みたいなものだから当然だ)、筐体のメンテナンスなどできないカメにとって、もう一方の鍵は無用の長物なのだ。僕と隊長は3日ほどかけてカメの行動パターンを研究した。カメは午後2時になると決まって食事を買いに駅前のコンビニに出かける。この時間はせいぜい5分程度だったが、僕らにとっては十分すぎるほどだった。あとはチクリを入れるやつがいなければ完璧だ。僕らはポパイのおもだった面々に顔を売って、めったなことではチクれないような雰囲気作りにつとめた。そして、準備が万端に整ったある日、まんまと筐体を開ける鍵、ドルアーガの宝箱を開けるための魔法の鍵を手に入れたのだった。

左右2個のシリンダー錠に鍵を差し込んだままでなければ筐体は開かない。ゆえに鍵は2個必要なのだが、僕らはカメや大学生に怪しまれないように、あえて1個しか鍵をパクらなかった。理論上はこれでは筐体は開かない。がしかし、シリンダー錠の突起を削り落とせば、鍵は引き抜いて左右ともに開けることができるのだった。この点に気付いたのは隊長だった。大学生はすぐに鍵が1つなくなっていることに気付いたようだったが、1個だけでは用をなさないことを知っていたため、深く追求もせず、経営者にも報告しなかった。僕らはささやかな完全犯罪をなしとげ、勝利に酔いしれた。

翌日から、狂ったように『ドルアーガの塔』の攻略を始めた。朝イチにポパイに行ってカメの目を盗んで筐体を開く。回りを知り合いで固めて、気付かれないように赤いボタンを押しまくりクレジットを99まであげる。そしてテーブルの上に見せ金の50円玉を山ほど積んで1日中プレイしまくった。この鍵は本当に魔法の鍵で、店内のほとんどの筐体を開くことができた。隊長と2人で見知らぬ街のゲーセンでも試してみたのだが、大体6割くらいの確率で筐体を開くことができる。ゲーム業界のずさんさを目の当たりにする思いだった。僕らはチクリをいれられないようにするため、しっかり他のゲームのクレジットもあげて、知り合い連中にタダゲームをやらせてやった。僕らは地元のゲーセンのヒーローになった。ゲーム以外頭にない、イカレたヒーローだった。

つづく……

2000年03月20日

#07 遠征

金を使わないプレイというのはどうしても雑になる。僕と隊長は来る日も来る日も『ドルアーガの塔』をやりつづけたが、どうしても解けない謎がいくつかあった。宝箱の出現方法もなかなかわかりづらかったが、その宝の効果がまた難しかった。「特定の敵に対して無敵になる」というネックレスを手に入れたとしても、その敵にぶつかってみなければ効果が確認できない。ぶつかれば主人公は通常死ぬので、普通はそんなことは試さない。ゆえにネックレスの効果はいつまでたっても気付くことがないのだ。また、決して取ってはいけない宝というものもあった。「ポーションオブ・エナジードレイン」と呼ばれるその宝は、出現させても取ってはいけないのだ。取ると主人公の体力が著しく低下して死に至る。しかし、やっとの思いで出現させた宝を取らずに先に進む者などいるだろうか? 敬意をこめて言うが、『ドルアーガの塔』は見事なまでに何のヒントもない、イカレたクズゲームだった。そして僕らはこの愛すべきクズを攻略するまでは絶対に退かないと決意していた。バカげた「自分との闘い」だった。

「馬場に行ってみようか? 」

ナムコが直営するゲーセン「キャロット」はコアなゲーマーたちの聖地だった。隊長と僕は都内でも有数のつわものどもが集まるという、高田馬場のキャロットに遠征してヒントを探しに行くことにした。自分で攻略せずに人のプレイを盗むのには気がひけたが、背に腹は変えられない。僕らが持っている情報と交換に、新たな情報を仕入れるのは決して負けにはならないという屁理屈を作って自分を納得させた。

キャロットには確かにすごいゲーマーがゴロゴロいた。自信過剰の隊長すらも「こいつらにはちょっとかなわないかもしれない」と弱音を吐いていた。僕にいたっては単なるおのぼりさんで、全くお話にならない。僕らはおずおずと『ドルアーガの塔』のそばに近寄って、上級者のプレイを盗み見ようとした。しかしキャロットの常連は筐体の周りを取り囲んで、僕たちよそ者には決してプレイを見せようとしない。こちらは見せてもらう立場で決して強く出れるものではなかったのだが、僕はイライラがつのって爆発寸前だった。隊長が察して声をかけてきた。

「ダメだね。こいつら絶対に見せないつもりだよ」
「ああ わかってる。だけどよ、俺らだってそれなりに情報はもってんだ。それと交換に見せるくらいいいだろうが」
「ゲーマーなんてみんな閉鎖的なんだよ」
「くそっ! むなくそわりい」

僕らは帰りがけ、店の外でキャロットの常連ゲーマーの1人を待ち伏せて血祭りにあげた。もっとも隊長の方は腕っぷしはからきしだったので、ほとんど手を出さなかったが……。ゲームをやっているときは生き生きとしていた常連の顔が情けなく苦痛に歪む。もう少し腹いせに痛めつけてやろうかと思っていたら、殴られてヘロヘロになった常連が、頼みもしないのに小さい単語帳のようなものをよこした。僕らがノドから手が出るほど欲しがっていた、宝の出現方法と宝の効果を書いたメモだった。60面全部が書いてあるわけではなかったが、僕らの壁になっていた部分が見事に攻略されている。

「隊長、どうする?」
「帰るか? あはは」

ゲームのためなら人も殺しかねないバカだった。

それから2週間ほどかけて、僕らはドルアーガの謎の全てを解き明かした。都内でも結構早い部類に入るはずだ。馬場で手に入れたメモ帳の間違いをも発見した。ゲーム雑誌に攻略法が載る、2ヶ月以上もまえだった。60面全ての宝の出現方法と、宝の効果を書きこんだ自作のメモ帳は文字通り僕らの宝物になり、攻略が終わってからも嬉々としてメモを見ながらドルアーガをプレイしつづけた。思えば一番幸せな時代だった。

つづく……

2000年03月21日

#08 ポーション・オブ・エナジードレイン

『ドルアーガの塔』をやった回数というのは正規に金を払っていたとしたら一体いくらぶんくらいになっていただろう。どんなに少なく見積もっても50万円はいく計算だ。そしてそれ以降も僕は、一切金を払わずにゲームをやりつづけた。だがしかし、幸せな時間というものは長くは続かない。

高校受験を間近に控え、僕はストレスがたまっていた。勉強しなければいけないと漠然と考えつつもやることといえばゲームだけ。魔法の鍵のおかげでゲームはいくらでもできる状況にある。だが同い年の隊長は、どうやら受験のためにゲーセン通いを控えているらしい。そのことも僕の焦りを助長した。今日こそは勉強しようと思いつつ、気付けば深夜までゲーセンに居座っている。焦りのせいなのか指先がチリチリ焦げるような、妙な感覚がいつもつきまとっていた。

そんな雰囲気を感じ取ってか、ゲーセンの知り合い連中は僕に話し掛けてくる回数がめっきり減ってきたようだ。なんとなくポパイに居づらい感じをもった僕は、家から一番近い「ラビット」というゲーセンに入り浸るようになった。ここは地元で一番さびれている小さなゲーセンで、ヤクザが経営する店だった。地元のお祭りの屋台でよく見る男が大体店番をしている。テキヤというヤツかもしれない。ゲームのことを全くわかっていないので、店内のラインナップはお寒いの一言だった。これではガキは寄り付かない。でもその頃の僕にはお似合いだと思った。1人孤独にゲームをやる自分を、自虐的な目で見つめるもう1人の自分がいた。

夕方の人がまばらになる時間、ラビットには僕ともう1人の男しか客がいなかった。男の顔には見覚えがあるが、誰だか思い出せない。どこかで会ったのだろう。身長は僕よりも低く、リーゼントでイキがっているがどう見ても弱そうな男だった。気持ちがささくれだっていた僕にはそれ以上モノを考える余裕がなかった。ポパイなら知り合いに回りをかためてもらって筐体をあけるし、知り合いがいないときは誰にも見られていないときを狙うのだが、どうにでもなれという気持ちになっていた僕は、その男を意に介さずに、無造作に筐体を開けた。

「おい! おまえ何やってんだ! その鍵どっからパクった!?」

時代遅れの「ツッパリ」と呼ばれる部類に属するその男は、いきなり大声をあげた。僕は一瞬頭がカラになって呆然としてしまった。本当なら一目散に逃げるか、そいつを殴っておとなしくさせなきゃいけないはずだったのに。僕はその男とまともに対峙してしまった。

「おまえ中学どこだ」
「東中……」
「じゃあ ヒガシダとタメか」
「……(うなずいた)」
「俺はヒガシダの1コうえのトリウミってもんだ」

僕の中学の卒業生だったようだ。どうりで顔に見覚えがあるわけだ。東中のアタマ、ヒガシダの名前はこんなところでも出てくる。まるで自分の無名さを、ヒガシダを知ってることで埋めようとするかのようにトリウミはまくしたててきた。僕は無言で隙をうかがいつつ、視線をはずさないようにした。

「おまえこんなことしてタダですむと思ってんのか? ああ? 後輩だからって容赦しねーぞコラ。俺はここのおっさんに世話になってるからよ。見過ごすわけにはいかねーんだよ」
「……。」
「おまえヒガシダと仲いいのか? 黙ってねーでなんか言えコラ」

怖れている。この男は僕が立ち上がって歯向かってくるのを怖れていた。その後もグダグダと、俺はヒガシダが3人がかりで来ても負けないだの、ヒガシダの仲間なら手荒な真似はするわけにはいかないなだの言いつづけた。こいつなら負けることはないと思った。黙ってイスに座ったまま、この男をどうやって言いくるめようかと考えていると、運悪くこの店の店番が帰ってきた。僕はそのときようやく、この鍵は取ってはいけない宝、ポーションオブ・エナジードレインだったのだと気付いた……。

つづく……

2000年03月22日

#09 現実の痛み

店番は僕をゲーセンの事務所のようなところに連れて行った。トリウミはへこへこと店番の男に頭を下げてどこかに消えた。電話を1本かけると、もう1人のヤクザが現れた。30代後半の見るからにチンピラといった風情のヒゲの男だった。僕の恐怖感は絶頂に達していた。だが心のどこかで「まさかヤクザが中学生のガキ相手に本気で手をだすわけはない」といった計算も働いている。それは半分当たっていて、半分間違えていた。

ヒゲは静かに椅子に座ったままこちらを見ている。目に怒りは感じられない。店番の方は少しイライラしているようだ。ちょっとこちらに背を向けて何かを考え込んでいるような感じを見せた。……と思った瞬間、こちらに振り向きざまに前蹴りを食らわしてきた。虚をつかれてまともに腹に入る。少し顔色が悪くなったかもしれない。前かがみになった僕の頬に右のパンチが2発。続いて腹に左のパンチ。全力でやっているわけではないようだが充分だった。体は痛みを感じていなくとも、心が恐怖で凍りついている。パニック状態に陥った。そのまましばらく小突き回され、立っているのが辛くなってきた頃、ヒゲが口を開いた。

「小僧、おまえこの鍵どっから盗んできたんだ」

店番の、加減した暴力からやっと開放されて、安堵のため息が漏れる。涙を見せるのはみっともないなと思いながらも勝手にこぼれるものは止めようもなかった。ヤクザを前にして恐怖しない者などいるはずもない。だがそれでも悔しかった。歯を食いしばって屈辱感をはね返そうとした。無駄な努力だった。

「黙ってないで何か言え。正直に言ったら許してやる」

椅子に座っているヒゲの方は物腰がやわらかかった。僕は大きく息を吐いて落ち着きを取り戻し、考えをめぐらせた。シゲルを売るのが手っ取り早そうだ。シゲルがいなくなってから随分たっていたが、この辺のゲーセンに関わる者でシゲルの手癖の悪さを知らないものはいない。いなくなったシゲルに罪をかぶせることにたいした罪悪感は感じなかった。チラリとヤツの笑顔が脳裏をよぎる。

「シゲルが盗んできたのをもらいました。どこで盗んだかは知らないです」
「あのガキか。 チッ。ロクでもない……。おまえ中学生か? 」
「ハイ、中3です」
「中3なら受験だろ。こんなことやってて高校いけなくなったらどうすんだ」
「……。」
「とりあえず警察には連絡しないでおいてやるが、おまえの住所と電話番号書け」

これはなかなか応えた。親にばれるのもまずいし、万が一にも親のほうから金を取ろうなどと考えているのだとしたら破滅だ。いったいいくらふっかけられるかわかったものではない。かといって警察に連れて行かれたり学校に連絡されるのもまずかった。僕は目の前が真っ暗になった。「高校行けなくなるかもしれないな……」弱気の虫がつぶやく。僕は迷った挙句、正直に本当の住所と名前を紙に書いた。嘘を書いてもすぐバレると思ったからだ。

ヒゲはしばらく眺めてから、その紙を破り捨てた。僕はあっけにとられた。

「嘘を書いたのなら、電話すればすぐわかる。だからおまえは正直に書いたはずだ。俺がおまえの家に電話すればおまえはタダではすまない。どうだ? ビビったか? 」

なんだかわけのわからないことを言って悦に入っているらしい。正直ビビってはいたが、だからどうしたといったところだ。要はテキトーに痛めつけられて、からかわれたということだった。ホッとすると同時に、言いようのない敗北感に襲われた。僕はちっぽけで無力なガキでしかない。それを思い知らされたのだった。アドレナリンのおかげで感じていなかった体の痛みが、どっと襲ってきた。加減して殴っていても痛いものは痛い。とめどなく流れる涙が、しょっぱくて情けなかった……。

つづく……

2000年03月23日

#10 魔法の終わり

魔法の鍵を失くした僕は、少しゲーセンから遠ざかるようになった。またカメを出し抜けば鍵を手に入れるのは簡単だったが、そんな気分にもなれない。僕がヤクザにやられた話はいろいろな尾ひれがつき、いつの間にか武勇伝のようになってゲーセンの連中に広まっていった。実際のところは情けないの一語に尽きたのだが、いちいち説明するのも面倒くさかった。中学の後輩の中には僕を恐れるものもいた。全て自分とは無関係の世界の話のように思えて、うっとうしかった。

高校受験が始まった。僕が受けようと思っていたのはエスカレーター式で大学まであがれる都内の私立校だった。進路指導では「危ないな。すべり止めをちゃんと受けておけ」と言われた。僕はこの期に及んでもまだゲームのことばかり考えていて、教師の話などロクにきいていなかった。合格発表の日、教師の、まさか受かるとは……、という感じの驚愕の表情が僕へのお祝いになった。学校中が「なぜあいつが」という顔をしていた。僕は少しだけ鬱憤が晴れて、つまらなかった中学とおさらばできることを素直に喜んだ。

その年の春休み、正確には中学を卒業し高校に入学するまでの間に、僕は『ロードランナー』というゲームの大会で全国優勝を果たし、生まれて初めて日本一というものを経験した。月刊少年ジャンプが主催したゲーム大会で、賞品は30万円相当のパソコンだった。僕は従兄弟に賞品をあっさりくれてやった。この年にはもうひとつ、ゲーマーにとっての大きな事件があった。新風営法の施行だ。ゲーセンは深夜0時で閉店しなければいけなくなり、街のゲーセンはすっかり様変わりした。朝まで時間をつぶす場所はなくなり、荒れたガキどもは一時期ゲーセンから姿を消した。照明は明るくなり「不良のたまり場」という雰囲気を一掃するため、業界は力を尽くした。僕は思った……僕の愛したゲーセンは今日で終わりなんだと。確かにひとつの時代が終わったのだ。

昭和60年、1985年、阪神タイガースが優勝した年の話だ。

つづく……

2000年03月24日

#11 新しい世界

ゲーム大会の数日後、ジャンプを出版している集英社から電話が入った。「ゲーマーとしてバイトしてみないか」ということだった。僕は面映い心持ちで集英社に向かった。編集者の人はヨネダという30代の小太りの男で、人の良さが表情ににじみ出ている。「キミみたいなゲームのうまい人を探してたんだよ」とニコニコしながら握手を求めてきた。僕は自分よりゲームのうまいヤツはごろごろしてるのになと思いつつも握手を返した。せっかくのチャンスをみすみす逃すのもバカらしい。その後、集英社から少し離れた雑居ビルに案内された。ゲームの攻略記事のようなものは集英社が作るのではなく、下請けのプロダクションに外注するのだと教えられる。まだ中学を卒業したばかりの世間知らずの僕はバカみたいに「はあ」と感心する以外なかった。その日から雑居ビルのワンフロアをぶち抜いた弱小プロダクションで僕は仕事を始めた。

読者から送られてくる膨大な量のハガキと格闘し、ファミコンの「ウラ技」をものにするのが僕の仕事だった。プログラムのバグを利用するウラ技のほとんどは、その操作方法が難しすぎて、ゲーマー以外にはとても確認作業が行えない。ハガキに書かれた操作を正確に再現するのが僕の役目なのだった。カメラマンに「画面待ち」してもらって黙々とゲームを進める。決定的瞬間に至るまでには気の遠くなるような時間を要した。僕は自宅でもせっせとゲームをやって、ハガキに書かれたウラ技をすぐに出せるように練習した。これはいくらゲーム好きでもなかなか辛い仕事だった。

ゲームをやってお金を貰えることより、知らなかった世界に触れられることの方が僕にとっては面白かった。プロダクションのスタッフは20代から30代の大人ばかりで、みんな僕にやさしくしてくれる。ヨネダは会社の経費を使って、今まで見たこともないようなご馳走を毎日僕にふるまってくれた。僕の相棒になったカメラマンは女性で、歌手の竹内まりあの妹だった。「姉と比較されるのはイヤなの。これは秘密ね」と僕に打ち明けた。ホントかウソか僕には判断がつかなかったが、確かにきれいな女の人ではあった。たまに原稿や写真を持って集英社のビルに行くと、週間少年ジャンプの編集部に入れてもらえることもあった。机の上にはまだ掲載されていない『北斗の拳』の生原稿がある。僕はこれを盗み見て、よくヨネダに叱られた。編集部の中には見知った顔もあった。『Dr.スランプ(アラレちゃん)』にでてくるドクターマシリトという博士はジャンプ編集部の鳥島という人をモデルにしていたのだが、この人にも何度か会って話をしてもらった。僕は漫画の中のマシリトが頭に浮かんで、笑いをこらえるのに大変だった。当時集英社にいつも出入りしていた、のちのドラクエの作者、堀井雄二とも何回か会うことができた。僕は彼の大ファンだったので興奮して彼のゲーム論に耳を傾けた。「今ロールプレイングゲームというものをファミコンで作っているんだよ」と彼は熱っぽく僕に語った。そのゲームこそ、『ドラゴンクエスト』だった。

何もかもが夢のように楽しかった。薄暗いゲーセンで漠然とした不安と焦燥に苦しめられ、野犬のように昏い目をしていたかつての僕はもういない。でもひとつ気がかりなこともあった。隊長だ。

隊長は受験に失敗し、中学浪人になったという噂だった。僕よりゲームがうまいのに、隊長は未だ薄暗い場所でもがき苦しんでいる。僕は彼も同じ場所に連れて行きたいと思った。ゲーセンで隊長の姿を探した。やっとみつけた隊長に笑顔で話し掛けた。集英社で働いていること、ゲーマーの人手が足らないことを身振り手振りを交えて面白おかしく聞かせた。隊長が少しでも興味を持ってくれるのを期待していた。

「俺はいいよ。俺は……」

誘いの言葉は宙に浮いて、虚しく消えた。泣いてるのか笑ってるのかわからないような複雑な表情を見せて、隊長は筐体に目を落とした。

その後ゲーセンで彼を見かけることはめっきり少なくなり、ある日を境にぷっつり姿を見せなくなった。

シゲルや隊長を踏み台に、僕は1人、陽の当たる場所に踏み出した。少しばかりの罪悪感と新しい世界への期待があった。

つづく……

2000年03月25日

#12 溶けていく心

今でも思い出すと顔から火が出る思いがするが、僕はゲーマーの仕事をしていたとき、テレビにも出演したことがあった。朝のワイドショーで「天才ゲーム少年あらわる」みたいな扱いで2〜3分とりあげられたのだった。ロケではなく、わざわざフジテレビまで足を運んでスタジオでゲームの腕を披露した。いやがる僕をヨネダが無理やり車で局まで連れて行った。

恥ずかしかったので両親以外誰にも言っていなかったのだが、僕の知らぬ間に両親は親戚中にふれ回っていた。生出演が終わって家に帰り、VTRを見てみると、見事なくらい目が泳いでいる自分が映っている。僕は死にたくなった。朝の番組だったため、たくさんの人が見ていたわけではなかったのがせめてもの救いだった。

4月、僕は高校に入学した。入学式の日、少し緊張気味の僕を興味深そうに眺める連中がいた。僕はナメられないように睨み返してやった。この学校は中学部と高等部があり、1クラス50人のうち半分は中学部からのエスカレーター進学の者が占めている。3年間を共にすごした仲間がいるため、エスカレーター組の者たちには緊張のかけらもなかった。逆に高等部からの入学組は輪に入れずオロオロしていた。入学式の最中から僕のことをじっと眺めていた「ギョシ」という変なあだ名で呼ばれているエスカレーター組の中心人物が僕に話し掛けてきた。

「おまえさ、春休みにテレビに出てなかった? ゲームのなんかで」
「……。み、みてたのか……」

僕はまた死にたくなった。顔がみるみる赤くなるのがわかる。しかしギョシの態度に僕をバカにしたようなそぶりは見られなかった。 自然とゲームの話で盛り上がり、僕はすんなりとギョシと仲良くなることができた。エスカレーター組に1人友達ができると、あとは簡単だった。僕は高等部から入学してきた者とも、エスカレーター組の者ともすぐに打ち解け、初日から笑顔がこぼれっぱなしだった。のちにお互い面と向かって悪口を言える、親友と呼べるくらいの関係になった頃には、「あのゲームのテレビ出演さ、俺だったら恥ずかしくて生きていけねーよ」などと、事あるごとにバカにされるようになったのだが……。昔の僕だったら手が出ていたかもしれない。でも一緒になって笑い転げることができるようになっていた。僕は変わった。

この学校は本当に気持ちのいい自由な校風だった。話が前後するが、入学式の日に、僕はかなりのショックを受けていた。中学の朝礼などは、直立不動でなければいけなかった。少しでも列を乱したり、私語を交わせば女生徒であっても容赦ない体罰を加えられる。そのために教師はいつも竹刀を持っていた。生徒はいつも怯えていた。それに比べてこの学校の入学式はどうだ。生徒は皆リラックスした姿勢で私語を交わし、校長の話など全く聞いていない風だ。そのくせ校長がつまらない冗談などを言うと、間髪入れずに全校生徒がブーイングを浴びせる。他の教師はそれを見て苦笑いをしたり、いっしょになってブーイングしたりしているのだ。校長も怒るでもなくニコニコしながら話を続ける。僕はアメリカにでも来てしまったのかと思った。朝のホームルームでウォークマンに耳を傾けている者がいる。職員室でジュースを飲みながら教師と談笑する者がいる。クラブの勧誘のために仮装して校内を駆け回るおどけた上級生がいる。学校を抜け出して公園で昼食をとる者がいる。見るもの全てが新鮮で楽しかった。

高等部に入ったら絶対バンドをやるんだと決めていたギョシは、なりてのいないベースに僕を指名した。僕は楽器などさわったこともなかったが、躊躇せずその日のうちにベースを買いに楽器屋に走った。ゲームを攻略するようにベースを練習する。いつまでたってもゲームのようにはうまくならなかったが、それでも楽しかった。いつのまにか他のバンドに助っ人として呼ばれるくらいには上達して、文化祭ではライブで暴れまわった。週末には女子高と合コンをして、月曜日はその話で盛り上がる。あまりに毎週やるものだから、どこの子とどんな話をしたのか記憶がごちゃごちゃになっていて、電話をかけても「それ私じゃない」などとヒヤリとさせられる。誰と誰が兄弟になったなどと、延々とシモネタを話してはイスを後ろに倒して笑い転げた。50代後半の担任教師は僕をダイスケと呼び、僕は担任をコンちゃんと呼んだ。楽しかった。

長い間凍っていた僕の心はすっかり溶けていた。自然とゲーセンに足が向かうこともすくなくなっていった。僕は高校の3年間で一度も人を殴ることはなかった。

つづく……

2000年03月26日

#13 変わらぬ世界

僕が高校で毎日を楽しく過ごしていたときも、変わりなく荒れていたものたちがいる。僕の卒業した中学は前にも増して荒れていた。連日窓ガラスが割られるために、校内は風が素通しで砂埃がたまっていたという。以前は厳しかった教師も、あまりに荒れる生徒に怯えて手が出せなくなり、校内は無法地帯となった。僕は卒業後も何人かの後輩と接点を持っていたため、いろいろな話を聞かされた。

2コしたのリンタとオマタ、マコトの3人は僕によくなついていた。麻雀のメンツが足りないと深夜でも押しかけてきて僕を拉致した。僕はこいつらに負けた記憶がない。手積みの麻雀では常にイカサマをやっていたので負けるわけがないのだ。それでもこの3人は足しげく僕の家に通い、ときにはパシリとなり、ときには年の差を感じさせない遊び相手になった。

気のいいヤツラだったが、ときにはゾっとするような事件を起こすこともあった。警察にも犯人は特定できなかったが、中学の校長室に放火して大騒ぎを起こしたのもこいつらだった。ニコニコしながら放火のあらましを僕に自慢して聞かせるのだ。僕の目の前では荒れた様子を見せなかったが、暴力沙汰も相当なものだったらしい。身内には優しいが、よそ者には狂犬のように攻撃的なヤツラだった。そんな3人組が最も怖れていたのが僕の1コ下のMという男だった。この男の名は口に出すのもおぞましい。小学校中学校とずっと一緒だったが、まともに目を合わせることさえできないイカレた男だった。

1989年に、僕の家から数百メートル離れたある家で、1人の女子高生が殺された。1988年の11月から40日間監禁され、陵辱されたあげく殺され、コンクリートに詰められて東京湾の埋立地に捨てられた。世に言う「女子高生コンクリート詰め殺人」だ。この事件を起こしたのがMだった。10年以上前の事件だが、僕の住む街では未だに風化していない。興味のある人はネットで検索すればいくらでも事件の詳細をつづったページに行き当たるだろう。だが僕が語るにはあまりにおぞましく、あまりに身近すぎる事件だ。大学で知り合ったカンノという男は、この事件の被害者Jさんの友達だった。

それと前後して、やはり僕の家から数百メートル離れたマンションでは母子が中学生3人組に殺された。僕の4コ下の顔も知らぬ後輩たちの仕業だ。証拠不十分のため中学生3人はそれほど時をおかずに釈放されたが、こいつらは仲の良いものに向かって「アレをやったのは俺たちだよ。警察ってバカだな」と悪びれるでもなく自慢していたという。僕の4歳下の、こいつらと同級生である妹が言っていた話だ。

自分を棚に上げるわけではないが、僕やゲーセンの仲間が引き起こした暴力沙汰や、取るに足らない犯罪とは明らかに異質なものがはびこりはじめていた。風営法によって「不良の溜まり場」のレッテルをはずそうとしたゲーセンは、意図に反して以前よりも危険な場所になっていたのだ。だがしかし、僕はそれになかなか気付かなかった。いや、気付こうとしていなかったのかもしれない。僕の愛したゲーセンは変わりなく僕の居場所であり、故郷のようなものであってほしいと願っていたのだ。以前のように毎日居座りつづけることはなくなっていたが、僕のゲームに対する熱が消えたわけではない。それと同じくらいに楽しいことを見つけることができて、時間の配分が変化しただけなのだ。僕の心を奪うようなゲームが現れればまたゲーセンに帰ろう。そのときには指先がチリチリするような焦燥感は僕を苦しめないだろう。心穏やかにゲームと向き合うことができるだろう。そんなふうに思っていた。だがまだ僕には少しばかりの昔の名残が、ちっぽけなプライドみたいなものがはりついていた。それに気付いていなかった。

1991年、僕をゲーセンに呼び戻す素晴らしいゲームが現れた。そのゲームは、かつての『インベーダー』のように、ゲーセンそのものの形態を変えてしまう歴史的なゲームだった。顔ぶれはすっかり様変わりしていたが、浦島太郎のような心持ちで僕はゲーセンに本格復帰した。触れれば切れるような鋭い顔つきの中学生、高校生にまじってプレイする大学生の僕は、なんだかのんびりした顔をしていたかもしれない。でもそんな自分を好ましく思っていた。

つづく……

2000年03月27日

#14 ストリートファイト

『ストリートファイター2』は本当に面白いゲームだった。主人公1人に対して、無数の敵がわらわらと襲ってくるそれまでのゲームと違って、『スト2』は1対1の格闘ゲームだった。非常に個性の強い8人のキャラクターの中から1人を選び、それが主人公となる。残る7人を倒して、その後に控える4人のボスキャラを倒すのが目的だ。だがその目的は、『スト2』がゲーセンに現れて数ヶ月で様変わりした。このゲームは対コンピュータだけでなく、2人で対戦ができるのだった。パターンを攻略してしまえば、あとは単なる作業となってしまうのがゲームの宿命だが、相手が生身の人間であればパターンは通用しない。いつも新鮮な格闘が楽しめるのがこのゲームの最大のポイントだったのだ。ゲームバランスはよく練りこまれており、人間同士の読み合いが勝敗の鍵を握る。多彩な技を出せるようになるのもうれしかった。弱い技は簡単な操作で出せるが、攻撃力の強い技は難しい操作をしなければ出せない。練習して上達すればいくらでも強くなることができる。キャラクター8人全員を極めるのは至難の業で、長い間楽しめるのも良かった。

僕は「リュウ」というオーソドックスなキャラクターを使用して、毎日「昇竜拳」を出すために練習した。この無敵の技は、それまで格闘ゲームというジャンルに触れたことがなかったものにとっては出すのがとても難しく、それだけに自由自在に出せるようになるのは、ある種のステータスだった。『スト2』にハマる者がみんな昇竜拳を簡単に出せるようになった頃、人対人の対戦は最高の盛り上がりを見せるようになった。

だが、一方で『スト2』は暴力沙汰を引き起こす引き金ともなった。このゲームの最大の弱点に「ハメ技」と「待ち」というものの存在があった。「ハメ技」を仕掛ける側は簡単な操作を続けるだけで勝つことができ、やられる側はそこから抜け出すのに、大変難しいテクニックや高度な読みを要求される。ゲームの上手下手が勝敗に結びつかないというのは、プレイするものにとっては納得のいかないことだった。「待ち」を駆使する相手はこちらから仕掛けない限り、一切キャラクターを動かさずにジっとしている。せっかく金を払ってゲームをやっているのに、双方何も手出しをせずに時間だけが過ぎていくのはストレス以外のなにものでもなかった。腕のたつゲーマーには「待ち」や「ハメ」などモノともしない者もいるにはいたが、多くの一般プレイヤーはこの2つの戦術になす術もなかった。たとえゲームであっても真剣勝負で負けるのは悔しい。何のテクニックもないのに、こういった戦術で勝ちを拾うものは忌み嫌われ、しばしば喧嘩をひきおこすことになるのだった。また、自分の技量のなさを棚にあげて、ただ単に負けた腹いせに怒りだすものも多くいた。

ゲームそのものを原因とする喧嘩が街に溢れかえっていた。以前では考えられなかった光景だ。一目で危険だとわかる荒れたガキだけでなく、見るからにおとなしそうな一般プレイヤーまでもがしばしばキレて暴力沙汰をひきおこす。ゲーマー、荒れたガキ、一般プレイヤーといった、かつての棲み分けは意味をなさなくなり、それなりの秩序があった暴力の構図も完全に無秩序となった。ゲーセンに来る者は自衛のためにナイフを持つようになり、ナイフを持った者は自分の力を過信するようになる。

筐体を挟んで向かい合う相手が、負けた腹いせに筐体をガンガン蹴りとばす。僕は自分のプライドが許さない「ハメ」や「待ち」は使わない。相手はただ単に己の技量のなさを棚にあげて逆恨みしているのだ。そんなときは黙って席を立ち、相手の方に歩み寄る。静かに笑顔を向けると、相手は僕のガタイや目つきにビビっておとなしくなる。見るからに年の離れた僕に、本気で牙をむくガキはそう多くなかった。かつてゲーセンを根城にしていた自分が、こんなガキどもにナメられてたまるかという子供じみたプライドを盾に、精一杯の虚勢を張っていたのだ。だが僕は以前の僕ではない。ヤケになって暴力沙汰を引き起こし、警察にパクられるには年をとりすぎていた。これを「腑抜けた」と称するのなら甘んじて受けよう。僕は以前の僕には戻りたくなかったのだ。

ギリギリの綱渡りは終わりを迎える。僕とゲーセンの長い蜜月は、ナイフによって引き裂かれた。

つづく……

2000年03月28日

#15 ナイフの向こうに見えたもの

1994年に、僕は頬にニキビの残る16か17くらいのガキにナイフで刺された。

というのは大げさで、実際は左の太ももに、少しばかり刃先を押し込まれたというのが本当のところだ。怪我とよべるほどのものでもない。後日後輩に聞いてみると、キレるとすぐにナイフをちらつかせることで有名な男だった。僕は長いブランクのせいで全然その男のことを知らなかった。ナイフの恐怖はヤクザに殴られたときの比ではない。僕は殺されてもおかしくなかったと後で思った。きっかけはつまらないことだ。席をどけ、どかないのいざこざなのだが、本当に怖かったのは間が一切なかったことだ。僕を威嚇する大声もなければ、睨みつけて対峙する時間もなかった。気がついたら既にナイフは僕の太ももに押し付けられていたのだ。僕はすぐさま謝って逃げた。不思議と怒りは感じなかった。ちっぽけなプライドみたいなものだけが吹き飛んだ。

これをきっかけに、僕は地元でのゲーセン通いをピタリとやめるようになった。虚勢を張るのは終わりにしたのだ。だがしかし、昭和60年の風営法施行のときに感じたような寂しさはなかった。僕の居場所はここじゃないんだという思いだけがあった。

僕にナイフをむけた男と、僕との決定的な違いはなんだろうと、ずっと考えた。僕は自分の無力さをイヤというほど知っている。謝って逃げたことを少しも恥じていなかったし、負けたという気持ちもなかった。それに対してナイフの男は、恐らくいくら喧嘩に勝とうとも、自分をいつも人生の負け犬みたいに感じていたんじゃないだろうか。かつての自分がそうだったように、少しだけそいつの気持ちがわかるような気がする。勝手に作り上げたペシミスティックな自分の未来像に怯え、ナイフで武装することの無意味さを知ろうとしない。焦燥感に押しつぶされそうになって、必死でもがいている心があるような気がするのだ。

かつての僕にとって、ゲーセンとは負け犬が逃げ込む小さく暗い小屋みたいな場所だった。風営法とヤクザによってそこを追い出されたとき、寂しさを感じつつも新たな逃げ場所を作らなかったことが、僕をナイフの男とは違った人間にしたのかもしれない。ゲームに熱中することと逃げることを混同していたことにようやく僕は気付いた。これでようやくゲームだけを純粋に楽しむことができる。だが悲しいかな、僕にはゆっくりゲームをやる時間がなくなっていた。昼も夜も忘れ、ゲームに熱中した頃が本当に懐かしい。

今ゲーセンは明るく楽しい場所になったと聞く。僕を呼び戻すようなゲームは今も作られているのだろうか?もしそうならたまにはゲーセンに行こう。

楽しそうな顔をしてのんびりゲームをやる僕の心は、ナイフで刺すことはできない。


僕を熱くさせてくれたたくさんのゲームたちと、いろいろなことを経験させてくれたゲーセンという場所と、そこで出会った名も知らぬ多くの人々に感謝を込めて……



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