東風感謝スペシャル「どらきの軌跡」
| 第1回 2000/03/02(Thu) 00:37:24
1998年3月 大学3年進学を間近に控えた春休み,友人が僕を誘った。
1998年8月、僕はついに東風荘を手に入れた。パソコンを手に入いれたと言うよりも,そう言ったほうがしっくりくる。ファイルをダウンロードし終えると,腹をすかした小犬が餌にとびつくように,第2東風荘にアクセスした。僕は最初から第2東風荘で打ちたいと思っていた。第1東風荘のルールにはあまり魅力を感じなかった。
東風荘に通い出した当初、僕は麻雀にかなり自信を持っていた。その自信は並居るプロたちが登場する麻雀ゲーム「牌神」をクリアしたことからくるものに他ならなかった。点数計算はおろか、役さえもあやふやな僕だったが、牌神をやり込んだおかげか、牌効率と、麻雀は4人で打つものだという認識はわりかししっかりしていたように思う。リーチがかかると無筋牌はほとんど打たなかった。初心者の場合常に全ツッパでいく人が多い。これは中級者以上の人の言うツッパリとは違い、ただの無謀行為であることがほとんどだ。その点僕ははじめからずいぶん守備的な麻雀を打っていた。今から見れば狼の脅威に怯えるか弱い子羊のような麻雀だが、無謀行為が少なかったことが功を奏し、R1400台を切ることはなかった。しかし自分で見つけた筋牌理論に自信を持っていた僕は、リーチ者の筋牌ならばドラでも切りとばした。この割り切りの良さも好結果に結びつくことが多かった。こうして自然に、僕は東風荘の住人となっていった。 |
| 東風感謝スペシャル「どらきの軌跡」第4回 2000/03/05(Sun) 00:23:12 東風荘の水にも慣れ、そろそろ50試合もこなそうかと言う頃、当初から僕の頭を悩ませているものがあった。それはハンドル名だった。最初のハンドル名は「*snow
man*」、続いて「砕氷船」だった。僕は冬の身を切るような冷たさが好きだ。夏はあまり好きではない。暑さが感覚を鈍らせるから。そのへんはなんだか武士っぽい。しかしこの2つのハンドル名のどちらも、いま一つ僕の感性にシンクロしては来なかった。言い換えれば、個性だとかこだわりを感じることができなかった。他にもいくつか使い捨てのようなハンドル名を試したが、どれも愛着というほどのものは湧かなかった。本名ハンドルというのも試したが、僕好みではなかった。僕はこんなどうでもよさそうなことにかなりこだわるほうだ。僕にとってはどうでもよくないのだが。そしてだんだんキーボードも打てるようになってきた僕にとって、もうひとつ不思議なものがあった。それは「顔文字」だった。
卓上で、待合い室で、東風荘を華麗に彩る数々の顔文字、それは僕のあこがれのまとだった。当時辞書登録機能なんて知らない僕は、それらの顔文字はすべてその場でタイプされていると思っていた。そうかなと思うくらい僕はタイプが遅かった。それにしても僕が、
チャ助を手に入れた僕は、さっそく待合室で拾った顔文字を登録してみる。なるほど、確かにこれを使えば複雑な顔文字を1発で入力することが可能だった。そして時を同じくして僕は「これだ!」と言うハンドル名を思いついていた。それが「ドラキ〜」だった。それは僕の好きなゲーム「ドラクエ」に登場するモンスターのなかで1番好きなキャラだった。そしてそのキャラを文字を使って絵に、つまり「顔文字」にすることを思いついた。そして試行錯誤の末にできたのが初代ドラキ〜「⌒(m・_・m)⌒」である。その後、これでは羽がかさばる、mでは足に見えない等の理由から「^(w・_・w)^」に改良された。しかし今考えて見ればmにしろwにしろ、どのみち足には見えない気がする。この「^(w・_・w)^」を使って僕は様々なオリジナル顔文字を開発していった。それは東風荘で麻雀を打つのと同じくらい楽しいものだった。数々の顔文字を置いてあるホームページを回ってみたが、ドラキ〜の顔文字が置いてあるところはどこにもなかった。完全なオリジナルとして、「^(w・_・w)^」は僕の宝物となった。このドラキ〜のおかげで、僕はこの後数多くの雀友と出会うことになる。
東風荘に通いはじめそろそろ200試合も消化しようかというころ、すこしはタイプもできるようになり、僕は遊び場をランキング卓からわいわい卓へ移していた。しかしRateはと言うと、相変わらず1500付近をうろうろしていた。その頃にはもう、東風荘には上級ランキング卓が設置されていた。ようやく役も覚え、何度か生の麻雀も経験した僕は、徐々にその「上級」という言葉に惹かれはじめていた。しかし僕にはまだR1600というのは未知のエリアだった。当時、僕にはR1700もある人はプロ、R1800あれば達人、R1900を超えている人は皆が神に見えた。この頃になるとさすがに僕の麻雀がまだまだ「打てる」というレベルのものではないことも感じていた。「強い」とか「弱い」という以前の問題で、卓上は厚い雲で覆われ、河は濁り、牌の音もまるで聞こえない。戦いに臨む上で最低限必要な装備が足りないと感じた。そこで僕は1冊の麻雀戦術書を購入した。金子正輝氏の「常勝の麻雀」という本で、それは当時の僕に足りなかった装備をずいぶん補ってくれた。また、プロ雀士の方の戦術を多少なりとも吸収することができたという自信も大きかった。この本を足がかりに、その後自分なりの麻雀観を育てていくことになる。
ずっと1500台だった僕のRateは少しずつだが上がって行った。そして、初のR1600に到達することになる。僕はすこしドキドキしながら初めての上級ランキング卓へ予約した。この頃にはRate変動のメカニズムはおぼろげながら理解できていた。上級ランキング卓にはR1600以上の人しかいない。つまりその時点で僕は上級ランキング卓の最低R。それならば平均順位2.5位でも十分Rは上がっていくだろうと考えていた。しかし上級ランキング卓肝心の1戦目でラスを引き1試合でわいわい卓落ち。なんとか復活して再び挑んでもまたけ落とされるということが3度ほど繰り返された。3度目に上級ランキング卓から落ちたときはR1500近くまで沈み、戻すのに相当苦労した覚えがある。上級ランキング卓の壁は相当厚いものに感じた。そして、4度目の挑戦で僕は初めてトップを取ることができた。その後Rateが1600を割ることはなく、上級ランキング卓とわいわい卓を行き来しながらRateは遂に1700に到達した。僕がプロのそれだと思っていた数値である。この時試合数は350試合まで伸びていた。ちょうどその頃、Rateを上げることだけが楽しみだった僕に、東風荘で初めての友人ができることになる。
東風荘で初めてできた友人の名は五十六ミ★だった。彼とは今でも東風荘で麻雀を打つが、彼はフリー雀荘でも打ち込んでいるだけあってかなりの打ち手である。そしてその後も少しずつお知り合いは増えていき、僕の東風荘生活はより楽しいものとなっていった。そしてこの後、僕の東風荘ライフに大きな影響を与える出会いが待っていた。悪戯ダディψと悪戯★鈴凛♪との出会いである。この2人とたまたま同卓した僕は、どうやら2人の記憶に残ったらしい。その後僕が1人で打っているときに悪戯ダディψが観戦に来てくれ、そして僕を悪戯組に誘ってくれたのだ。この時まで僕は東風に麻雀団体があることさえ知らなかった。そして、実は悪戯組という組名もなんだか怪しげなものに感じた。その後組の説明を聞き、その不安はすぐに取り払われたのだが。悪戯ダディψは、僕がICQ、そしてIRCをダウンロードする際にも大変力になってくれた。当時の僕のパソコン知識は
悪戯組に入ることになった僕は、まず悪戯ダディψに連れられて悪戯卓に観戦に行った。そこでは悪戯ネネ♪、悪戯ディクス、悪戯の呪縛〆、悪戯★鈴凛♪の4人が対戦中だった。悪戯組の会長である悪戯ネネ♪は快く僕の入会を受け入れてくれた。こうして晴れて悪戯ドラキ〜となった僕の悪戯組ライフはとても楽しいものだった。テレホタイムに入るや否や東風に接続し、悪戯組の仲間と卓を囲む日々が続いた。当時、悪戯組には2匹の鬼がいた。R2000を誇る悪戯サブと、R2100を超える悪戯ちひろ@の両氏である。当時の僕にはこのRateでしか相手の雀力を測ることができなかったが、間違いなく悪戯組のトップ2だった。この2人は僕の憧れだった。この2人が打つと聞くと、僕はよく観戦に行った。そして2人はいつも勝っていたという記憶がある。その記憶もあながち間違いではないだろう。実際R2000以上を維持するとなると平均順位2,1位くらいを維持しなければならないのだから。2人の華麗な牌さばきと勝負所での力強さが印象に残っている。僕はいつかこの2人のようになりたいと思っていた。その後も素晴らしい雀友との出会いは続く。 |
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僕が悪戯組に入ってしばらくしたある日のこと、僕は悪戯チャンネルで怪しい人物と出会う。その人の名前はたった漢字1文字で「恐」と言った。それが後の僕の東風でのライバルとなる悪戯★恐との出会いだった。最初警戒していた僕も、彼が危険な人物でないと分かるとよく一緒に卓を囲むようになった。そのうち僕は彼の雀風に好感を持ち始めると同時に、結果はともかく内容では負けたくないと思って打つようになっていった。徐々に芽生える対抗意識、今のところきっと僕の100勝99敗くらいだと思う。その頃は他にも本当に色々な人との出会いがあった。悪戯千秋、RAMOZ、海蛇↑、ホシガメ、陸奥、じゃりん、憲志郎、真沙美彡、…。皆一人一人がとても個性的なメンバーばかりで、まともなのは僕だけだった。その後悪戯組のおかげでも数多くの雀友と知り合うことができた。また、悪戯組以外でも色々な人と出会えた。悪戯♪ゆきみもその一人だった。当時まだ悪戯組に入ってなかった彼女はゆきみ♪大福というHNだったが、関西の人で大福と言うから、僕はてっきり山田花子のような人物を想像していた。実は作戦だったのかもしれない。しばらく後で出会うことになる悪戯☆ぬらは、元HN♪ぬらりん♪が「ぬらりひょん」からきていることなど誰が想像できるだろう。少なくとも僕には、♪ぬらりん♪の第1印象でのイメージカラーはピンクだった。雀力向上は著しい。皆、今では僕のネットライフに欠かすことのできない大切な友人達である。出会い以外にも、悪戯組は僕に数多くの思い出を与えてくれた。 東風感謝スペシャル「どらきの軌跡」第12回 2000/03/13(Mon) 23:08:52 悪戯組に入って1ヶ月ほど経った頃、僕にとって初めての軍団対抗戦というものを経験することになる。相手は当時悪戯組のライバル的存在だった討伐部隊である。それぞれ1半荘当たり2名ずつ選手を出して戦い、トップに5、2位に3,3位に2,4位に1ポイントを与え、合計ポイントを競うというものだった。このルールだとペアのどちらかがトップを取ることが重要である。本来個人競技である麻雀で、みんなで組の勝利に向かって一致団結して戦うというのは思いのほか楽しいものだった。戦況は、悪戯組は苦戦を強いられる。僕は3戦出場し、2戦終了時点で個人ではポイントをプラスに保っているものの、タッグとしては負け・負けと来ていた。そして迎えた第3戦、僕は2着目・親で、トップの討伐部隊の選手と5000点差迎えたオーラス、僕は2巡目で早々とタンヤオ・平和を聴牌し即リーチ。和了りきれば出和了りでも5800点、まくりトップという状況だった。もう90%僕の勝ちである。牌をつもる指に力が入る。しかしなかなかツモることができない。その裏で討伐部隊3着目の選手が無筋牌を勝負しながら役牌を鳴き、和了りに向かって仕掛けてきている。ペアの相手もなかなか僕に差し込み切れない。遂に討伐部隊の選手も聴牌が入ったらしい。これで僕との一騎打ち。そして迎えた15順目、遂に静寂を切り裂き勝者の声が響き渡る。 東風感謝スペシャル「どらきの軌跡」第13回 2000/03/15(Wed) 03:42:33 その声はすなわち、戦いの終わりを意味していた。終止符は打たれた。そして最後に手牌を倒したのは討伐部隊の選手だった。僕の待ち牌4−7筒は討伐部隊の選手の手の内に対子と暗刻で持たれていた。結局、対抗戦自体も討伐部隊の圧勝に終わった。しかし、勝敗などどうでもよかった。この大会で感じることのできた仲間との一体感、みんなで一つの目標に向かって戦い抜いたという充実感は、なにものにも代え難い喜びとなって溢れていた。その対抗戦は、勝負は時の運もあるとは言え、やはり全体的に討伐部隊のほうが力は上だったと思う。しかしそのなかで悪戯ちひろ@が個人総合4位(16人中)に食い込んでいた。これは悪戯のみんなにとって大きな支えとなった。チームの主砲は他団体の強者相手でも期待通りの快打を放ってくれた。この快打は、今度戦う時は自分たちが頑張れば十分いけるというみんなの原動力となった。そして次に行われたステラとの対抗戦で、遂に悪戯組は大爆発する。悪戯IZAMUが個人総合優勝(16人中)を飾り、僕も個人総合3位にくい込んだ。現時点でこれが悪戯組唯一の勝利であるが、この時の感動と興奮は、いつまでも忘れることができないものとなって僕のなかに残っている。
悪戯組に入ってしばらく、僕のRateは1700台後半でおちついた。おちついたと言っても実際はR1730〜1780くらいの間での細かい変動を繰り返していたのだが。そしてそのまま僕は500試合を消化していた。その頃の僕の雀風は、やや守備型というところだった。一発だけは避けるようにしていた。リーチに対してはかなり慎重に打ち回していた。しかし勝負所だと思うとまっすぐ行き、きっちり大物手を和了ることも多かった。ただその場合はリスクとして放銃することも多かったのだが。しかしこういう場合の放銃は、勝負すべきところで勝負に行っての放銃なので全てが悪いものではない。今の僕は、放銃した一打がしなかったものより正着打である場合があると考えている。しかし当時の僕にはまだ放銃の善し悪しなどは分からず、放銃は全て悪いものであると思っていた。全く振らないことこそが上級者への道だと考え始めていった。ここから吹き始めた臆病風に煽られ、僕はこの後思わぬ落とし穴にはまることになる。
Rateも1700を超えると、並卓ならば大体トップで5,2位で1上がるのに対し、3位で3,4位で7下がってしまう。つまりラスを引いてしまうと、その後1位、2位でもRが戻らないなんてことが起こりはじめるラインでもあるのだ。そうすると自然にラスを引きたくないという気持ちが強くなる。そんな事情もあり、僕は放銃することを過度に警戒するようになっていった。そして、 |
東風感謝スペシャル「どらきの軌跡」第16回 2000/03/21(Tue) 07:53:57 次に僕の頭に浮かんだ作戦、それはダマテンだった。理由は、
連日連敗地獄にはまっていた僕は,ある日たまたまある強い方と卓を囲んだ。仮にA氏としておこう。A氏は500試合以上をこなしRateは1950を超えていた。超上級卓の無かった当時、このRateは現在のR2000以上に匹敵するように思う。南3局を迎えた時点でA氏は22000点持ちの3着目で親,僕は20000点持ちのラス目っだった。その状況で35000点持ちのトップ走者が明らかなマンズの混一手に出て早々とダブ南と白をポン,7順目早くもマンズが余り九萬が打ち出されていた。ドラは北,場には1枚も出ていない。この北が手の内で1枚浮いていた僕は,これをどうしても打ち出すことができずに12順目平和のみの手を聴牌しながら雀頭落としの聴牌崩しに出た。この時僕の頭の中は 東風感謝スペシャル「どらきの軌跡」第18回 2000/03/24(Fri) 23:16:29 まさかのドラ打ち。その打牌は放銃しない、暴牌を打たないことこそ上級者への道であると思っていた僕の理想と常識を,根底から揺るがすものだった。かなり長考のあげくにトップ目が北をポンして打六萬,しかしその長考は,倍満を確定させるために己の手牌を愚形にしてしまったことを宣言しているよういなものだった。これでトップ目の待ちはおそらく七萬単騎か四−七萬のノベタン。ずっとトップ目を中心に吹いていた風の流れが変わった。大きな波が押し寄せてくるのを感じる。14順目A氏の手の内から打ち出された三筒は迷うことなく横を向く。
僕はあの時の雀頭落としが間違っていたとは思っていない。確かに平和のみの手でドラを打つ局面では無かった。しかし僕がA氏の手を聴牌した時、果たして北を打つことが出来たのか?北がドラじゃなくても、恐らく当時の僕は打てなかっただろう。あの北は今でも確かに暴牌だったと思う。しかしあの北打ちは、勝利を得るためには勝負に行かねば勝てないことを教えてくれた。砂の砦を失った僕の浜辺に、また再び同じ砦を築く気にはなれなかった。そしてずっと底知れぬ海の深さに怯えていた僕のなかに、海に出て闘いたいという、ある種潔い気持ちが湧きあがってきていた。以後僕は自分の打ち筋を一変させる。まず、満貫が確定していてもよくリーチをかけるようになった。リーチをかけるかどうかは自分の状態を測って決める。それで周りが降りたならツモればいいくらいの気持ちで打つ。他家のリーチにも極力降りないように頑張る。とにかくいけるとこまで頑張るように心がけた。この考え方は今現在の僕の打ち方の基本となっている。攻める打ち方に変えて気が付いたのは、攻めに対して簡単に降りてくれる打ち手はなんと組し易いかということだった。攻めに対して降りてくれれば、こちらはツモ和了るのを待つだけでいいのだ。また攻めの気持ちを持つことでで迷いは払拭され、他人をどうやって騙すかばかり考えていた僕の麻雀が、徐々に他者を尊重できるものへと変わっていったように思う。この後僕のRateはじりじりと上昇し,1000試合を迎える頃にはR1800,1300試合時点ではR1900に到達していた。このRate1900達成は僕の中に常に存在していた高Rate願望に対する1つの節目となった。この頃には別のハンドルでR2000なども達成していたが、東風に入った時からずっとつき合ってきた本ハンドルでR1900を達成できたことのほうが嬉しかった。以後僕のなかのRateに対する思いは次第に薄らぎ、気の合う仲間と卓を囲むことが1番の喜びとなっていった。 東風感謝スペシャル「どらきの軌跡」第20回 2000/04/17(Mon) 04:14:51 インターネットの世界は現実の生活や個人的な都合に大きく左右される。仕事や勉強が忙しくなったり、また他に興味あるものが見つかったなどの理由から東風荘を去る者も多い。僕の周りとて例外ではなく、多くの友人が東風を去って行った。そして一時期僕は東風でフリー打ちばかりするようになっていた。ある日、僕はしばらく音信の途絶えていた五十六ミ★と偶然の再会を果たす。たまたま入った卓に彼はいた。そしてその頃東風荘で一緒に打つメンツのいなかった僕は、彼がよく卓を囲む仲間の中に入れてもらうようになった。その仲間は五十六ミ★の他にshaky、桜かもね★、ときおくん、ツモ斬り魔神、かわうそ研という面々で、五十六ミ★、shaky、ツモ斬り魔神、かわうそ研の4人は皆R2000を経験したことがあるというレベルの高いメンツで、ときおくんもコンスタントにR1700前後を維持できるほどの打ち手だった。その中にあって桜かもね★だけは全くの素人だったが、楽しい会話で場を和ましてくれた。しばらくは悪戯組を離れ、このメンツに混じって麻雀を打つ日々が続いた。そしていつの間にか僕はこの集まりの中で会長と呼ばれるようになっていた。 |
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東風感謝スペシャル「どらきの軌跡」第21回 2000/04/23(Sun) 17:57:40 僕が会長と呼ばれているといってもその集団には特に決まった組の名前があるわけでもなく、みんなで集まるチャンネルがあるわけでもなく、そして共通のホームページがあるわけでもなかった。僕は勝手にこの集団を東風迷子クラブと呼んでいた。センスのないネーミングだ。今後僕らのホームページが出来ることがあれば、恐らくこの名前は改名されることだろう。当時、僕のまわりでは団体内部でのいざこざが多く、少し疲れてもいた。そんな時期に彼らと知り合えたのは僕にとって、とても幸運なことだった。IRCやICQでメンツを探さなくても東風に入って仲間のいる卓へ皆自然と集まる、その一見単純でなんでもないようなことが、当時の僕にはすごく楽で心安らぐものだった。そして、改めて僕はチャットよりも麻雀中心の人だと実感した。しかし僕は、麻雀は4人の形成する社会であり、一局をみんなの力で創り上げていくという共同作業はコミュニケーションを兼ねると思っている。特に東風荘では最終的な順位よりも半荘全体の出来に重点を置いている。その出来を左右するのは打牌であったり鳴きであったり、発言であったりするだろう。他者を尊重し、また自分も認めてもらい、その中で僕は勝ちたい。だから僕は明カン、喰い変え、小手返しといったルール上は認められている行為も極力しないことにしている。そんなものは不利なだけな、僕個人の勝手な幻想にすぎないと言われればそれまでだが、でも僕は、そんな麻雀を打つ自分を結構気に入っている。
その後悪戯♪ゆきみや悪戯☆ぬらが悪戯組に入団し、またしばらく東風を休業していた悪戯★恐が活動を再開したことなどもあり、僕は再び悪戯組にも顔を出すようになった。このとき悪戯組では悪戯★恐と、そのお知り合いの恐がりさとるを中心に派生した「恐がり」という集団が勢いをつけてきていた。1999年8月、この恐がりメンバーを中心に、僕は初めてのオフ会を経験することになる。参加メンバーは悪戯★恐、悪戯☆ぬら、悪戯♪ゆきみ、悪戯RAMOZ、悪戯絢子、悪戯憲志郎、悪戯海蛇、悪戯ほしがめ、悪戯じゃりん、みつぅ、クロ、バカボン、そして僕というメンツだった。やはりネット上で話すのと実際会うのとでは多少感じが違い最初はなんとなく変な感じがしたが、話をしているうちにすぐうち解けていった。みんなで近くのファミリーレストランで昼食を取ったあと、僕らは早速雀荘に向かった。僕は東風でR1700に到達した頃からフリー雀荘に通い出していたので生麻雀はある程度打ちなれていたが、生麻雀はほとんど打ったことのない人達もいたりして、そこがまた東風荘のオフ会らしいと思った。また、ここではかねてから楽しみにしていた悪戯★恐との生麻雀対決も実現した。終始和気あいあいとした雰囲気で、僕は非常に楽しい時を過ごすことができた。その後は近くの居酒屋で盛り上がった。初めてのオフ会は、僕にとってとてもよい思い出となった。
オフ会で直にネットの友人と触れ合うことで、改めてその人の存在を現実の友人として認識できると感じた。オフ会で会うことに最初から全く不安がなかったといえば嘘になる。ネット上での付き合いというのは非常に楽なもので、自分の知られたくない情報を他者にさらけ出すことなどまず無い。基本的にはずっといい顔でいられる。しかし直に顔を会わせればそうもいかない。会ってみたら意外につまらない奴だとか、自分とは合わないなとか思われるかもしれない。また自分もそう思ってしまうかもしれない。でもそれは、必ずしも損なことだとは思わない。そうやって情報を交換し合いながら、人は人を少しずつ受け入れていくのもだし、自分ではコンプレックスを感じている部分も、他人から見れば長所だったり、持ち味として見られるかもしれない。だから僕はそのへんのことをあまりネガティブに考える意味はないと思う。むしろ、せっかく仲良くなった友人の本当の姿を知らないままでいることのほうが、僕にとってはチャンスを逃している気がする。僕がオフ会ではじめてみんなに会ったときに感じた違和感、それは僕のなかでの情報修正に他ならない。今までネット上で知り合った何人かの友人と直に会えたことを、僕は今ほんとうによかったと感じている。
東風荘で毎晩のように麻雀を打っている僕だが、生麻雀のほうはどうかというと、初めて麻雀を覚えてから友達と10回くらい卓を囲んだ後さっさとフリーデビューを果たしてしまった。初めてフリーで打ったときは周りの人たちが皆プロにみえて、河など全く見えなかった記憶がある。その後半年くらい、だいたい週1のペースで点5のフリー雀荘に通った。成績は勝ちも負けもしないという程度のものだった。トップの勝ち分の約50%が場代として消えてしまう点5の雀荘で、トントンで終われれば十分だと思っていた。そして大学四年生になるころ、僕は大学院試験の準備のためにフリー雀荘通いをやめることにした。とは言っても、東風荘通いだけはやめることができなかったのだが。
久々に行った雀荘は、以前と全く雰囲気が違っていた。見なれた若いメンバー全くいなくなっており、かわりにもう爺さんと呼べる年代のメンバーがこっちを見ていた。彼らの顔には明らかに
「なんだこの若造?」 という文字が浮かんでいた。そして僕が打てますかと聞くと本当に客だと分かったらしく、急に愛想のいい笑顔を浮かべ対応し始めた。そして説明もそこそこに早速卓が立てられ、僕を含めて客2人、メンバー2人というメンツで半荘は始まった。東1何気に僕の手は好配牌、赤2枚手の内で使いきってリーチをかけてツモ和了る。裏も一枚乗って満貫だ。和了っても振ってもあまり心を揺らすことのない僕だが、点棒以外に僕の手元に集まったチップ4500円に心揺れる。思わずメンバーの人にチップいくらですかと尋ねる。
それは僕にとっては十分高レートな麻雀だった。レート自体はそうでもないのだが東風戦でしかもチップ500円というのがかなり大きい。やめようと思えばいつでも抜けれるのだが、僕はいきなり3連続トップでスタートする。手元には既に20000円くらいの収入が。それでもまだ1時間しか経ってない。この時間の早さが金銭感覚まで狂わせる。全然打った気がしないまま次へ次へと流れて行く。そして2時間くらい経過したころ、メンバーの一人が急に
僕は東風荘と生麻雀は全くの別物だと思っている。それはテレビゲームのレーシングゲームと実際のF1が別物であるのに等しい。もちろん、東風荘で学んだことは生麻雀でも生かせるし、逆に生麻雀の経験も東風荘で生きてくるだろう。では具体的にどう違うかと言うと、生麻雀のほうが東風荘に比べ実力の差となるファクターが多い。例えば東風荘ではあり得ないものとして少牌、多牌、誤ポン、誤チー、見せ牌、腰牌などがある。また、生麻雀では必要ならば理牌は自分でしなければならないし鳴きボタンもロンボタンも、ツモ切り表示も出てはくれない。他家の点棒状況も自分で計算して把握しておかないと困ることが多い。そのため初心者だと自分の手牌のことで頭がいっぱいになってしまうのだが、打ちなれた人だと何番目からどの牌が出てきただとか聴牌時の癖だとかまで見ている。つまり生麻雀ではある程度経験値が必要となってくる。これに比べ東風荘は、むしろ純粋な麻雀センスを要求される。雀歴が何年だとかはあまり生きてこないようだ。僕が最近知り合った麗美ちゃ♪もそんな東風荘雀士の一人だ。彼女は生麻雀を打ったことはないそうだが、現在400試合以上をこなしRateは2000を超えている。しかもまだ麻雀を覚えて半年というから驚きだ。そして同じく無類の麻雀センスを持つ者として、僕が東風での師と仰ぐ武豊の猫がいる。
武豊の猫と始めて対戦したのは悪戯組と馬軍団の対抗戦の時だった。それまでにも彼が強いということは風の噂で聞いていたので、対戦するのは楽しみにしていた。そして対抗戦の一戦目、僕はいきなり彼と同卓することになった。東1局、僕は早い順目で間八萬待ちの一通ドラ1を聴牌しリーチをかける。この時のリーチは和了ることが目的というよりも、相手の様子を見たいがためのリーチだった。そのリーチに対して彼は萬子待ちを本命と見て打ちまわしてきた。萬子以外の色は無筋でもサクサク通してくる。そして結局和了れることなく流局。武豊の猫も聴牌。そしてその聴牌形は、八萬単騎の七対子だった。他の色の無筋牌は通しても、僕の和了り牌の八萬だけは押さえられたのだ。その一局で彼が単なる運のいい打ち手でないことは十分計り知れた。その後彼はその対抗戦でダントツの個人優勝を果たした。そしてその後僕はなかば強引に彼に弟子入り。その後も彼はこっそりランキング卓の順位王に輝いたりもしている。しかし、彼が今日まで麻雀に関して僕になにかを教えてくれたことはほとんど無い。完全な放任主義らしい。
東風荘にはいろいろな人がやってくる。純粋に麻雀を打ちたくて来ている人、知り合いとの交流が楽しみなひと、Rateを上げるのが楽しい人、ちょっと暇つぶしに来る人、その他の目的で来る人もいるかもしれない。ちなみにこれは僕の中での優先順位順に並んでいる。また、来る人の雀力も様々で、全く役さえ知らない人もいればいわゆるプロと呼ばれる人たちも来たりする。この雀力を測るものさしとしてRateがあるのだが、これもせめて400試合はこなさないとあてにならないと思う。しかし僕がそうだったように、東風荘に通う雀士ならば一度はR2000を達成してみたいと思うだろうし、高いRateを目標に戦うとういのは楽しいものだ。現在の僕にはR2000を維持していく実力など到底ない。しかし東風荘には何千試合もこなし、なおR2000以上を常にキープし続ける強者もいる。上を見ればきりがない。僕もいつかそこにたどり着けるのだろうか。しかしそれのみに固執して、他者を思いやる心を失うようでは意味がない。僕に打とうと言ってくれる人がいること、それこそが大切にしなければならない、かけがえのない宝物だ。 東風感謝スペシャル「どらきの軌跡」第30回 2000/08/09(Wed) 06:41:54 僕がちょうど2つめのR2000ハンドルを達成しようかという頃、悪戯★恐も初のR2000達成に王手をかけていた。そこで僕らはお互いのR2000達成を賭けたR2000デスマッチを敢行した。互いのRはこの時点で共に1990前後で試合数も300弱と少なく、トップを取った方が一気にR2000達成という状況だった。第一戦は僕が2位で悪戯★恐が3位だった。これにより僕のRは1995となり次の半荘では2位でもR2000達成という状況になった。そして迎えた第2戦、勢いに乗っている僕は軽い和了りを拾いながらトップを維持。そして東四局一本場、僕は白・中と続けざまにポンをする。場にまだ發は出ていない。大物手の臭いが漂う。皆はどう思っていただろうか。
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